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| 万民ニュース   第 125 号 | HIT 6329 | DATE 2013-03-24
 
BOOK_ 神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量り





イエス様といっしょに木の十字架にかけられて、死ぬ直前に悔い改めて救われ、パラダイスに入ったひとりの強盗の信仰と、天国を望みながら「毎日が死の連続です。」と告白し、いのちを尽くして忠実であったので新しいエルサレムに入った使徒パウロの信仰とはどう違うのか?

聖書を読めば、イエス様が「あなたの信仰はりっぱです。」とほめられるかと思えば(マタイ15:28)、「あなたがたの信仰が薄いからです。」と責められもした(マタイ17:20)。このように信仰はいろいろなので、ローマ12:3に「神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」とあるのだ。

信仰は神が下さる賜物だから、どれほど神のことばどおり行うかに従って、霊の信仰が与えられる。階段を上る時に最初の段から順番に踏んで上がるように、霊の信仰も日々成長して、キリストの満ち満ちた身たけにまで達してこそ神が喜ばれる。

はたして自分の信仰はどれくらいだろうか? 信仰はいろいろな段階で説明できるが、ここではイ・ジェロク牧師の著書『信仰の量り』を中心に調べてみる。自分の信仰をチェックしてみよう。




一段階 救われるための信仰

福音を聞いて心の戸を開き、自分が罪人であることを悔い改めて罪が赦されれば、神が聖霊を心の中に遣わしてくださる。聖霊は、イエス・キリストを受け入れて神の子どもとされる特権を得た人に、保証として下さる神の賜物である(第二コリント1:21-22)。

聖霊を受けてはじめて、救われた神の子どもとしていのちの書に名が記され、天国の国籍を得るようになる。これがまさに救われるための信仰だ。イエス様が十字架刑にあわれた時に、イエス様を受け入れたひとりの強盗の信仰がこれに当たる(ルカ23:39-43)。


二段階 行おうと努力する信仰

イエス・キリストを受け入れて、聖霊を賜物として受けた後は、礼拝に参加してみことばを聞いて学び、そのまま行おうと努力する。しかし、まだそのみことばに込められた神のみこころを心に悟って行える段階ではないので、信仰生活がつらく感じられる。

それで、みことばどおり行うために、祈りながら自分で努力しなければならない。この時、注意すべきことは、みことばどおり行えないからといって、決して気を落としたりあきらめたりしてはいけないことだ。行おうと努力するとき、聖霊が助けてくださり、神が恵みを下さって強くしてくださり、みことばどおり行えるように導かれるからだ。


三段階 みことばどおり行える信仰

この段階では、神のみこころを悟って心から湧き上がる行いが出てくる。それで、みことばどおり行うことが日常生活のように自然に身について、安定した信仰生活をするようになる。

このような信仰を持てば、行いで犯す罪、すなわち、肉の行いをしないだけでなく、心で犯す罪、すなわち、肉的なことをもっぱら考える罪も犯さなくなり、心の罪の性質まで捨てられるようになる。

しかし、信仰の三段階になったとしても、初めは心に葛藤がある。神のみこころを悟って聞き従うが、心に罪の性質が残っているので二つの心が互いに戦うのだ。そうするうちに罪の性質がある程度捨てられれば、みことばどおり行うことがそれほど苦しくなくなる。

信仰の三段階で60パーセント以上になれば、「信仰の岩の上」に立ったと言える(マタイ7:24-25)。このように信仰の岩の上に立ったとしても、神を愛するなら、主の心に似せられるために信仰の戦いを勇敢に戦わなければならない(第二テモテ4:7)。心の中に隠されている悪の大きい根まで完全に引き抜くために、主を呼んで祈りながら神の御前に切にすがらなければならない。

多くの聖徒が信仰の三段階に長い間とどまっているのが見られるが、その理由は何だろうか? 罪と悪を捨てようとする努力をやめたからだ。この停滞をすみやかに突き抜けていくためには「私はこのくらいはやった」という霊的な高ぶりと怠けを捨てなければならない。


四段階 神をこの上なく愛する信仰

神をこの上なく愛すれば、神が嫌われる罪はもちろん、悪はどんな悪でも避けて聖められた心になる。この段階では、神に愛されている証拠がいつも現れる。それで、霊である神のお心に似せられていくほど、神の働きをするのに大きい力を現して、栄光を帰すのが見られる。

また、すべてのことに仕えて低くなり、相手の利益を求める心遣い、日常生活でのささいなひと言や行いがかぐわしい善の香りを放つ。この香りは周りの人を感動させるだけでなく、神もお心を動かされ、すべてに答えと祝福を与えてくださり、ともにおられる。


五段階 神に喜ばれる信仰

この段階は、神をこの上なく愛して、みことばに完全に聞き従う段階を過ぎて、神の深い心とみ思いを推し量って従うことで神に喜ばれる次元である。人としては不可能なことを命じられても、神のみこころならば、ただ「はい、そうします」「アーメン」と言うだけで、いのちをささげて従う。

また、数えきれない祈りを積んで、不思議としるし、神の力あるわざが現れ、全家を通じて忠実であるので、自分の使命を完全に果たすが、すべての分野で与えられる代価以上にゆうに果たす。神が人を創造された理由が、まさにこのようなまことの子どもを得るためである。

信仰の五段階、すなわち、全き信仰を持てば、すべての思いと言動が神のお心を満足させ、すべてのことで神に喜ばれるので、神は求めることは何でも直ちに答え、心に抱いたことまで答えてくださる。いつ何が必要なのかを知って備えておかれ、与えてくださるのだ。




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