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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第21課「みことばどおり行える信仰の三段階」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2015-06-12


読むみことば: マタイ7:24_25
覚えるみことば: マタイ7:25
参考にするみことば: 第一ヨハネ2:14
教育目標: 主を受け入れてから信仰がだんだん成長して、みことばのとおり行える信仰の三段階に至ればどんな特徴があるのか、具体的に調べてみる。


みことばをいくらたくさん知っていても、守り行わなければ信仰が成長できません。何としても守り行おうと努力するとき、神が上から恵みを与えて強くしてくださり、聖霊が助けてくださって、みことばどおり行えるようになります。
信仰の二段階では小さい者たちのようにみことばどおり行おうと努力しますが、行う時もあり、そうできない時もあります。しかし、何としても祈って肉の行いを捨てていけば、みことばどおり行える信仰の三段階に至るようになります。小さい者たちの信仰が強い若い者たちの信仰に成長するのです。



1. みことばどおり行おうと努力する信仰の二段階

信仰の二段階では行いで犯す罪、すなわち、肉の行いを犯す時もありますが、三段階になればこれ以上肉の行いは出て来ません。信仰の三段階からは、変えられた姿で世の中の光と塩の役割をします。たとえば、不当に非難されて責められても黙々と耐え、つらいことにあっても喜ぼうと努めます。自分の思いや考え方に合わなくても、相手の立場に立って、理解して仕えようと努力します。ですから、信仰の三段階にいる人は世の人々から「あの人は神様を信じているから何か違う」という言葉を聞きます。
信仰の二段階ではみことばを義務感から無理に守りますが、信仰の三段階になれば、神のみこころを悟って、心から湧き上がる行いが出て来ます。たとえば、完全に主日を守って十分の一献金をささげれば、祝福されて守られるということを悟ったので、そのとおり行います。
ところが、うわべで見てみことばどおり行うからといって、誰もが信仰の三段階だとは言えません。もし家族の機嫌を伺って、やむを得ず主日を守って十分の一献金をささげるなら、あるいは礼拝の間ずっと居眠りして、「早く家に帰ってサッカーの試合を見よう」と雑念にふけりながら礼拝をささげるなら、信仰の三段階とは言えません。蒔いて行ったことに対して、本人が思ったほど早く祝福が来なければ、後悔したり、不平不満を吐き出したりする場合も同じです。信仰の量りは、一つ、二つの外的な行いではなく、どれほどみこころを悟って心から信じているかで見分けることができるのです。
信仰の三段階では、心の罪の性質を捨てるために信仰の戦いを勇敢に戦うことが始まります。肉の行いをしないだけでなく、肉的なこともっぱら考えるのをやめていくようになります。罪の性質があればみこころどおり完全に従えないので、根を完全に引き抜く時まで勇敢に戦い続けなければなりません。



2. 信仰の三段階の入り口と信仰の岩

信仰の三段階の中でも、人によってその信仰が違います。信仰の三段階を1%から100%に分けると、100%に近いほど信仰の四段階に近いです。信仰の三段階に入ってみことばどおり行っても、初めは心に葛藤があります。つまり、肉の思いと御霊に属する思いとが戦うのです。神のみこころを悟って聞き従ってはいるけれど、心に罪の性質が残っているからです。それで、真理どおり行ってはいるが、善を追い求めようとする御霊に属する思いと、悪を追い求めようとする肉の思いが戦うのです。
信仰の二段階では、苦しみにあうとき、喜んで感謝しようと努力はしますが、結局勝てなくて不平不満を吐き出します。しかし、信仰の三段階では苦しみの中でも感謝して喜べます。かと言って、この段階で100%完全な喜びと感謝が出て来るのではありません。信仰の三段階の入り口なら、つらいことにあった瞬間、「あまりにもつらい」という肉の思いが働いて、気を落とすこともあります。けれども、すぐ聖霊の声を聞いて「いや、喜んで感謝しなければ。神様は生きておられるのに、私はなぜ気を落としているのか」と心を真理で固めます。
そうするうちに信仰の三段階の60%以上になれば、心から罪の性質がずいぶん捨てられた状態なので、みことばどおり行うのがあまり難くありません。肉の思いがあまり働かないからです。その分、罪の性質を捨てて信仰の四段階に近づいた証拠なのです。この時は、突然つらいことにあっても、気を落としたり、つぶやこうとする思いよりは、神により頼んで喜んで感謝しようとする思いが先に浮び上がります。ひょっとして一瞬「つらい」という思いがかすめても、すぐ感謝と喜びに変えることができます。
<マタイ7:24_25>に「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」とあります。
岩とはまさにキリスト(第一コリント10:4)を意味します。試練や患難によって信仰が揺るがないで、みことばどおり行えば、岩であるイエス・キリストの上に堅く立ったと言えます。
信仰の三段階の60%以上になれば、「信仰の岩」の上に立ったのです。信仰の岩の上に立てば、ある人に一瞬気まずい思いを持っても、直ちに御霊に属する思い、真理の思いに変えることができて、安らかな心で相手に仕えます。ですから、信仰生活がつらくないで、一日一日がうれしくて幸せです。信仰の三段階の70_80%になれば、信仰の岩に完全に立ったのであり、この時はみことばどおり行うことがまるで身についた習慣のように自然に出て来ます。
このように、信仰の三段階に入って肉的なことを一つ一つ捨てていって、四段階に近づくほど、神とさらに明らかに交わって、神の愛をさらに濃く感じます。この時は、いくら自分をつらくする人がいても、その人を愛することはできなくても、憎むことはありません。急にお金が必要なとき、道で財布を拾っても、「自分が使おうか。主人を探してあげようか」と葛藤しないで、すぐ主人を捜してあげます。ここからさらに進んで、どんな状況でも全く肉の思いが働かないで、直ちに善を追い求めて完全に喜んで感謝したら、ついに御霊の人の信仰、すなわち、信仰の四段階に至ることができます。



3. 信仰の三段階の聖徒が入る天国の場所

やっと救われた信仰の一段階の聖徒は天国の端である「パラダイス」に入り、みことばどおり行おうと努力する信仰の二段階の聖徒はパラダイスよりは良い「一天層」に入ると言いました。みことばどおり行える信仰の三段階の聖徒は一天層より良い「二天層」に入るようになります。
二天層に入れば、多世帯住宅のような家が与えられる一天層とは違って、独立した住宅が与えられます。一階建てですが、この地上のどんな華やかな邸宅や別荘とも比べられないほど、勇壮で美しく、かぐわしい花や木々で飾られてあります。
そして、最も欲しい付属施設一つを自分のものとしていただきます。もし美しい湖が欲しいなら湖を、プールが欲しいならプールを持てます。自分にない付属施設は他の人の家に行って使っても、互いに幸せです。
また、ひとりひとりの家には表札があって、そこには天国の文字で主人の名前とこの地上で仕えた教会の名前が一緒に彫られています。神に愛される教会で信仰生活をしたとすれば、それほど栄光と誇りが加えられます。
それでは、神が信仰の三段階の聖徒に備えてくださった冠は何でしょうか。彼らはみことばどおり行い、使命をよく果たして神に栄光を帰したので、「栄光の冠」が与えられます(第一ペテロ5:4)。
たとえば、前は些細なことにも憤りましたが、「教会に通ったら性格がやわらかくなった」と家族や周りの人々からもほめられます。このように言行が真理に変えられれば、それ自体が光になって、人々がそれを見て神をあがめるようになります(マタイ5:16)。
二天層に入る人々は、自分が行ったことと比べられない栄光の冠を報いとして下さった神に感謝があふれます。しかし、「心の罪の性質まで捨てて、完全に聖められたなら、どんなに良かったか」ともどかしく残念に思います。
したがって、みことばのとおり、罪と戦って血を流すまで抵抗して捨て、悪はどんな悪でも避けて聖められ、自分に与えられた使命を完全に果たして、よりすばらしい天国の場所を激しく攻めていかれますように。



* まとめと適用

1. ( )の中に正しい言葉を入れてください
信仰の三段階の( )なら、つらいことにあった瞬間「あまりにもつらい」という肉の思いが働いて、気を落とすこともある。しかし、信仰の三段階の( )%以上になれば、突然つらいことにあっても、気を落としたり、つぶやこうとする思いよりは、神により頼んで喜んで感謝しようとする思いが先に浮び上がる。
進んで信仰の三段階の(  ~  )%になれば、信仰の岩の上に完全に立ったのであり、この時はみことばどおり行うことがまるで身についた習慣のように自然に出て来る。

2. 次の中で信仰の三段階に該当するものを選びなさい。
①三天層 ②栄光の冠 ③表札 ④一階建ての個人住宅

3. 信仰の三段階の聖徒に与えられる天国の場所と冠は何でしょうか。
( )と( )



* 今週の課題

次回は御霊の歩みに入った父たちの信仰、四段階について学びます。<第一テサロニケ5:16_18>を読んで、自分がどれほどそのとおり行っているのか考えてきましょう。



* 「用語」を知って力にしましょう

「肉的なこと」とは
憎しみ、ねたみ、高ぶり、さばくこと、姦淫など、まだ行ってはいないが、いつかは誘発されて行いとして現れる可能性がある、真理でない属性のことを言う。目には見えないが、心の中に内在している罪の性質を一つ一つ分類したものである。

 
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