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| 万民ニュース   第 87 号 | HIT 12847 | DATE 2010-03-14
 
[海外宣教レポート] 日本列島に燃え上がるリバイバルの炎



2000年の名古屋ミラクル・コンベンション以後、急速に日本全体に広がったマンミンの支教会による活発な宣教報告

日本は八百万の神々の国とよく言われているが、日本人の90%以上が神道と仏教の信者である。キリスト教の布教が遅れていて、クリスチャンは全国民の1%未満だ。宣教基盤もぜい弱で、宗教の自由があるとはいえ、日本人ひとりを伝道するのは、韓国などのクリスチャンの多い国に比べてやさしくない。このような状況でも、イエス・キリスト日本連合聖潔教団は飯田万民教会など14の支教会と1協力教会を日本列島全体にまんべんなく建てて、活発

「2000年名古屋ミラクル・コンベンション」以後、宣教活動が活発に

1992年、韓国で開かれた「日韓連合聖会」で聖潔の福音に接した日本の牧会者たちは本教会に宣教師派遣と支教会設立を要請し続けた。ついに1994年1月、ユ・スンギル牧師が日本に派遣され、本州の中心部、長野県飯田市に飯田万民教会を開拓して、本格的に働きを始めた。その年の11月、堂会長イ・ジェロク牧師を単独講師として「飯田地域連合大聖会」が開かれ、1996年9月には「信州地域連合大聖会」が開催されて、日本宣教は活気づいた。
その後、チャン・カンソプ、チョン・ギョンテ、ソン・アミ、キム・マルコ、キム・モニカ各宣教師が派遣されて、山形、東京、大阪に支教会を建て、加藤勲、時國裕博、時國みや子、小松幹各牧師など日本人牧会者たちが別府、名古屋、旭川などに支教会を開拓した。2000年9月には「名古屋ミラクル・コンベンション」が開かれて、10人の耳の聞こえない人がイ・ジェロク牧師の祈りを受けて一度に聞こえて話すようになり、神に大いに栄光を帰した。このことは宣教師と聖徒たちに大きい力と信仰になって、これを基盤にさらに宣教に拍車がかけられた。

中部地域:飯田、名古屋、松本万民教会

日本宣教の礎石になった飯田万民教会(担任ユ・スンギル牧師)は2010年2月現在、礼拝人数100人以上の大教会になっている。さらに、牧会者セミナー、IT宣教など、時代の流れに合わせて体系化された福音宣教のために東京万民宣教センターを設立して、活動中である。また、キリスト教をよく知らない日本人に社会奉仕を通して、自然に福音を伝える機会を作った。「飯田万民教会ボランティア会」を結成、飯田市社会福祉協議会に正式加入して老人福祉に努め、中高生を主のもとに導こうと人形劇、ワーシップ公演など幅広い活動を行ない、福音を伝えている。このような活動がマスコミを通して広く知られ、同ボランティア会は永年のシーツ交換と寄付に対して表彰され、ユ・スンギル牧師は社会福祉大会名誉会長賞を受けた。ボランティア会は、現在、青少年と市民を対象に社会奉仕に活動を広げている。昨年11月23日には教会付設の老人福祉施設「万民ディサービスみつばさ」を開館、主の愛を伝えている。
名古屋では、時國裕博・みや子聖徒(当時)夫妻が名古屋恵み教会を開拓、1994年に「94リバイバル飯田大聖会」、1996年に「信州連合特別いやし大聖会」に参加し、その年10月、マンミンの支教会に加入して名古屋万民教会が創立された。以後、時國牧師夫妻が担任教職者になった。当時「信州連合特別いやし大聖会」で若年性関節リューマチで入院していた駒井孝平君がイ・ジェロク牧師の祈りを受けていやされた事例はリバイバルの契機になった。松本万民教会(伊藤正明牧師)は2004年2月、支教会加入、4月に新聖殿献堂礼拝をささげた後、ハンカチ集会などを通して活発な宣教をしている。




飯田万民教会は礼拝人数が約100人の大きい教会で、社会奉仕とハンカチ集会を通して教会がリバイバルした。




山形万民教会はイ・ジェロク牧師の祈りでみごもりの祝福を受けた一家庭を通して、伝道された聖徒が集まって教会を建てた。




舞鶴万民教会は開拓1年6か月で聖徒たちの純粋献金で聖殿を購入した。

東部地域:旭川、山形、鉾田、八千代、東京田端、東京、川崎万民教会

北海道にある旭川万民教会(小松幹牧師)は、1999年3月からユ・スンギル牧師が定期的に訪問するようになり、礼拝と祈祷会を重ねて同年7月に創立記念礼拝をささげた。
山形ではイ・ジェロク牧師の祈りでみごもりの祝福を受けたジュ・ジェギュ長老、チェ・ユニョン執事夫妻が伝道しながら1997年に礼拝をささげ始め、1998年にチャン・カンソプ牧師が派遣されて、山形万民教会が創立された。翌年の1999年に、美しい新しい聖殿を完工し、聖徒たちが霊肉ともに多くの祝福を受けている。

東京田端万民教会は、日本に留学していたとき、イ・ジェロク牧師の「十字架のことば」のテープを聞いて霊的な活力を取り戻したチョン・ギョンテ牧師とソン・アミ宣教師が担任している。韓国語、日本語、中国語の三か国語で礼拝をささげ、青年宣教会の活動が活発になされている。

川崎万民教会は平エリカ伝道師が神学校時代にイ・ジェロク牧師のメッセージを学んで開拓、疎外された日本人対象に伝道している。東京万民教会(チェ・ビョンラン伝道師)と八千代万民教会(青木久尚牧師)も活発に福音宣教に努めている。
鉾田万民教会は飯塚優聖徒代表が開拓し、対人恐怖症をイ・ジェロク牧師の祈りでいやされるという神の力を体験した。

西部地域:大阪、舞鶴、岡山、別府万民教会

大阪万民教会はキム・マルコ牧師がイ・ジェロク牧師の証し手記『死の上がり框で味わう永世』を読んで大いに恵みを受けた後、1999年9月、関西万民教会を開拓、2001年3月、大阪万民教会と改称した。着実に礼拝人数も増え続けて教会財政も増え、霊肉ともに多くの祝福を受けている。
2004年4月、キム・マルコ牧師は舞鶴を訪問して、何人かの聖徒を訪問していたが、聖徒たちの要請で月二回訪問して、礼拝をささげるようになった。2005年には廣内昭世執事の生後3か月の孫娘、佑菜ちゃんが心臓に4.5ミリの穴が空いていた「心室中核欠損症」を抱えていたが、イ・ジェロク牧師の時間と空間を超えた写真の祈りでいやしされるみわざが現れて、これをきっかけに聖徒たちはさらに信仰が成長した。いよいよ2005年9月に、7人の聖徒と開拓礼拝をささげて、熱い信仰の行いを通して、開拓1年6か月で聖徒たちの純粋献金で聖殿を購入することができた。
九州にある別府万民教会は加藤勲牧師が1995年2月、聖地旅行で吉川登牧師を通してマンミンの働きを知り、同年9月に支教会を開拓した。岡山万民教会(時國裕博牧師)は岡山周辺と四国の教会と交わりながら聖潔の福音を伝えている。
支教会の多くは定期的にハンカチ集会(使徒19:11-12)を開いている。聖徒の信仰が成長することはもちろん、さらに健康にもなり、聖霊に満たされた信仰生活をしていて教会はリバイバルしている。これを通して、新しい信者は救いの恵みが臨んで、聖徒は天国の望みとまことの信仰を持つようになり、働き人はさらに熱く走って行く恵みがあふれている。聖潔の福音と神の力あるわざで生ける神が証しされている日本列島に、リバイバルの火がさらに燃え上がるよう期待する。


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