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| 万民ニュース   第 136 号 | HIT 6240 | DATE 2014-02-23
 
世を愛する心_肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢



神が天地万物を創造して、アダムとエバを造られた後、彼らを祝福されて「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と仰せられた。だが、アダムとエバは狡猾な蛇に惑わされて、神が禁じられた善悪の知識の木の実を食べるという不従順の罪を犯してしまった。その結果、人の主人である霊が死に、霊である神と交われなくなって、この世を支配する権力も悪い敵である悪魔・サタンに任された。


世を愛する心を捨てるべき理由

<第一ヨハネ2:15-16>に「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」とある。この世を愛しているなら、父なる神の愛がそのうちにないので、神のみこころを知ることもできず、行うこともできないからだ。
イエス・キリストを受け入れて、自分の罪を悔い改めて、聖霊を受けた神の子どもたちは、その時から神を愛する心が芽生えるようになる。ところが、神を愛する心があるからといって、世を愛する心が全くないのではない。世を愛する心を捨てるほど、神を愛する心がますます大きくなる。
それなら、神を愛するためにすみやかに捨てるべき「世を愛する心」とは、具体的に何だろうか?


一つ_ 肉の欲

「肉」とは、霊的に「からだと結びついた罪の性質」を総称して言う。まだ表に現れてはいないが、いつかは誘発されて行いとして現れる可能性のある真理に逆らう属性だ。人の心にある罪の性質が表に現れようとする欲求、すなわち、罪を犯したい欲求があるが、これを「肉の欲」と言う。
したがって、肉の欲が動き出さないようにするには、ひとまず肉の思いを断ち切ってしまわなければならない。神が嫌われる悪い思いと感じを良いものに変えていくと同時に、罪の性質自体を引き抜かなければならない。
たとえば、ねたみという罪の性質を心から引き抜くためには、ねたんだ瞬間、その心と感じを覚えて祈るが、完全になくなる時まで、毎日火のように祈らなければならない。ここで心に留めるべきことは、これ以上世のものを受け入れてはいけないことだ。


二つ_ 目の欲

目で見て耳で聞くことを通して心が揺れ動き、世のものを追求させる属性を「目の欲」と言う。人が生まれて成長する間、見て聞くすべてのものが心に働いて、感じとして届き、それによって目の欲が生じる。これを遮断しないで受け入れ続ければ、肉の欲を誘発して、結果的に罪を犯すようになる。
したがって、真理でないことは見ても聞いてもならず、真理に逆らうものに接するような場所ならば、最初から行かないほうがよい。さらに世のものが入らないように心を守ることが大切だ。祈って断食しながら悪を捨てようと努めても、いざというとき目の欲を遮断しなければ、肉の欲が力を得て動き出すので、罪が簡単に捨てられないだけでなく、罪と戦うことがつらくて難しく感じられる。
したがって、目の欲を遮断した後、自分の中にある罪の性質を捨てるために断食して祈ることが大切である。こうするとき、神が恵みを与えて強くしてくださり、御霊によって祈っているうちに祈りに答えられることができるのだ。


三つ_ 暮らし向きの自慢

現実のすべての享楽を追い求めて、自分を目立たせるために自慢しようとする属性を「暮らし向きの自慢」と言う。暮らし向きの自慢があれば、世の富と栄華、知識、才能、容貌などに価値を置いて追求していく。だが、この世で自慢することではまことの価値といのちを得られないし、かえって神に対して反抗して、死の道に行くだけだ。私たちが役に立たない肉を脱ぎ捨てれば、暮らし向きの自慢や欲もなくなって、真理だけ追うようになる。
<第一コリント1:31>に「誇る者は主を誇れ」とある。「主を誇る」とは、神が働かれたことを誇ることで、相手に信仰を植えつけて神に栄光を帰すことなので、暮らし向きの自慢とは違う。主を誇るなら神がお受けになり、霊肉ともに祝福として報いてくださる。

イエス様は<ルカ16:13>で「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」と言われた。
そして、世を愛してハデスに落ちた金持ちと、神を愛してアブラハムのふところにいだかれた貧しい人ラザロを比べてくださった。つまり、世を愛すれば神の愛がそのうちにないので、神を軽んじてみことばどおり生きられないから捨てられるしかないということだ。
したがって、世に属することが何なのか明らかに見分けて、肉の欲と目の欲、暮らし向きの自慢を捨てて、神のみこころどおり行う者になり、永遠の天国で太陽のように輝く栄光の中にとどまるようにお願いする。





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