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聖書の学び
Title
第42課 義のために迫害された使徒パウロ
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-10-17
読むみことば: 第二テモテ4:7-8
覚えるみことば: 使徒20:24
教育目標
どんな迫害がやって来ても天国を望んで、信仰によって勝利する聖徒になる。
1. 使徒パウロの出生と神の召し
パウロはギリシア語で「小さい者」という意味ですが、使徒パウロは大使徒として、キリスト教史にあってひと際高くそびえる巨峰になりました。彼はキリキヤのタルソで生まれて、当時の有名な学者、ガマリエルのもとで、律法について厳格な教育を受けました(使徒22:3)。生まれて八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者で、きっすいのヘブル人でした。パウロは律法についてはパリサイ人で、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない人でした(ピリピ3:5-6)。当時、世界最高と言えるローマの市民権も持っていました(使徒22:26-28)。彼がガマリエルの門下で学んだことだけ見ても、彼の一族が裕福だったことがわかります。使徒パウロは、キリストを受け入れる前は熱心なユダヤ教徒で、「サウロ」という別名を持っていました。
当時、ユダヤ教徒はイスラエルをローマから解放してくれる救い主、すなわち、メシヤを待っていました。徹底したユダヤ教徒だったサウロは、多くの人がナザレという田舎町のある大工の息子をメシヤだと言ってついて行くので、怒りがこらえきれませんでした。自分なりに神を熱く愛していたので、神を冒涜する行為と思ったのです。
それで、彼はクリスチャンの迫害を指揮する権限を授けられて、聖徒たちを牢に入れて殺すとき、それに賛成の票を投じました(使徒26:10)。イエス・キリストを信じて福音を伝えるステパノに、石を投げつけて殺す現場にもいて、クリスチャンを迫害することに先立ちました。
ある日、大祭司の手紙を持って、ダマスコにいるイエスを信じる人々を縛り上げるために行く時のことでした。突然、天からまばゆい光が彼を照らして「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞きました。その方はまさに主でした。サウロは自分があれほど迫害したイエス様に出会った後、ダマスコに入って、三日の間飲み食いしないで、過ぎし日を悔い改めて、ただイエス・キリストだけに従って生きるようになりました。
2. 使徒パウロの苦しみと望み
使徒パウロは三次にわたる伝道旅行を通して、異邦の地に多くの教会を建て、世界宣教の基盤を作りました。このようになるまで、敵である悪魔・サタンにずいぶん妨害されたので、その道は決して平坦ではありませんでした。
[第二コリント11:23-28]に「私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。」とあります。
このように、彼は福音を伝えているうちに、何度もむちで打たれ、何度も死に直面し、牢にも数えきれないほど入れられました。これらの訓練によって、使徒パウロはさらに純金のような信仰を持つようになり、天の望みがあふれたのです。
それで、[第二コリント12:2]には「私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に――肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。――第三の天にまで引き上げられました。」と記されています。
このような霊的な体験は、ともすれば高ぶりになるので、使徒パウロは[第二コリント12:7]で「また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。」と言いました。
使徒パウロは数多くの訓練を通して、心の割礼がどれほど重要かを悟り、毎日が死の連続だと言うほど自分を捨てて、神の驚くべき御力を受けました。数多くの不思議としるしを行なって、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。」(使徒14:11)と言われるほど、神に栄光を帰しました。
[ローマ2:28-29]に心の割礼について書かれています。「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」
「割礼」とは、神と信仰の父アブラハムとの初めての契約で、生まれて八日になった男の子の包皮を切除する儀式のことです(創世記17:10)。神は、外見上のからだの割礼が重要なのでなく、心の割礼、すなわち、聖霊に助けられて、真理に外れたものを捨てて、聖なる心にならなければならないことを強調しておられます。
それで、使徒パウロは主にあって毎日が死の連続であることを誇り(第一コリント15:31)、「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」(第一コリント9:27)と言い、全き救いのために身を慎みました。結局、主のかたちに変えられた彼は、大胆に「私にならう者となってください。」(第一コリント4:16)と勧めたのです。
また、使徒パウロは「たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。」(ピリピ2:17)と告白するほど、愛があふれて天国の望みがあったので、どんな迫害が迫って来ても喜べました。それで、「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。」(ローマ9:3)と言い、ただ神のみこころだけを追い求めました。
天国の望みがあったので、最後まで信仰を守って、勇敢に戦って勝利した使徒パウロの告白のとおり、私たちも「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(第二テモテ4:7-8)と言えるようになるべきでしょう。
このような望みがあったので、使徒パウロは死に至るまで忠実であり、「主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思わなかった」のです(使徒20:24)。ですから、そのしわざに応じて、人に報いてくださる神を変わらず信じて、天国の望みを持って、どんな迫害がやって来ても勝利されますように。
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