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メッセージ >
聖書の学び
Title
第34課 持ち物を全部売り払って
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-08-22
読むみことば: マタイ13:18-23、13:44
覚えるみことば: マタイ13:44
教育目標
畑に隠された宝、すなわち、心にある天国を見つけて、持ち物を全部売り払って永遠の天国を得る。
1. 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。
イエス様は、天国の奥義を悟らせてくださるために、多くのたとえ話をされました。本文に「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。」とあります。ここで「畑」とは人の心を意味して、「宝」とは天国のことを言います。それでは、イエス様はなぜ天国を畑に隠された宝にたとえられたのでしょうか?
[マタイ13:18-23]では、人の心を地にたとえて、道ばた、岩地、いばらの地、良い地と説明しています。「道ばた」は、天の御国のみことばを聞いても悟れない心であり、「岩地」は、みことばを聞いてすぐに喜んで受け入れても、困難や迫害がやって来るとすぐにつまずいてしまう心です。「いばらの地」は、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない心であり、「良い地」は、みことばを聞いてそれを悟って、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ心です。
天の御国がまるで「隠された宝のようだ」とは、人の心の中に宝のような天国が隠されていることを意味します。すなわち、人は霊とたましいとからだで構成されていますが(第一テサロニケ5:23)、霊とたましいが目に見えないように、人の心の中に天国があるけれど隠されているという意味です。神は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込んで、人が生きものとなるようにされました。すなわち、人の主人の役割をする「霊」と、霊に支配される「たましい」、霊とたましいが宿る幕屋である「からだ」でできているようになりました。たましいとからだは霊の指示に従い、主人である霊が神と交わって万物を治めていたのです。
ところが、アダムが神に聞き従わなかったので、呪われて霊が死んでしまいました(創1:27-30、2:17)。「霊が死んだ」とは、霊が消滅してしまったということでなく、主人の役割ができなくなったという意味です。それで、霊が活動できなくなって、たましいが人の主人の役割をするようになりました。霊が生きていた時は、霊である神と交わって、神のみこころに従って生きていましたが、霊が死ぬと神と交わることができなくなりました。たましいが人の主人の役割をして、神を知ろうとしたがらないので、情欲を追って生きて、あらゆる不正を行ない、獣にも及ばないところにまで至るようになりました。
このように霊とたましい、からだの秩序が壊されて、人のすべきことが行なえなくて、人間らしく生きられなくなると、愛なる神はイエス・キリストをこの地上に遣わして、なだめの供え物として十字架につけて、血を注ぎ出すようになさいました。血を注ぎ出すことがなければ罪の赦しはないので(ヘブル9:22)、十字架の尊い血ですべての人類の罪を赦して、聖なる神の子どもとされる救いの道を開いてくださったのです。
つまり、イエス・キリストを救い主として受け入れれば、賜物として聖霊を受け、死んでいた霊が生き返って、神と交わるようになりました。霊が人の主人になってたましいとからだを治めるようになると、喜びが臨んで、人間にとってすべきことを行なって、天国を持つようになりました。したがって、死んでいた霊が生き返ったということは、畑に隠された宝を見つけて、心に天国が臨んで喜びがあふれるという意味です。
2. 宝を見つけると、持ち物を全部売り払って
[マタイ13:44]に「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」とあります。誰でも貴重な宝があることがわかったら、持ち物を全部売り払ってでもその畑を買って、宝を掘り出すでしょう。
それでは、「宝を見つけて、持ち物を全部売り払ってその畑を買う」とは、霊的にどんな意味でしょうか? 聖霊を受けた神の子どもは、御霊によって霊を生んでいき、神のみことばのとおり生きようとしますが、直ちに行なうことはできません。宝を見つけたからといって、直ちに宝を掘り出すのではなく、まず家財道具を売ってお金を用意して、その畑を買うようなものです。
したがって、「持ち物を全部売る」とは、みことばどおり生きるために罪と血を流すまで戦って捨てることを言います(ヘブル12:4)。たましいがこれ以上人の主人の役割ができないように、霊が主人の役割をしなければなりません。そのためにはたましいを砕いて、その中で動けないでいた霊が動き始め、よく成長できるように助けなければなりません。まるで、ひよこが鶏になるためには、皮を破って出て来るようなものです。また、神にふさわしくない肉の行ない(ガラテヤ5:19-21)と肉的なこと(ローマ13:13-14)など、神よりも愛していたすべてのものを捨てることです。さらに進んで御霊の人になって、神のご性質にあずかる者となり(第二ペテロ1:4)、キリスト・イエスの心をいだくことです。
私たちがイエス・キリストを受け入れて礼拝に参加すれば、神のみことばを聞くようになります。「愛しなさい、喜びなさい、感謝しなさい、平和を保ちなさい、節制しなさい、姦淫してはならない、盜んではならない、偽証を立ててはならない、むさぼってはならない」など、みことばによって神のみこころを悟り、祈りながら罪と悪を捨てるすべてのことが「持ち物を売る」ことです。
ある物を持とうとするなら、その主人に代価を支払わなければならないように、天国が入っている畑を買おうとするなら、天国の主人である神にその代価をささげなければなりません。つまり、神に霊とまことによって礼拝をささげて、時間と物質、奉仕などで献身し、罪と血を流すまで戦って捨てるなど、自分のすべての持ち物を神にささげれば、天国を得るようになります。
このように持ち物を売って、たましいを砕いて罪を捨てていけば、御霊の願うことに従ってみことばどおり生きるようになり、天国を持ち、世の光と塩になります。たましいが砕かれて霊が成長するほど、心の中に天国が臨み、それだけたましいに幸いを得てすべての点で幸いを得、 健康である祝福を受けます。
[マタイ5:3]に「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」とあります。「心の貧しい」とは、心の悪を捨てて心を無にしたということであり、持ち物を全部売り払って、畑に隠された宝を掘り出して、天国を持ったという意味です。私たちが教会に通うからといって、すべての人が天国を持つのではありません。ただ神のみこころを行なってこそ、天国に入れます(マタイ7:21)。
心の貧しい人は世と妥協しないで、ただ義のために生きるので迫害されますが、天国が臨んでいます。それで、[マタイ5:10]に「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」とあるのです。イエス様も、神のみこころを成し遂げるために十字架の苦しみにあわれて、使徒パウロやモーセ、エレミヤなど多くの昔の信仰の人々も、神の義のために迫害されました。このように義のために迫害された人は、持ち物を全部売り払ったので、永遠の天国で太陽のように輝く栄光が得られるのです。
3. 信仰によって持つ天国
畑に宝が隠されていることを信じるので、持ち物を全部売り払って畑を買ったように、天国は信仰によって持つのです。影があれば実体があって、実体があれば影があるように、本体である天国を持とうとするなら、影である心の天国を実現しなければなりません。主が再び来られれば、影だった天国が実体として現れて、永遠に天国を持つようになります。旧約時代にイエス・キリストの影があったので、新約時代にイエス・キリストが人として来られました。旧約の律法があったので、新約時代に愛で律法を全うされました。
「信仰は望んでいる事がらを保証し」(ヘブル11:1)とあるように、信仰によって天国を望んでこそ心に天国が得られて、その時こそ天国が自分のものになるのです。したがって、「信仰によって天国を持つ」とは、持ち物を熱心に売り払って、心に天国を実現していくという意味です。
愛する聖徒の皆さん、天国を持った人は、この地上ですべてを捨てたとしても、実は最も富んでいる人です。一方、天国が持てない人は、仮に名誉、権威、富、健康があったとしても、実は貧しくて何もないのと同じです。なぜなら、イエス・キリストにあっては必要なすべてのものがあって、そうでなければ世のすべてのものがむなしく、死ねば永遠のさばきがあるからです。
昔の信仰の人々が世の良いものをみな捨てた理由は、それよりはるかに価値のある宝を見つけて得るためでした。私たちも天国を見つけたのですから、みことばに逆らうことを捨てて、行ないのある信仰を見せなければなりません。心の中に宝のように持っている自分にこだわること、高ぶり、自尊心、真理に逆らうものをすべて売ってこそ、心の天国が実現できます。したがって、この地上のものに心を寄せずに、熱心に持ち物を売り払って、よりすばらしい天国を激しく攻めて行かれますように。
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