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霊の波に乗ろう [3]
いやしと答えの公義 [2]
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ニュース >
フォーカス
| 万民ニュース 第 180 号
| HIT
3285
| DATE
2017-10-22
災いやさばきにも込められている「神の善と愛」を知っていますか
事例1 _最初の人アダムがエデンの園から追い出されたこと(創世記2~3章)
善と愛である神の知恵でまことの子どもを得るようになる人間耕作の始まり
最初の人アダムは神の恵みと愛のうちに大きい権威と力を受けて味わっていたが、神が禁じられたただ一つのおことばを心に留められなくて不従順の罪を犯した。
「・・・あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創2:16~17)
アダムの不従順はルシファーの裏切りのように神のお心をひどく痛めて苦しめることだったし、まことに洗い清めがたい重い罪だった。人類に罪が入って来る出発点になったが、神はアダムが直ちに死ぬのではなく、この地上に降りて来て生きていきながら死を迎えるようになさった。耕作の過程を通して神が下さった愛のまことの意味を悟り、心から過ちを悟って、救いに至る機会を与えられたのだ。
神は罪によってエデンの園から追い出されるアダムとエバに皮の衣を作って着せられた(創3:21)。彼らが罪と悪の世で味わうことになる苦しみと悲しみ、厳しい肉の環境で生きていきながら受けるべき苦しみと労苦をあまりにもよくご存じだったので、もどかしい心で心配して憂いてくださり、愛をもって衣を作って着せられたのだ。
これに対してアダムとエバはこの地上で生きている間、皮の衣を眺めて、自分たちを愛で抱いて機会を与え、その愛を感じさせてくださった温かい父として胸の奥深くしまっておき、その愛の力で勝ち抜くことができた。
罪を犯したアダムがエデンの園から追い出され、呪われた地で生きることになったのはまことに心痛むことだが、その中には神の深い善と愛が込められているのだ。
事例2 _ノアの時代の洪水によるさばき(創世記6~9章)
悔い改められる十分な時間を与えて最後まで待っておられる父なる神
ノアの時代の洪水によるさばきは、その当時罪と悪があまりにもはびこっていて、この地上でこれ以上人間耕作を続けられないと判断された父なる神の最後の選択だった。
神はノアと彼の家族以外はすべての人が死ぬことをご存じだったが、最後までいのちに導く方法を探された。ノアを通して箱舟を作るようになさり、さばきが来ることと悔い改めて立ち返ることを叫びに叫ぶようにされ、広く伝えられるだけの十分な時間と機会を与えられた。
それどころか、箱舟が完成して、神の命でノアと彼の家族と各種の動物まで箱舟に入った後も、さらに七日間も待たれた。しかし、ノアの時代の人々は洪水になる直前まで罪と悪にふけって生きていた。神はこのような人の心をよく知っておられながらも、憐れみと慈しみの心でまたも機会を与えて待たれたのだ。
結局、大洪水のさばきは始まって、神の御目からは涙がポロポロこぼれ落ち、御衣のすそに「期待する」という字に彫られた。ここには「再び期待して待つし、必ず成し遂げる」という意味が込められている。
この出来事は人の子らの悪のゆえ神の公義にかなうように臨んだし、より多くの魂の救いのためのやむを得ない最後の手段だった。しかし、神は当然のことと思われず、あまりにも心を痛められて、再び洪水でさばかないと虹を見せて契約を立ててくださった(創9:8~17)。
その結果、ノアの子孫を通して信仰の父アブラハム、出エジプトの指導者モーセ、神の力を行う預言者エリヤなどが出て来たし、ダビデの根イエス様が人となってこの地上に来られ、すべての人が救われる道が開かれた。
事例3 _ソドム、ゴモラに下された火によるさばき(創世記18~19章)
機会を与えに与えてでも、何としてでもいのちを与えようとなさる神の初めの心
神は「罪から来る報酬は死」という公義に従って働かれるが、いのちを与えるような一抹の可能性だけあっても、さばかないことを望んでおられる。それで、ソドムとゴモラが神のさばきを免れる道はないのか探ろうと、ご自身でふたりの御使いのかしらを伴ってこの地上に降りて来られた。しかし、罪と悪がはなはだ重く、さばきが臨むしかなかった。
アブラハムの切なる願いで、ソドムとゴモラに正しい者が十人だけいてもさばきを収めると約束までされたが、残念なことに、その大きい町ソドムとゴモラに神が救い出されるような人が十人もいなかった。ここで「正しい者」とは神がご覧になっていのちを与えるほどの人のことで、十人だけいてもさばきを収めて、再び機会を与えられようとなさったのだ。
神は愛をもって求めるアブラハムを覚えて、おいのロトと彼の家族には救いの機会を与えられた。これが機会を与えに与えてでもいのちを与えようとなさる神の初めの心、すなわち、善と愛の心だ。したがって、ソドムとゴモラのさばきには、何としてでもいのちを与えようとなさる父なる神の初めの心が込められている。
事例4 _モーセに立ち向かったコラとその仲間に臨んださばき(民数記16章)
罪と悪を遮断してより多くの魂を救われるための神の善と愛
神のことばによって出エジプトの指導者モーセがイスラエルの民をカナンの地に導いているうちに、コラとダタン、アビラムなどが仲間の二百五十人と共謀してモーセとアロンに逆らい、立ち向かう言葉をはばからないと、彼らを地がのみこんで、火が焼き尽くすさばきが臨んだ。
コラとその仲間は神の人モーセに立ち向かっただけでなく、勢力を集めて多くの民まで死の道に向かうように反逆を企てた。これは神に立ち向かったのと変わるところがなかったし、万一彼らをそのまま置いておくならば、イスラエルの民全体に致命的な害を及ぼしかねなかった。したがって、神は愛と公義にあって彼らの悪にふさわしい報いを下されることによって、残りの民までまかり間違えば誤った道にはまらないように、決断が必要だったのだ。
以前にもイスラエルの民の罪と悪が程度を超えたことが何度もあったが、神は寛容に寛容を尽くして耐え忍びながら、彼らをカナンの地へと導いて行かれた。ところが、またもレビ族に属するコラとルベン族に属するダタンとアビラムの反逆によって、残りの民まで神の御前にひどく大きい罪を積むことが起こるならば、民全体が滅ぼされることもある、まことに危急の事態が起きた。
これに対してモーセとアロンがイスラエルの民全体に臨む神の御怒りを収められるようにと懇願し、結局コラと彼に同調した仲間だけが御怒りのさばきを受けるようになった。そして、コラの子孫だが反逆に参加しなかった人々には、続いてレビ族として任務を果たすようにしてくださった。民全体を考えるとき、コラとその仲間をさばかれたこの事件が結果的には多くの人を救う良きわざになったのだ。
また、神の人に立ち向かうことが神の御前にどれほど大きい罪なのかを民全体に戒めとすることによって、それ以後芽生える可能性のある罪と悪をあらかじめ遮断された。
このようにさばき自体はまことに心痛むことだが、これを通してより多くの魂を救って神の摂理を成し遂げるようになるなら、結局はいのちを与えようとなさる父なる神の善と愛の心でなされたことを悟り、再びそのようなことがないようにするべきだろう。
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