A イエス様の当時、律法学者とパリサイ人は旧約聖書に記されたモーセの律法はもちろん、先祖代々伝えられた長老たちの言い伝えまで徹底して守っていると思いました。律法を研究して民に教えたりもしましたが、小さいハーブの葉と幹にまで十分の一献金を適用させました。また、彼らは神様を愛して律法を守るよりは、律法をちゃんと守る人であることを誇示しようと、うわべだけで行いました。このように律法を研究して、文字そのままに徹底して守ろうとしましたが、それよりはるかに重要な律法の根本精神、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしていたのです。 マタイの福音書23章を読めば、イエス様は偽善の律法学者とパリサイ人に向かって、七度も厳しく責められます。彼らの心の中に隠された貪欲と放蕩、不法を赤裸々に指摘されて、彼らを目の見えない人、目の見えぬ手引きども、蛇ども、まむしのすえども、あるいは白く塗った墓にたとえておられます。神様のお心で厳しく叱って、悔い改めを促されたことが見られます。しかし、彼らは律法を下さった神様のお心を全然知らなかったので、「正義とあわれみと誠実」をおろそかにしたまま最後まで悔い改めないで、イエス様に立ち向かって、結局、滅びの道に行ってしまいました。