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| 万民ニュース   第 115 号 | HIT 7277 | DATE 2012-05-27
 
[企画特集] 信仰にも「量り」ってあるんですか? 自分の信仰の現住所を知りたいです



Q)この前、熱心に信仰生活をしている友だちに会ったんですが、ショッキングな話を聞きました。信仰にも「量り」っていうのがあるって。それで、信仰の量りに応じて、救いはもちろん神様の答えと祝福が違うし、永遠の天国の場所が違ってくると言うんです。本当に信仰にもいろいろあるんでしょうか?

<ローマ12:3>に「神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」とあります。イエス様も、ある人には「あなたの信仰はりっぱです」とほめられるかと思えば(マタイ15:28)、ある人には「信仰が薄い」と言われました(マタイ17:20)。このように、信仰にはいろいろな量りがあるだけでなく、神様が認められる霊の信仰があるかと思えば、救われない肉の信仰もあります。


1. 霊の信仰の成長過程にともなう信仰の量り

<第一ヨハネ2:12-14>には、霊の信仰の段階を人の成長過程にたとえて、子どもの信仰、小さい者の信仰、若い者の信仰、父の信仰に分けています。
「子どもの信仰」とは、イエス・キリストを受け入れたばかりの人々の信仰のことを言います(第一ヨハネ2:12)。つまり、聖霊を賜物として受けて、神の子どもとされた特権を受けた人々の信仰です。
「小さい者の信仰」とは、初心の者の信仰を意味します(第一ヨハネ2:14)。教会に出席して、神のことばを学んで恵みを体験するが、まだみことばどおり完全に生きられない信仰です。
エネルギーあふれる青年期にはどんな事でも意欲的にやり抜くように、「若い者の信仰」の人々はみことばどおり守り行うことが多く、どんな試練や患難がやって来ても屈せず、敵である悪魔・サタンと戦っていつも打ち勝ちます(第一ヨハネ2:13)。
「父の信仰」とは、成熟した信仰の段階です(第一ヨハネ2:13)。聖書66巻に記された神のことばを悟り、火のように祈ることで主の心に似せられていくだけでなく、父のような心で聖徒たちを顧みられる信仰です。


2. 白い御座の大審判の時に量られる信仰

<エゼキエル47:3-5>では、ある人が手に測りなわを持って、聖殿から流れ出た水が人のからだに達する高さを測って、水を渡らせます。ここで「水」とは、霊的に神のことばを意味し、将来白い御座の大審判の時、主が各人の信仰を量って、それに応じた厳格なさばきをするという意味です。
「その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。」
足首まで水があったということは、子どもたちの信仰、すなわち信仰の一段階のことを言います。ひざに達したということは、小さい者の信仰、すなわち信仰の二段階を、腰に達したということは、若い者の信仰、すなわち信仰の三段階を表します。自分の身長を越えるほど水かさが増し、渡ることのできない川となったということは、父の信仰、すなわち信仰の四、五段階を意味します。


3. 各人の働きを火でためして量られる信仰

<第一コリント3:12-13>に「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」とあります。ここで「土台」とはイエス・キリストを意味し、「働き」とは苦労して積み上げたもの、すなわち、人の信仰と行いを表します。
乾いていて中が空っぽの「わらの信仰」は、使い道がなく、あっという間に火に焼けてしまう死んだ信仰、すなわち、救われない肉の信仰を意味します。「草の信仰」は、イエス・キリストを受け入れて罪が赦されて救われ、神の子どもとされた信仰の一段階を表し、「木の信仰」は、みことばを行うために努力する信仰の二段階を表します。
火の中で形は変わるが、変わった形でも残っている「宝石の信仰」は、みことばどおり行える信仰の三段階のことを言います。金には劣るが火に焼けない「銀の信仰」は、神を条件をつけずに愛し、神を第一に愛する信仰、すなわち、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康である信仰の四段階を意味します。
「金の信仰」は、火のような試練にも全く揺るがない信仰の五段階、すなわち、神に喜ばれる信仰であり、御霊の実を100パーセント結んだ信仰、全家を通じて忠実である信仰を表します。このように「全き信仰」を持って火のような祈りを積めば、イエス様が「信じる人々には次のようなしるしが伴います。」と言われたとおり、しるしが現れて(マルコ16:17-18)、多くの魂を救って神に大いに栄光を帰せます。
<マタイ11:12>に「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」とあります。これは、罪を戦って捨てるほど、罪を犯させる敵である悪魔・サタンとの戦いで勝利するようになって、真理を行うほど主の心に似せられて、天国のよりすばらしい場所に入れることを意味しています。それで、完全に天国を攻めれば、神の御座がある最も美しい天国、新しいエルサレムにも入れます。
信仰の一段階の人は天国の最も低い場所であるパラダイスに、信仰の二段階は一天層に、信仰の三段階は二天層に、そして罪を捨てて聖められた信仰の四段階は三天層に、最後に信仰の五段階の人は神に喜ばれたので、新しいエルサレムに入るようになります。(『信仰の量り』参照)




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