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メッセージ >
聖書の学び
Title
第29課 何でも求めるとおり答えられるには
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-07-18
読むみことば: 第一ヨハネ3:18-22、民数記23:19
覚えるみことば: 第一ヨハネ3:21-22
教育目標
何でも神に祈って答えられる方法と、祈っても答えられない理由を悟り、いつも答えられる聖徒になる。
1. 祈りの答えを約束された神
[第一ヨハネ5:14]に「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」とあります。神の子どもたちが世を生きていきながら大胆になれるのは、全知全能の神が祈りに答えてくださると約束されたからです。国の法を守れば制裁を受けないで自由に生きられるように、神の子どもが神のみこころにかなう願いをするなら、何でも答えられます。
[マタイ15:21-28]に、あるカナン人の女がイエス様の前に出て来て、願いに答えられる場面があります。ひどく悪霊に取りつかれている娘の問題で苦しんでいた女が直ちに答えられたのは、神のみこころのとおり求めたからです。この女はイスラエルの人でないのに、へりくだってイエス様の前に出て来て、神のみこころのとおり叫び声をあげて求め、最後まで信仰を見せたのです。
イエス様が「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」と言われると、悪霊に取りつかれている娘から悪霊が出て行って、娘はその時から直りました。このように、私たちが祈りに答えられるためには、ただ神のみこころにかなう願いをして、少しも疑わないで、最後まで信仰によって求めなければなりません。イエス様がほめられた百人隊長(マタイ8:5)や[マルコ1:40-42]に出て来るハンセン病者も、信仰を見せて答えられ、神に栄光を帰しました。
[民数記23:19]に「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。」とあります。また、[マルコ11:24]でも「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」と約束されました。
2. 祈っても答えられない理由
それでは、多くの人が祈っても答えられない理由は何でしょうか? それは、神との間を隔てる罪の壁があるからです。それでは、聖書から神に答えられない場合を調べてみましょう。
第一に、心に罪をいだいて祈る場合です。
[詩篇66:18]に「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」とあり、[イザヤ59:1-2]には「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」とあります。このように、罪と悪があれば敵である悪魔が祈りをさえぎるので、答えられません。神に自分の罪を徹底的に悔い改めれば、何でも求めるとおり答えられるようになります。
第二に、兄弟と不和のまま祈る場合です。
[マタイ6:12]で主が教えてくださった祈りは「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」です。また、[マタイ18:35]では「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」と言われました。したがって、私たちが罪を犯した兄弟を心から赦さなければ、自分も神に赦されないと悟らなければなりません。いくら祈っても神に届かなくて、答えが来ないのです。たとえば、夫婦の間が不和だったり、みことばに聞き従わないまま祈れば、祈りの答えが来ないので、まず和解してから、神に求めなければなりません。
第三に、欲をもって祈る場合です。
[ヤコブ4:2-3]を見ると、神の栄光のためでなく、肉の願いのための祈りは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うから答えられないことがわかります。たとえば、素直で勉強もよくできる子どもが、必要な物を買うからお金がほしいと言えば、親はいくらでも与えます。ところが、ふだんから生徒としてすべきこともしないで、親の言うことも聞かない子どもが、お小遣がほしいと言えば、ひょっとして悪い道に行かないかと心配してあげません。これと同じようなことです。
第四に、偶像礼拝をする者のために祈る場合です。
偶像礼拝は神が最も嫌われることです(エレミヤ11:10-11)。偶像を拝んで死の道へ向かったら、家庭、職場、事業など、肉的なことがうまくいっても、何の意味もないからです。したがって、偶像礼拝をする者たちのためには、このような肉的なことのために祈るのではなく、まずは彼らのたましいを救うために祈らなければなりません。
第五に、疑いながら祈る場合です。
[ヤコブ1:6-7]に、ただし、少しも疑わずに、信じて願ってこそ主からいただけると書いてあります。医学で治療できない病気や、人が解決できない問題であっても、疑わずに信じて願えば、神が答えてくださいます。それで、[マルコ11:23]に「だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」とあるのです。
第六に、神の命令を守らない場合です。
私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なえば、大胆に神の御前に出ることができ、求めるものは何でも神からいただくことができる、と書かれています(第一ヨハネ3:21-22)。神を愛するとは、その命令を守ることだからです。それで、[箴言8:17]に「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」とあるのです。
第七に、蒔かなかった場合です。
[ガラテヤ6:7]に「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」とあります。何も蒔かないで刈り取ることはできません。祈りで蒔けばたましいに幸いを得、物質で蒔けば物質の祝福を受けるようになります。奉仕で蒔けば健康になるなど、何でも蒔けば、その刈り取りもするのです。ですから、答えられるには信仰によって蒔かなければなりません。
3. 祈りに答えられるには
初めて信仰生活をする時は、生まれたばかりの赤ちゃんと同じなので、神のみこころがよくわかりません。赤ちゃんが泣けばすぐお乳を与えるように、神の御前に少しだけ求めても、すぐ答えてくださいます。そうするうちに徐々に神のみこころを知るようになれば、信仰によって行なってこそ答えが来て、神のみこころのとおり生きられなかった時は、悔い改めるにふさわしい実を結んでこそ答えられるようになります。神はまことにたましいを砕いて罪を告白すれば、恵みを下さって、闇から出て真理の中を歩むように助けてくださいます。
たとえば、潔白で正しかったヨブは、深刻な災いに遭うと、神を恨んで嘆きました。すると、本性に深く隠してあった悪が出て来ます。しかし、このような患難と苦しみの過程で神を見つけて、徹底的にたましいを砕いて罪を告白して霊の信仰を持ち、二倍の祝福を受けました(ヨブ42:5-10)。ヨナも神のことばに聞き従わなかったので、大きな魚の腹の中に閉じ込められる苦しみを味わいます。ヨナが魚の腹の中で悔い改めると、神は魚に命じてヨナを陸地に吐き出させ、彼の使命を果たすようになさいました(ヨナ2:1-10)。
愛する聖徒の皆さん、このように私たちがたとえ過ちを犯したとしても、立ち返るなら、神は試練や患難を退けて、さまざまな難しい問題も解決してくださいます。したがって、皆さんは神のみこころのとおり行なって、何でも求めることは全部答えられて、栄光を帰しますように、主の御名によって祈ります。
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