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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第12課「天の御国は激しく攻められている」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2015-09-25


読むみことば: マタイ11:12
覚えるみことば: マタイ11:12
参考にするみことば: マタイ13:31
教育目標: 愛なる神が備えられた美しい天国を信仰によって激しく攻めて所有するようにする。

オリンピックで優勝して、金メダルをかけた時の喜びは生涯最高と言えるでしょう。過ぎし日、骨身を削るような苦しくてつらい訓練によく耐え抜いた、涙と汗の実なのです。このように、ほんのつかの間生きるこの世でも、賞を受けるために自制して苦しみを耐え忍び、最善を尽くすのが見られます。まして愛なる神が備えられた永遠の天国を希望する聖徒たちはどんな生き方をしなければならないでしょうか。

1. 信仰によって激しく攻める天国

<マタイ11:12>に「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」とあります。天国は光である神の国なので、敵である悪魔・サタンが近づけない光の領域です。それなのに、誰があえて天国を激しく攻めて奪い取るというのでしょうか。これは、神の子どもたちが敵である悪魔・サタンと戦って勝ったので天国を所有するということです。また、聖徒たちの信仰が成長するほど、よりすばらしい天国に入れるようになるという意味です。
人は罪によって地獄に行くしかありませんが、誰でもイエス・キリストを信じれば、救われて天国に入れます。ところが、敵である悪魔・サタンは人が福音を聞けなくて主を信じられないように妨げます。聖徒であっても、虎視耽々と機会をねらい、どうにかして罪を犯すようにします。
このような敵である悪魔・サタンに打ち勝って、信仰の戦いを勇敢に戦って最後の勝利者になるには、どうすべきでしょうか。敵である悪魔・サタンが支配する罪と戦って血を流すまで抵抗して捨て、悪はどんな悪でも避けなければなりません。聖められてゆだねられた使命をよく果たすほど信仰が成長するので、よりすばらしい天国に入れるのです。

2. バプテスマのヨハネの日以来今日まで

イエス様は「天の御国が激しく攻められているのは、バプテスマのヨハネの日以来今日まで」と言われました。バプテスマのヨハネはイエス様が救い主の働きを全うされたように、その道を備える使命をゆだねられた人です。したがって、「バプテスマのヨハネの日以来今日まで」とは、イエス・キリストの時代、すなわち、信仰によって救われる新約時代を意味しているのです。
旧約時代は律法の時代であって、律法の行いによって救われました。必ず律法を守り行わなければならなかったし、守れなくて罪を犯した時は、罪のためのいけにえをささげてこそ赦されました。
一方、新約時代では、律法のとおり罪のためのいけにえをささげなくても、主イエスを信じれば救われます。主の尊い血によって罪が赦され、聖霊の力によって導かれて救いに至るからです。新約時代を聖霊時代、恵みの時代と言う理由がここにあります。
ところが、ある人はこれを誤解して、新約時代は恵みの時代だから、罪を犯しても口で「信じます」と告白すれば救われると思っています。はたしてそうでしょうか。新約時代では、行いで罪を犯さなくても、心に悪を抱いたこと自体でも罪が成立します。イエス様は「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」と言われました(マタイ5:28)。まして、行いで罪を犯せば、その罪がどれほど大きいでしょうか。 <ガラテヤ5:19_21>に「明白な肉の行いをしている者たち」すなわち、不品行、好色、 偶像礼拝、争い、そねみ、憤り、ねたみ、遊興など、行いで罪を犯せば、神の国を相続することはないとあります。私たちがイエス・キリストを受け入れて、神の子どもとされる特権を得たら、毎日信仰を成長させて、行為的な罪はもちろん心の悪まで捨てなければなりません。
それでは、旧約時代より新約時代に救われるほうが難しいでしょうか。そうではありません。旧約時代では自分の意志と努力で律法を守らなければならなかったとすれば、新約時代では自分の力ではなく、聖霊の力で罪を捨てて命令を守ることができるからです。
聖霊に助けられれば、神のみこころどおり律法を行って義人になっていきます。悪を行っていた人が善を行っていきます。行いで罪を犯さないだけでなく、罪の性質自体を捨てて聖められた人になっていきます。人は自分の力で罪を捨てられないし、変えられることもできません。ただイエス・キリストの尊い血によって可能であり、聖霊に助けられなければなりません。
たとえば、主を信じる前は酒、タバコをやめるのがとても難しかったのに、主を受け入れた後は、聖霊に助けられて簡単にやめたという証しをたくさん聞きます。私たちが主を受け入れて罪を捨てようと努力していくとき、聖霊の力が臨んで、行為的な罪はもちろん、心の中の罪の性質まで十分に引き抜くことができるのです。このように新約時代では聖霊に助けられるので、信仰によって救われて、罪を捨てることが決して難しくありません。

3. よりすばらしい天国を激しく攻めるには

私たちが天国を激しく攻めるとは、単に地獄に行かないで天国に入ることだけを意味するのではありません。天国もいろいろな段階に分けられていて、よりすばらしい場所を慕って、激しく攻めて入ることを意味します。
天国は見えない霊の天に属していて、霊の天はこの肉の天と次元が違う領域です。霊の天もまたいろいろな天に分けられます(ネヘミヤ9:6、第一列王8:27)。第二コリント12章を読めば、使徒パウロが「誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。」と証しをしています。2節では、使徒パウロの霊が「第三の天」にまで引き上げられたと言っています。「第三の天」があれば「第一、第二の天」もあり、それ以上の天も存在しうるということが推察できます。
いろいろな天の中で、パウロが言う「第三の天」は天国がある天です。そして、4節には「パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。」とあります。つまり、使徒パウロは天国がある第三の天の中でもパラダイスを見ましたが、これをとても語れないということです。
はたしてパラダイスとはどんな場所でしょうか。イエス様が十字架刑にあわれたとき、死の直前に主を受け入れたひとりの強盗のように、かろうじて救われた人が行く天国です。神のことばのとおり生きていたのでもなく、神の国のために忠実に働いたこともなく、報いのない人が行く所であって、天国の中でも最も低い段階の場所です。
ヨハネの黙示録21章には、使徒ヨハネが見た新しいエルサレムが記されています。天国で最も栄えある場所、すなわち、神の御座がある所です。心が聖められて、全家を通じて忠実な人だけが入れます。
このように、天国にはかろうじて救われた聖徒が入る最も低い段階の場所であるパラダイスがあるかと思えば、主に似せられて全く聖なるものとされた聖徒が入る最も美しい新しいエルサレムがあります。この他にもいろいろな場所があり、自分の信仰の量りによって天国の場所が決められます。
イエス・キリストを信じ、敵である悪魔・サタンを退けて、罪と戦って血を流すまで抵抗して捨て、真理の心に変えられるほど、よりすばらしい場所が所有できます。これがまさに天国を激しく攻めて奪い取るという意味です。
マタイの福音書13章に「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」とあります。
主を受け入れたばかりの聖徒の信仰はからし種のように小さいですが、その種を自分の心の地に蒔いて熱心に育てれば、風雨にもびくともしない、うっそうとした木のように大きい信仰に成長します。大きい木に多くの鳥が宿るように、信仰が大きい人は多くの人を抱けます。このように信仰が大きい人は数多くの人を抱いて祈り、霊的な成長を助けられるので、よりすばらしい天国に入ります。
この地上でいくら美しくて華やかで幸せなものを想像するとしても、天国で最も低い場所であるパラダイスの暮らしにさえも比べられません。まして神の御座がある新しいエルサレムの栄光と喜びをどうして言葉ですべて表現できるでしょうか。
私たちが天国について知れば知るほど、この地上のものがむなしいということを実感するようになります。この地上の生を終える瞬間、自分の天国の場所が決定されるということを悟って、機会を十分に生かして用いて、まめに天国を激しく攻めて新しいエルサレムに入る幸いな聖徒になられますように。


* まとめと適用
1.「天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」というみことばの意味は何でしょうか。

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2. 次の説明の中で正しいものを選んでください。
①「バプテスマのヨハネの日以来今日まで」とは、イエス・キリストの時代、すなわち、信仰によって救われる新約時代を意味する。
②天国はパラダイス、一天層、二天層、三天層、新しいエルサレムに分けられている。
③新約時代は恵みの時代なので、罪を犯しても救われることができる。
④罪と戦って血を流すまで抵抗して捨て、真理の心に変えられるほど、よりすばらしい天国の場所を所有することができる。


* 今週の課題
今回、罪を捨てて聖められるほど、よりすばらしい天国の場所を所有できることを学びました。それでは、それぞれの場所の特徴と授けられる天国の冠はどう違うでしょうか。『信仰の量り』などを読んで考えてきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう
「天の天」(ネヘミヤ9:6, 第一列王8:27)
神が創造された天は大きく四つに分けられる。
「第一の天」はこの地上に属する肉の世界のことを言う。「第二の天」は「空中」(第一テサ4:17)と表現されて、光の領域と闇の領域に分けられる。人間耕作に必要なエデンの園と主が空中に降臨した後に婚宴をする空間が光の領域なら、悪い霊どもがとどまる所が闇の領域である。「第三の天」は神の子どもが入る天国がある所である。パラダイスから新しいエルサレムに至るまで、いろいろな場所がある。「第四の天」は三位一体の神の場所がある所である。

 
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