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ニュース > フォーカス
| 万民ニュース   第 126 号 | HIT 5924 | DATE 2013-04-28
 
生きておられる神様を見つけたいです





Q 神の子どもとして、慈しみ深い父なる神様にいつもお会いできる体験的な信仰を持ちたいです。どうしたら生きておられる神様を見つけられるでしょうか?


A 神様を見つけることにおいて、最も基本的でありながら重要なものは熱心さです(箴言8:17)。神様は人の子らをまず愛して、御手を差し伸べてくださいますが、無理にその心の戸をあけて入ってこられる方ではありません。公義に従って働かれるので、人が心の戸をあけるとき、その心の中に入って会ってくださいます(黙示録3:20)。何より心が貧しくなる時、へりくだって神様を捜す時に、ご自身を見つけるようにしてくださいます。このように神様にお会いできる心が準備できた後は、神様がおられるところに出て行かなければなりません。光と真理、善と愛の中におられる神様を見つけることができる四つの道を調べてみましょう。


1.神様のことばに聞き従うことで見つけられます

聖書66巻のみことばには、神様がどんなお方なのか、人間に向けられたみこころが何か、よく表されています。特に神様が私たちをどんなに愛しておられるか記されています。このようなみことばを知って悟っていくほど、神様に対する信仰が芽生えます。私たちが教会に行ってみことばを教えてもらう理由も、生きておられる神様を見つけるためです。
聖書は神の霊感によって記された書(第二テモテ3:16)ですから、聖霊に助けられてこそまことの意味が悟れます。その時、神のことばが生きていて力があり、私たちのたましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえ刺し通します(ヘブル4:12)。
このようなみことばを読んで聞き、「しなさい、してはならない、守りなさい、避けなさい」と言われたとおり聞き従ってこそ、さまざまな人生の問題が解決されて、神様が下さる祝福が臨むようになります。


2.熱心に主を呼び求めて祈ることで見つけられます

私たちが神様にイエス・キリストの御名によって切に祈れば、御霊によって聖書のみことばに込められた神様の心とみ思いが悟れます。また、神様のみこころどおり生きていける力が与えられるのです。
祈りは神様との対話です。神様は愛する子どもたちが祈ればお聞きになって、心に感動や悟りを下さいます。このように祈りを通して、父なる神様と1対1で交われるようになります。それだけでなく、みこころにかなうように祈れば、神様が公義の法のとおり答えてくださるので、生きておられる神様に確かにお会いして体験できます。
<マルコ10:46-52>に、盲人の物ごいバルテマイが熱心に捜したので、イエス様を見つけて答えられる場面があります。イエス様に会うために大声で叫ぶ彼を、いくら周りから黙らせようとたしなめても、彼はますます叫び立てました。せっぱつまっていたからです。結局、彼はイエス様に呼ばれて来て、願いどおりに目が見えるようになります。
聖書を読めば、エリヤやペテロなど昔の信仰の人々も、祈る時に熱心に主を呼び求めて祈りました。イエス様もゲツセマネの園で、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られ、汗が血のしずくのように地に落ちるほどでした。私たちも「神様を見つけるぞ」という覚悟で、心を尽くして熱心に主を呼び求めてこそ、雑念にふけったり居眠りしないで、求めるものは何でも答えられるのです(エレミヤ33:3)。


3.心を尽くして賛美することで見つけられます
<詩篇69:30-31>に「私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。それは雄牛、角と割れたひづめのある若い雄牛にまさって【主】に喜ばれるでしょう。」とあります。このように生きておられる神様は賛美を非常に喜ばれます。
美しい賛美で神様を高めるとき、神様の心と目と耳が愛する子どもたちに向けられます。私たちが賛美をささげるとき、神様が下さる喜びと感動があふれる理由がそのためです。聖書を読めば、昔の信仰の人々も時に応じて賛美をささげました。その代表的な人物がまさにダビデです。ダビデはひとりで羊の群れを守る時や、王として神様にいけにえをささげる時でも、いつも賛美を喜んでささげました。神様はこんなダビデを愛して、いつもともにおられました。
賛美には光の権威も込められていて、ダビデが立琴をひけば、サウルをおびえさせていた悪い霊が退きました(第一サムエル16:23)。預言者エリシャは立琴の演奏を聞いているうちに、【主】の手が彼の上に下り、神様のことばを受けました(第二列王3章)。このように私たちが神様の善と愛、力を心を尽くして賛美するとき、神様が喜んでお受けになり、あふれる愛を表現してくださるのです。


4.霊とまことによって礼拝することで見つけられます

アブラハム、イサク、ヤコブにつながる旧約時代の昔の信仰の人々は、いけにえを通して神様と交わりました。ソロモン王は一千頭の全焼のいけにえを心を込めてささげることで、知恵の神様、すべての祝福の源である神様にお会いして体験しました。新約時代の礼拝がまさにこのようないけにえ、すなわち、神様を見つける通路に当たります。
<ヨハネ4:24>に「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」とあります。「霊によってささげる礼拝」とは、御霊に感じて動かされ、満たされている中で、神様のことばを心に糧としながらささげる礼拝のことです。また、「まことによってささげる礼拝」とは、神様に対する正しい理解をもって、身と心、思いとまことを尽くし、神様を愛する心で喜びと感謝、祈りと賛美、行いと供え物をもってささげる礼拝のことです。
このように霊とまことによって礼拝をささげるとき、上から与えられる恵みが臨んで、天国の望みと平安、喜びがあふれるのです。これがまさにいのちと平安の源である神様を見つけた証拠です。このような恵みを生活の中で維持すれば、いつもともにおられる神様を感じることができて、毎日その方を見つけることができるのです。


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