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メッセージ >
聖書の学び
Title
第9課「何をしてほしいのか」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2014-03-14
読むみことば: マタイ20:20_23
覚えるみことば: マルコ11:24
参考にするみことば: ヤコブ1:6_8
教育目標: 全知全能の神の御前に信仰によって求めて、何でも答えられる聖徒になるようにする。
全知全能の神は子どもたちの願いに答えて、子どもたちとまことの愛を分かち合うことを望んでおられます。子どもに「何をしてほしいのか」と聞いて、その願いに答えてあげることを喜ばれるのです。最も良いものを与えたいと望んでおられる神に求めれば、答えていただけるので、神の子どもたちはつらいことがやって来ても、恐れることがありません。それでは、私たちが求めるものは何でも答えられるためには、どうすべきでしょうか?
1. 誰でも神のみこころのとおり行ってこそ答えられる
[マタイ20:20_21]で、ヨハネとヤコブの母がふたりのこどもたちといっしょにイエス様のもとに来ます。そこで、イエス様が「どんな願いですか。」と聞かれます。すると、彼女は「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」と願います。それほどの権限を持った方だと信じたので、高い座を求めているのです。
それでは、彼らはイエス様のどんな姿を見たので、このような要求をしているのでしょうか? イエス様の驚くべき教えと真実な行いを見たし、また、イエス様が施された不思議としるしは人としてはできないことだったので、信じられたのです。
聖書を読めば、イエス様はガリラヤのカナの婚礼の祝宴で水でぶどう酒をお作りになり(ヨハネ2章)、生まれつきの盲人の目が見えるようにされ(ヨハネ9章)、おしの霊につかれた子どもをいやしてくださいました(マルコ9章)。また、死んでから四日にもなった、墓の中に葬られたラザロを生き返らせたりもされました(ヨハネ11章)。五つのパンと二匹の魚の奇蹟を施したり、水の上を歩いたりもされました(マタイ14章)。
それでは、イエス様が不思議としるしを行われたまことの目的は何でしょうか? それはすべての人を永遠のいのち、すなわち、永遠の国、天国に導かれるためでした。弟子たちはイエス様について回りながら、幾度も天国について聞いて学んだし、神の子であるイエス様の権威が天国でどれほど大きいかも知っていたし、イエス様に求めるものは何でも答えられるとも信じました。
それで、ヨハネとヤコブの母はイエス様のもとに来て、ふたりの息子が天国で偉い人になれるようにお願いながら、約束をいただこうと思いました。この時、イエス様は「わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」と答えられます。つまり、イエス様がある人をすわらせるのではなく、誰でも父のみこころどおり行って、それにかなう資格を備えてこそすわれるということです。
2. 何を求めようが、信仰によって求めてこそ答えられる
今日、多くの人が神を捜しています。ある人は自分でどうにもできない何かの問題にぶつかったとき、神の御前に来て頼ります。神の存在を認めて、慕いあえいで来る人がいるかと思えば、いろいろな病気で死ぬしかないところでいやされようと来る人もいます。伝道されて、単なる好奇心から来る場合もあります。
したがって、主が「何をしてほしいのか」と聞かれるなら、それぞれ求めるものが違います。神がまことの神であるという証拠を見せてほしいと求める人もいて、「病気がいやされたいです」と告白する人もいます。
聖書にも、神がまことの神であるという証拠を求めた人がいます。士師記6章を読むと、カナンの地に入ってきたイスラエルの民がミデヤンに略奪されて苦しむと、神がギデオンにイスラエルを救う使命を下さいます。
ギデオンはミデヤン人からのがれて、小麦を打っていた者でしたが、自分がそのような使命をゆだねられるほどの資格があるのか疑わしくて、神に二つのしるしを求めます。まず「私は打ち場に刈り取った一頭分の羊の毛を置きます。もしその羊の毛の上にだけ露が降りていて、土全体がかわいていたら、あなたがおことばのとおりに私の手でイスラエルを救われることが、私にわかります。」と祈りました。寝て起きてみると、はたして羊の毛の上にだけ露が降りていました。ギデオンはより確かにするために、今度は反対にしてくださいと祈りましたが、はたして羊の毛の上だけがかわいていて、土全体には露が降りていました。
このように神は求めるとおり答えられて、まことの神であることを証しされます。人としてはどうできないさまざまな問題で神を捜す場合にも、神は答えをもって働かれます。エジプトから出てきて葦の海の前に立ったモーセは、完全武装したエジプト軍がイスラエルの民に向かって突撃して来ると、主を呼び求めて祈ります。そして、神が命じられたとおり、杖を上げ、手を海の上に差し伸ばしたら、葦の海が分けられて陸地になって、イスラエルの民が無事に渡れました。このように神は全知全能の方であるので、ご自身の子どもたちが信仰を見せて祈れば、どんなことでも働いてくださいます。
病気がいやされるためにイエス様のみもとに来た場合としては、自分のしもべの中風がいやされるためにイエス様のもとに来た百人隊長(マタイ8章)、十二年の間長血をわずらっていてイエス様を訪ねて来た女(マタイ9章)、自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエス様のもとに来たスロ・フェニキヤの女(マルコ7章)が挙げられます。彼らは信仰を行いによって見せて、ただちに答えられました。
百人隊長は信仰の告白だけでも答えられました。イエス様はしもべを愛する百人隊長の美しい心をご覧になって「行って、直してあげよう。」と言われると、百人隊長は驚くべき信仰の告白をします。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」(マタイ8:8_9)と言ったのです。
イエス様を完全に信頼して、その御前で従おうとする信仰を持っていた百人隊長の告白を聞かれたイエス様は「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」と言われると、ちょうどその時、そのしもべはいやされました。このように信仰によって神のみもとに来れば、求めるものは何でも答えられるのです。
3. 何を求めても答えられない理由
全知全能の神の御前に来たのに、答えられない理由は何でしょうか? 最も大きい理由は、完全に信じられなくて疑って二心のある人だからです。
[ヤコブ1:6_8]に「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。」とあります。したがって、神に答えられようとするなら、疑わない信仰を見せるべきであり、どのようなことにあっても、ただみこころのとおり喜んで感謝して祈れなければなりません。
神を信じられなくて疑う人は、何かの試練や患難がやって来れば、神を恨んだり、神はいないと言って嘆いたりしながら、最後まで信仰を見せられません。そして、「私が祈って断食しても神様が答えてくださらないからつぶやいて恨むのであって、答えてくだされば、私がなぜ恨んでなげいてつぶやくだろうか」と言い訳をします。
エジプトから出てきたイスラエルの民がそうでした。恨んでつぶやいた出エジプト第一世代は信仰を見せられなかったので、カナンの地に入れなくて、結局荒野で死んでしまいました。
ある人は信仰が少なく見えるのに答えられます。それは、答えを与えても、その心が変わらない心であることを神がご存じだからです。ある場合は神を裏切ることをご存じでありながらも、答えてくださることもあります。それは後日、その人が神の御前で言い訳できないようになさるためです。このような人は神がさばきの日に「私があなたにこのように答えてあげたが、あなたはこのような答えを見てもわたしを知らないという人になったので、どうして救いを得ることができるだろうか」と正しいさばきをなさるためです。
また、神は人によって答えをお与えになる方法が違います。ある人にはただ一度で答えられ、ある人には少しずつ答えられます。そのような過程を通して、信仰の岩の上に立てるようにしてくださるためです。ただ一度で答えてくだされば、その人の心が変わることもあるので、悟れるように変えられた分、少しずつ答えをお与えになります。それで、信仰が育っていくほど、信仰に応じて答えられるのです。
神は何でもおできになる全知全能の方です。ただし、答えられるか答えられないかという問題は、私たちの心にかかっています。したがって、私たちは神を信じ、まことの信仰を持って、行いを見せなければなりません。
* まとめと適用
信仰を見せて神のみわざを現した聖書の人物の名前を( )の中に書いてください。
1. 自分が小犬扱いされても、最後までへりくだった心と信仰を見せて、ついに悪霊に取りつかれていた娘がいやされた。 ( )
2. 三百人の勇士で、いなごのように大ぜいで、海辺の砂のように多くて数えきれないミデヤンとアマレクの連合軍に打ち勝ったさばきつかさである。( )
3. イエス様に「ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。」という驚くべき信仰の告白をして、中風のしもべが直された。( )
* 今週の課題
人は復讐することが正しいと思いますが、神は私たちに自分で復讐しないように言われます。その理由は何でしょうか? 次回までに考えてきましょう。
* 「人物」を知って力にしましょう!
「ギデオン」
ミデヤンは士師時代にイスラエルを七年間圧制した民族である。神はミデヤン人からのがれて小麦を打っていたギデオンを召されて、イスラエルを救おうとされる。そこで、ギデオンは神が自分をイスラエルを救う者として召されたというしるしを二回にわたって見せられて、確信するようになる。神はギデオンと彼の三百人の勇士がいなごのように大ぜいで、海辺の砂のように多くて数えきれないミデヤンとアマレクの連合軍に打ち勝つようにされた。
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
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