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メッセージ >
聖書の学び
Title
第15課 「神に喜ばれる信仰の五段階」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2010-04-16
読むみことば: 第一ヨハネ3:21-22
覚えるみことば: ヘブル10:22
参考にするみことば: ヨハネ4:48、マルコ16:17-18
教育目標
神に喜ばれる信仰の五段階の特徴について調べる。
昔話に出てくる孝行息子、娘たちを見れば、その行ないがまことに感動的です。病気になった親のためにあらゆる薬を使ってみても効き目がなく、あげくの果てには自分の指を切ってその血を飲ませて親の命を生かすかと思えば、60歳になっていても、80歳の老母のために子どものように踊って喜ばせました。このような子どもならば、親の言うことに従って愛する次元を超えて、親に喜ばれる子どもと言えます。
同じように、主をこの上なく愛する信仰の四段階を過ぎて、信仰の五段階に入れば、その愛の次元がもう一段階変わります。単に主を愛して命令に従う次元ではなく、神のみこころを推し量って従い、神に喜ばれるのです。それで、信仰の五段階を「神に喜ばれる信仰」と表現します。
1. 神に喜ばれる信仰を持てば
<詩篇37:4>に「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」とあるように、私たちが神に喜ばれば、何でも求めるとおり答えられ、心の願いまでもかなえられます。
教会を開拓した当時、手持ちのお金がたった7千ウォン(約7百円)しかなかったのですが、神に信仰によって祈ったら、25坪の建物を借りて、開拓礼拝をささげられるように神は働かれました。また、民族福音化と世界宣教を大いに実現する夢とビジョンを持って祈ったら、驚くほどリバイバルしたと同時に、財政も押しつけ、揺すりいれ、あふれるまでに祝福してくださいました。
このように、神に喜ばれる完全な信仰を持てば、どんなことでもできるのです(マルコ9:23)。また、<申命記28章>に記されているように、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福され、貸すであろうが、借りることはないし、かしらとなる祝福が臨み、<マルコ16章>に記されているように、信じる人々に伴うしるしが現れます。
聖書には、神に喜ばれる者と称賛された昔の人々について記されています。<ヘブル11章>にあるエノクは、65歳で聖められて、全家を通じて忠実だったので、神に喜ばれていることが、あかしされていました。そうして、三百年、神とともに歩んで愛を分かち合い、365歳で死を見ることのないように天に移される祝福を受けて、神の御座の近くにとどまる者になりました。エリヤも、神に喜ばれる信仰を持って、生ける神を伝えて、驚くべき力あるみわざを現わして数えきれない魂を救ったので、死を見ないで天へ上って行きました。
2. 信仰の五段階の特徴
1) 自分のいのちを捨てられる全き信仰
みことばどおり生きていく人は、イエス様が教えてくださったとおり、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして神を愛し、隣人を自分自身のように愛して、神に喜ばれます(マタイ22:37-40)。このように、神に喜ばれる信仰の五段階は自分のいのちを惜しまず、主のために喜んで捨てられる全き信仰なので、キリストの信仰、完全な霊の信仰と言います。
イエス様は神のみこころに従って、十字架につけられて死なれ、復活の初穂になられただけでなく、天に昇って神の御座の右に着座されました。これは、従う次元を超えて、いのちをささげるまで、神に喜ばれるために完全に自分を犠牲にする信仰だったからです。
教会の歴史を調べてみれば、イエス様のように、神のみこころのために自分のいのちを惜しまずささげた昔の信仰の人々がたくさんいます。ペテロは十字架に逆さにつけられて死に、ヤコブは刃物で首を切られたし、ヨハネは沸騰している油の窯に投げ込まれたが、死なずにパトモス島に流されました。ローマのコロセアムで賛美を歌いながらライオンの餌食になった人々、地下の共同墓地カタコンベで、一生日の光も見られないまま、信仰を守って死んでいった人たちもいます。このように、いのちも惜しまない初代教会の殉教者たちによって、世界宣教はすみやかに進められました。韓国も殉教者たちによって福音が宣べ伝えられました。
2) ただ神のみこころどおり行なう、完全な霊の信仰
<第一テサロニケ5:23>には「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」とあります。「全く聖なるもの」とは、完全にキリスト・イエスの心構えでいる状態を言います。つまり、聖書66巻に記されているみことばを完全に悟って、心が真理そのものになったので、完全に聖霊の声を聞いて、神のみこころどおりだけに生きていく、完全な御霊の人であり、全き信仰の人なのです。
私たちが罪と戦って血を流すまで抵抗して罪を捨て、心が聖められれば、御霊の人になって、キリスト・イエスの心構えでいるようになります。また、御霊の人が聖書66巻に記されているみことばを武具として身につけていけば、心だけでなく生活の中にも真理が完全に臨みます。したがって、このような信仰を全き信仰と言い、完全な霊の信仰、キリストの信仰とも言います。<ヘブル10:22>に「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」とありますが、真心を持てば全き信仰が持てるのです。
3) 数えきれない祈りを積んで、しるしと不思議が現れる信仰の段階
真理が心の中に完全に臨んで、全き信仰を持てば、神に喜ばれるようにみこころに完全に従って生きていこうと、数えきれない祈りを積むようになります。神が全世界より尊く思われる魂を救おうとすれば、神の力を受けて強くされなければならないからです。イエス様が十字架にかかって死なれたのは、罪のために死の道をさまよっている魂を救って、神のまことの子どもになるようにするためでした。
ですから、神に喜ばれる信仰の五段階に入れば、「どうすれば多くの魂を救って父の国と義を実現しようか」といつも探り窮め、燃え上がる心を行ないで現します。それで、上から神の力を受けて強くされ、自分に任された使命を完全に果たす次元を超えて、他の使命までも果たし、神に喜ばれます。
それでは、私たちがどうすれば多くの魂を救うために力を受けられるでしょうか? 絶えず祈って、神から力を引き下ろさなければなりません。魂の救いは人のことばや知識、経験や名誉、権威によってできるのではなく、ただ神が授けてくださる力によってだけでできるからです(第一コリント4:20)。したがって、信仰の五段階では、数多くの魂を神のふところに導ける力を受けるために、熱い心で数えきれない祈りを積むようになるのです。
このように熱い愛の心を持って、神の力を受けるために数えきれない祈りを積めば、しるしと不思議が完全に現れて、神に喜ばれる信仰を持ったと認められます。<ヨハネ4:48>で、イエス様が「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」と言われ、公生涯の間、数多くのしるしと不思議を現されました。これは、生ける神を証ししながら、多くの人々に信仰を植えつけやすいからです。
ここで「しるし」とは、人が行なえる限界を超えて、神の力が現れることです。たとえば、見えない人が見えて、聞こえない人が聞こえて、歩けない人が歩くようになるなどのみわざです。<マルコ16:17-18>では、信じる人々に伴うしるしは大きく五つに分けられていますが、これについては第17課と第18課で具体的に調べます。
次に「不思議」とは、神のみわざのうち、天気を動かすことで、おもに気象現象と関係があります。雲を動かして雨が降るようにしたり、止むようにしたりすること、天体を動かすことなどを言います(第一サムエル12:18;第二列王20:11;ヤコブ5:17-18)。
このように愛の神はみこころにかなう人々を用いて、目に見えるしるしと不思議を現して、数多くの人々を救いの道へと導いておられます。したがって、聖書に記されているみことばを完全に信じて、神に喜ばれる信仰を持つためにさらに努めますように。
* まとめと適用
1. <ヘブル10:22>をみんなで覚えてみましょう
2. 信仰の五段階についての説明で、間違っているものを選んでください。
①神に喜ばれる信仰である。
②不思議としるしが伴う。
③キリスト・イエスの心に完全に似せられた状態ではない。
④自分のいのちを捨てられる全き信仰である。
3. 信仰の五段階に伴う五つのしるしとは何でしょうか?(マルコ16:17-18)
* 今週の課題
「全家を通じて忠実な者」とは聖書のどこに書いてあるでしょうか? また、それはどのような意味でしょうか? 考えてきましょう
* 「用語」を知って力にしましょう!
「カタコンベ」とは?
もともとは教会の地下共同墓地のこと。初期キリスト教時代、クリスチャンたちはローマ皇帝の迫害を避けて殉教者たちをそこに葬って、ここで礼拝をささげ信仰を守った。小アジア、北アフリカ、南イタリアなどにもあるが、ローマ郊外のサン・カリストのカタコンベが最も有名である。
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