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メッセージ >
聖書の学び
Title
第51課 主は誰の救い主なのか
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-12-19
読むみことば: マタイ2:1-12
覚えるみことば: マタイ2:11
教育目標
クリスマスを迎えて、イエス様がなぜ飼葉おけでお生まれにならなければならなかったか、なぜ東方の博士たちから三つの贈り物を受けられたのか、その霊的な意味を悟る。
1. 飼葉おけでお生まれになったイエス様
クリスマスは、全人類の救い主になられるイエス様がこの地上に来られたことに感謝して守る祭りです。この日はクリスチャンだけでなく、クリスチャンでない世の人々も、イエス様のお生まれを祝う世界的な祭りと言えます。神の御子イエス様は罪と死の原理につながれていたすべての人類を救うためにこの地上に来られ、十字架につけられて死なれ、神のみこころをすべて行なわれました。したがって、イエス様のお生まれは全人類の祝福であり、神には栄光であるのです。
[マタイ1:18-25]には、イエス・キリストのお生まれについて記されています。イエスは「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」という意味で、聖霊によって宿られた神の御子です。ところが、今から2000年前、ことばが人となってこの地上にお生まれになったイエス様は、神のひとり子なのに、華やかな所でなく、家畜の飼葉おけでお生まれになりました(ルカ2:3-7)。これは、[伝道者3:18]にあるように、人が獣にすぎないからです。
創造主の神は最初に人を創造されたとき、神のかたちに彼を創造して、その鼻にいのちの息を吹き込まれて生きものになるようになさいました。それで、霊である神と交わって、万物の霊長としてすべての生き物を支配するようになさいました。しかし、最初の人アダムが神に聞き従わず、人の主人であった霊が活動しなくなり、たましいに支配される「たましいの人」になってしまったのです。こうなった人は霊である神と交われないので、神のみこころのとおり生きられず、罪の中を歩んで欲に従って生きるようになりました。
このように獣にすぎない人類を救うためにこの地上に来られたイエス様は、たましいの人になってしまった人類を再び霊が主人である人に変えて、神との間を隔てている罪の壁を壊すために、自らいのちの代価になってくださいました。したがって、イエス様が家畜の餌を入れる飼葉おけに寝かせられたとは、獣にすぎない人々のまことの糧、すなわち、霊の糧になろうと、この地上に来られたことを意味します。ですから、ここには神の驚くべき摂理が含まれているのです。
[ヨハネ6:51-55]でイエス様は「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます…人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。…わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。」と言われました。このようにイエス様は獣にすぎなくなった人を神が望まれるまことの子どもに変えてくださるために、ご自身霊の食物になってくださいました。
したがって、霊の食物を食べる人は誰でも、罪を赦されてまことのいのちを得て永遠に生きるようにされた神と、十字架のむごい苦しみを喜んで受けられたイエス様の、大きい愛に頭を垂れて感謝せずにはいられません。
2. イエス様のお生まれを啓示された人々
[マタイ2:1-12]で、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」と言ったとあります。それを聞いて、ヘロデ王とエルサレム中の人は恐れ惑いました。そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただしました。そして、彼らが教えてくれたとおり、博士たちをベツレヘムに送って、幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせるように、自分も行って拝むからと言いました。これは幼子のイエス様を捕らえて殺そうとして言ったのです。しかし、神は博士たちに夢でヘロデ王のところに戻らないように告げて、イエス様の肉の父親であるヨセフに働きかけてエジプトへ逃げるようにして、イエス様が死から免れるようになさいました。
東方の博士たちがイエス様のお生まれを啓示されたように、霊の目が開かれた人々がイエス様を受け入れて伏し拝むのです。その当時、ユダヤには、聖書をよく知っていて教えているパリサイ人や律法学者、また律法学者がいましたが、実際にイエス様がお生まれになったという啓示を受けられたのは、誰だったでしょうか?
[ルカ2:8-20]には、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた羊飼いたちに御使いが現れて、ダビデの町で救い主がお生まれになったことを知らせ、羊飼いたちは神をあがめ、賛美しながら帰って行ったと書いてあります。羊飼いたちは当時、社会的に最も地位の低い階層で、貧しく疎外された人々でしたが、心がへりくだっていたので、神に愛されてみどりごイエス様を拝むことができて、救われることができました。
その他にも、[ルカ2:25-38]には、正しくて敬虔にイスラエルの慰められることを待ち望んでいた「シメオン」という人がいて、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていました。また、「アンナ」という女の預言者も、非常に年をとっていたにもかかわらず、宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていました。結局、彼らは幼子イエス様が救い主であることがわかって、神に栄光をささげました。
今日も、聖書にあるように主がすぐに来られることを伝えますが(黙示録22:20)、それを心から信じている人はそんなに多くありません。まるでイエス様がお生まれになった当時、神が預言しておかれたすべてのみことばは知っていても、実際にイエス様を神の御子として受け入れられなかった偽善者たちのように、教会に通って主を信じていると言いながらも、みことばどおり生きられない人々は、主が再臨されることを知っていても、すぐに来られるとは心から信じられないのです。
したがって、私たちは偽善者のようにうわべだけ敬虔なのでなく、心がまずへりくだって、みことばを聞くことを慕って、いつも目を覚まして祈り、再び来られる主を喜んで迎えなければなりません。
3. 三つの贈り物の意味
東方から来た博士たちは、人類を救うためにこの地上に来られたイエス様をひれ伏して拝み、宝の箱をあけて三つの贈り物をささげました。全人類を代表して、この地上で最も尊く思うもの、すなわち、黄金と乳香と没薬をささげたのです。しかし、この世のすべての物は朽ちてなくなるものなので、黄金、乳香、没薬も結局は朽ちてなくなるものです。しかし、贈り物を受けられたイエス様は永遠に変わらない、朽ちない永遠のいのちを私たちに下さったのですから、どれほど感謝なことでしょうか。それでは、三つの贈り物をささげた霊的な意味は、はたして何でしょうか?
1) 黄金の意味
東西古今を問わず人々が尊く思う黄金は、富と財産を象徴しています。また、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイ6:21)とあるので、黄金はまた、「心」を意味するとも言えます。
初めに神がアダムとエバを創造された時は、すべてが乏しいことなく豊かでしたが、アダムが神に聞き従わなかったので、呪われて貧しさと苦しみの中で生きるようになりました。したがって、イエス様は私たちの貧しさを贖ってくださるために、貧しい大工の息子として生まれて、家畜の飼葉おけに寝かされて、むしろ私たちを豊かにされました(第二コリント8:9)。
また、富の象徴である黄金を贈り物として受けられたイエス様は、誰でもイエス・キリストを受け入れればみな神の子どもとして永遠の天国を賜物として下さいました。ですから、イエス・キリストを受け入れる前は世の富と誉れを尊く思ったとしても、今は神の子どもになった人は永遠のいのちを慕って、美しい天国を持たなければなりません。
2) 乳香の意味
乳香とは、良い香りを放って悪臭を取り除いてくれるものであり、イエス様が全人類の汚れた、いやなにおいのする罪と悪を贖ってくださったことを象徴します。[マタイ23:27]に「あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように」とあり、[マタイ15:11]には「口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」とあって、どれほど人の心が汚れていて悪臭が出ているのかを教えています。このように神は心を見られる方なので、心そのものが清く美しく変えられ、キリストの香りを放つように願われます。ですから、乳香を贈り物としてささげた霊的な意味は、イエス様がすべての罪と悪の問題を贖ってくださり、聖められるように導かれるということです。
3) 没薬の意味
没薬は古代から芳香剤や防腐剤として使われました。その液体は香水、医療品、口腔の消毒などに使われ、死んだ人を葬るとき、朽ちないように振りまかれました。いくら贅沢をして生きた人でも、死ねば一握りの土に帰るものです。したがって、没薬を贈り物としてささげた霊的な意味は、イエス様がご自分を受け入れた人々、すなわち、その名を信じる人々に賜物として聖霊を下さり、これにより私たちの霊が生き返り、永遠に朽ちない御霊のからだで永遠のいのちを得るようにされるということです。
4. クリスマスの霊的な意味
イエス様を拝んで贈り物をささげた東方の博士たちは、人類を救うためにこの地上に来られたイエス様を全人類を代表して受け入れました。しかし、イエス様が何の条件もなくすべての人の救い主になられるのではありません。つまり、目を覚ましている人々の救い主になられる方なので、心の戸をあけてイエス・キリストを受け入れる人だけが、神の子どもとされる特権を得るようになるのです。
また、まことの神の子どもになろうとするなら、東方の博士たちが黄金と乳香、没薬を贈り物としてささげたように、神の子どもらしく黄金、すなわち、世の富、栄華、名誉を主の御前にささげて、天国への望みを持たなければなりません。そして、乳香、すなわち、私たちの心をすべて主にささげて、イエス・キリストの心構えで、キリストの香りを放たなければなりません。また、没薬、すなわち、私たちの朽ちてなくなる肉を完全に捨てて、朽ちない御霊に属するからだによみがえり、永遠のいのちを得なければなりません。
そのために神の子どもたちはみことばを信じて、祈って神に強くされるだけでなく、そのみこころに従って行なう人になって、神が備えられた天国と永遠のいのちを持たなければなりません。
したがって、クリスマスを迎えて、救い主になられるイエス様のお生まれを喜び、黄金と乳香、没薬が意味する霊的な意味を悟って、身と心と最善を尽くして神を愛し、隣人を自分自身のように愛しますように。それで、神が備えられた驚くべき祝福をあふれるように受けて、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2:14)と告白するクリスマスになりますように。
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