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メッセージ メッセージ > メッセージ
メッセージ
Title
   2012 年新年祈祷課題(1) - 祝福  
Speaker
   
Bible
   ヨハⅢ 1:2
Date
   2011-12-31


[本文]

[第三ヨハネ1:2]
「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」


[序論]

愛する聖徒の皆さん、2011-2012年新旧送迎礼拝をささげるまで、私たちを導かれた父なる神様に、すべての感謝と栄光をお帰しします。きょうこの幸いな場にご一緒にされた皆さんを、主の御名によって歓迎します。全国と世界の各地から来られた主のしもべと聖徒の皆さんに感謝し、GCN放送とインターネットを通して礼拝に参加しているすべての方にも感謝いたします。
2011年一年間、各分野で神の国と魂のために労苦して献身されたすべての方に、感謝の言葉を申し上げます。きょうこの時間、ご一緒されている皆さんのすべてが父なる神様が備えられた驚くべき祝福をみな受けて味わいますよう、私たちの主イエス・キリストの御名によって祈ります。
愛する聖徒の皆さん、私たちはこの地上で耕作を受けて信仰生活をしている間、それぞれイエス・キリストという土台の上に働きを建てていきます。ここで「働き」とは、「心を込めて積み上げたもの」を意味します。私たちがどれほど心と思いと力を集めて、神の御前に積み上げたのか、ということです。
したがって、私たちが信仰生活する間、どれほど最善を尽くして神のことばどおり生きて、どれほど神の国のために忠実だったかによって、イエス・キリストという土台の上に建てた働きが変わります。
[第一コリント3:12]を見ると、このように建てた働きをそれぞれ金、銀、宝石、木、草、わら、このように六つに分けて説明しています。そして、続く[13-15節の前半節]に「各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、」とあります。「その日」に神が各人の働きがどうなのかを試して評価を下されるとき、その働きによって報いを受けたり、反対に損害を受けたりもする、という意味です。
このように評価される日のうち一つが、まさに一年の終わりの日です。教会では今年の評価がすべて終わりましたが、神のほうからも一年を終えるきょう、2011年に皆さんが建ててきた働きを評価されます。
それなら、父なる神が評価されるとき、皆さんの働きは金、銀、宝石、木、草、わらのうち、どれに当たるでしょうか? 「よくやった」と評価される方もいるけれど、「物足りない」と評価される方もいるでしょう。
ところが、仮に「物足りない」と評価された方でも、挽回する機会が残っているので、どれほど感謝なことでしょうか。2011年一年に対して評価される日はきょうですが、皆さんの人生全体に対して評価される「その日」、すなわち、私たちが審判台の前に立つ日までは、まだ時間が残っているからです。
したがって、きょうの送迎礼拝を通して、もう一度決断して新しく始めますように。それで、この地上の信仰生活全体を評価される「その日」には、すべての皆さんが「金」の働きを認められますよう、主の御名によって祈ります。


[本論]

愛する聖徒の皆さん、この時間、2011-2012年送迎礼拝では、父なる神様が2012年、本教会に下さった四つの祈祷課題のうち、第一の「祝福」というメッセージが伝えられます。
この世に「祝福がありますように」と言うと、嫌がる人はたぶんいないでしょう。しかし、各人が思う祝福の概念はそれぞれ違うこともあります。ですが、衣食住の問題で心配しないで、子どもたちもよく成長したし、家族みんなが健康で、これに富と名誉と権威まであるなら、世の人々はほとんど「祝福された」と思うでしょう。
けれども、この世にこれらすべてを受けている人がどれほどいるでしょうか? 仮にうわべではこのすべてを受けていても、内面では自分が持っているものを失うかもしれないという心配、憂い、不安があって、死に対する恐れも持って生きていきます。
それなら、はたして「まことの祝福」とは、どんなものでしょうか? 何より最も大きい祝福は、永遠のいのちを得る祝福です。まさに、救われて天国に行く祝福です。この永遠のいのちの祝福が前提になってこそ、他の祝福も意味があります。永遠のいのちという祝福を受けていないなら、いくら富と名誉と権威を味わって、たとえこの地上で願うものを全部得たとしても、それに何の意味があって、価値があるでしょうか。
しかし、反対に、この地上では何も持てなくて、受けていなかったとしても、この地上の人生を終えた後に主のふところにいだかれるなら、これこそ最も大きい祝福であることを知らなければなりません。
聖書には、まさにこの永遠のいのちの祝福を受ける明らかな道が提示されています。イエス・キリストを救い主として受け入れて、神を恐れて、その命令と戒めを守り行って生きていくことです。
ところで、このように行なう人には、神が永遠のいのちの祝福とともに、行なったわざに応じて、この地上でも報いてくださいます。将来、天国で報いてくださることはもちろん、この地上でも祝福を味わうようにしてくださるのです。
このようにこの地上でもすべての祝福をいただける道が、きょうの本文に提示されています。「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」とあります。皆さんのたましいに幸いを得ていると、すべての点でも幸いを得る祝福、すなわち、何をしても栄える祝福と健康である祝福をいただく、という意味です。このみことばを本当に信じるなら、当然、優先的にたましいに幸いを得るために努力するでしょう。
今日、教会に通う多くの人が神の御前に祝福を求めます。事業の祝福、健康の祝福、子どもの祝福、その他、この地上で生きていく時に必要な祝福を求めます。ところが、いざというと、この全部の祝福がいただける道、すなわち、たましいに幸いを得る祝福を求める人はそれほど多くないようです。
それでは、「たましいに幸いを得ている祝福」とは、どんなものでしょうか? これはひと言で言って、霊が主人になり、たましいとからだを支配して従わせて、たましいとからだは霊に従うことを言います。
人は本来、霊、たましい、からだで造られました。初めに神のいのちの息が吹き込まれていたアダムは、霊が主人になって、たましいとからだを完全に支配していました。しかし、アダムが罪を犯してからは、霊が死んでたましいが代わりに主人のようになりました。
このたましいは世の支配者である敵である悪魔・サタンの支配を受けます。言いかえれば、敵である悪魔・サタンは人のたましいを通して、人の心を罪で染まるようにして、世の情欲を追い求めて生きるようにします。このように人々が罪に染まってから、涙、悲しみ、苦しみ、病気、不幸、死など世のあらゆる困難と痛みを体験するようになります。
神はこのような人の子らをただ放っておかれたのでなく、ひとり子をこの地上に遣わされて、死んでいた霊が生き返る道を開いてくださいました。
誰でもイエス・キリストを救い主として受け入れるなら、心の中に聖霊が来られ、死んでいた霊を生き返らせます。しかし、霊が生き返ったからといって、それで全部終わったのではありません。生き返った霊が成長し続けなければなりません。霊が生き返ったとしても、まだ相変わらずたましいの力のほうが強いです。敵である悪魔・サタンに支配される、真理に逆らう心のほうが多いからです。
したがって、霊が生き返った後は、その霊がよく成長するようにしなければなりません。その方法は、熱心に神のことばに聞き従って、守り行なっていくことです。心におられる聖霊がつかさどるとおり、御霊の願いに従って、真理の中、光の中を生きていかなければなりません。そうすると心に御霊の実が結ばれて、霊はだんだん成長するようになります。ついには霊の力のほうが強くなって、敵である悪魔・サタンに支配されるたましいに勝ちます。つまり、たましいが支配する真理に逆らう心でなく、霊が支配する真理の心に従うようになるのです。
この過程では、霊とたましいの力が同じくらいで、五分五分になっている時もあります。敵である悪魔・サタンは何としてでも人のたましいに働きかけて、再び世に、闇と情欲に陥らせようとします。一方、霊は御霊の願いに従って、光と真理の中に出てくるように働きます。このように霊とたましいが戦う過程では、時には「つらい」と思うこともあります。ですが、弱い私たちを助けてくださる御霊に頼り、再び元気を出して、御霊の願いに従っていけば、結局、霊がたましいを支配して従わせるほど成長します。
この時からは、それ以上心の葛藤もなく、信仰生活がつらいとも思いません。ただ御霊の願いに従って、霊が働きかけるとおり、たましいとからだが従うからです。それからは平安のうちに信仰生活ができるのです。
こうしてたましいに幸いを得ている人は、聖霊の声と働きにすぐ聞き従います。聖霊はすべてをご存じなので、最も栄えて祝福された道に導きます。このように聖霊に導かれる人は、この地上で何をしようが、どこへ行こうが、すべてが栄える祝福をいただくのです。事業をしてもうまくいき、職場でも認められて何をしようが栄える道に導かれます。[申命記28章]で約束されたように、入るときも祝福、出て行く時も祝福、貸すであろうが借りることのない祝福、かしらになる祝福など、すべての祝福をいただきます。
また、たましいに幸いを得ている人には、病気やわずらいが起こりません。病気の原因である罪を犯さないから、病気にかかるはずがありません。たとえ自分の不注意によって病気になったとしても、信仰によって祈れば、直ちに離れます。このように皆さんのたましいに幸いを得るようになると、すべてのことが栄えて、健康である祝福が伴います。
これは皆さんがこれまで信仰生活をしながら、確かに見て聞いて体験したことです。まさに私自身がたましいに幸いを得ると、どんな祝福が伴うのかを見せている証拠です。必ずしも私だけでなく、御霊の歩みに入って、全く聖なるものとされた多くの方も同じです。まだ御霊の歩みに入ってこなくても、たましいに幸いを得ているほど祝福が臨むということを体験した方が、この教会には数えきれないほど多いです。
ところで、父なる神は2012年度に、まさに「たましいに幸いを得ているように、すべての点に幸いを得、また健康であるように祈る」というきょうの本文のみことばをもって、「祝福」という祈祷課題を宣言するようにされました。
これには父なる神の奇しい摂理があります。2012年度は、それこそ聖徒ひとりひとりだけでなく、教会にも祝福が臨む年です。これまでも祝福についてのみことばを下さいましたが、今回、祈祷課題として下さった「祝福」は次元が違います。祝福される器の準備ができたので、新年は祝福がそのまま臨む年になるので、これから思いきり求めなさいという意味です。
父なる神はこのように聖徒ひとりひとりはもちろん、教会も祝福されるように、一つ一つその準備をしてこられました。まさに、聖徒がたましいに幸いを得るように導いてこられたのです。まずはたましいに幸いを得ている祝福が臨むと、そのほかの祝福は自動的に付いてくるからです。
それで神は、開拓以来今まで、聖徒がたましいに幸いを得ているように導いて、特に昨年と今年にかけて、急激な霊の成長をするように摂理のうちに導いてこられました。死に至る罪を犯していながら、または相変わらず世を見つめて愛していながら、神が下さる祝福を願うことはできません。いくら物質をたくさんささげて、忠実に仕えたとしても、相変わらず罪の隔ての壁があるなら、まことの祝福を願うことはできません。
[詩篇66:18]に、「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」とあり、[イザヤ59:1-2]に「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。59:2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」とあります。このみことばどおり、罪の隔ての壁があるなら、いくら祈り求めて、使命を熱心に果たしても、神がお聞きにならないで、答えてくださらないのです。
しかし、反対に[詩篇37:4]に「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」とあります。たましいに幸いを得ている人は、神が愛して喜ばれます。こういう関係になれば、心の願いまでも神がかなえてくださいます。
また、[第一ヨハネ3:21-22]に「愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。」とあります。たましいに幸いを得ている人は神の命令を守って、みことばどおり生きていきます。心からも罪と悪をすべて捨て去ったので、自分で心をチェックするとき、責められません。大胆に神の御前に出ることができ、心から信じられる霊の信仰を持って祈ることができます。
このように祈ると、[マルコ11:24]に「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」とあるみことばがそのまま実現します。物質の祝福、健康の祝福、家族の祝福など、求めるものは何でもいただくことができます。この他にも、聖書に約束された数多くの祝福のみことばがすべて皆さんのものになれるのです。
父なる神は、まさに皆さんがこのような次元に入ってくるように、今まで摂理のうちに計画して働いてくださったのです。特に2010年は罪の赦しの機会を下さり、2011年はオーロラの光の働きを通して、皆さんがすみやかにたましいに幸いを得る祝福を受けるように導いてくださいました。
今は多くの方が大胆に神の御前に出てくることができ、霊の信仰によって祈れる次元に入ってきました。神に喜ばれる次元に入ってきた方もいます。ですから、これから繰り広げられる2012年度に、聖徒ひとりひとりに祝福が臨むことは、あまりにも当然の結果です。
たましいに幸いを得ているほど、新年は必ずそれに伴う祝福を受けます。たとえまだ御霊の歩みに入ってこなかった方でも、たましいに幸いを得ている人々が祝福されるのを見て、挑戦を受けて自信を持つようになります。そうしながら霊的な成長に加速度がついて、するとまた新しく御霊の歩みに入ってきて、祝福されていく方が増えるようになります。
聖徒ひとりひとりがこのように祝福されていくので、教会はまたどうでしょうか? 当然、祝福が満ちあふれます。このように聖徒ひとりひとりのたましいに幸いを得ていると、それだけ教会も、祝福されるにふさわしい霊的な基準を満たすようになります。
教会全体の祝福は何人かの聖徒が御霊の歩みに入って、全く聖なるものとされたからといって、与えられるものではありません。聖徒全体の平均的な信仰が神が定められた基準を通過しなければならないし、また同時に、神が定められた御霊の人、全く聖なるものとされた人の数も満たさなければなりません。
ところが、昨年と今年を通して、聖徒の信仰がどれほど急速に成長しましたか? 今は「私もできる」という自信と「私も必ず御霊の歩みに入って、全く聖なる者とされよう」という決断と決心が大したものです。まさにこういう急速な霊の流れに乗って、多くの方が霊的な成長をしていて、今は父なる神が定められた基準を通過できるようになったのです。
それで、2012年度は、教会にも父なる神が約束された祝福があふれるように臨むのを見るようになります。このように聖徒個人の祝福はもちろん、教会にも臨む祝福を見て、父なる神に思いきり栄光を帰すことが、2012年度、私たちに下さった第一の祈祷課題です。
これは祈祷課題である同時に、私たちに下さる約束のみことばです。たましいに幸いを得ている祝福が臨んだ方なら、このみことばを握って思いきり求めますように。また、教会にも、もう祝福が目で見たもの、手に触ったものになるように、思いきり求めますように。それで、新年には必ず祝福の実を次々と刈り取って、父なる神に思いきり栄光を帰しますよう、主の御名によって祈ります。


[結論]

愛する聖徒の皆さん、高い建物を建てるとき、基礎をしっかり固めることが大変重要です。ひとまず基礎をしっかり固めることが終われば、その次は速いスピードで上の階に上がっていきます。早く階を上げることにだけ汲々として、基礎をしっかり固めることをおろそかにしたなら、その建物は長くもたないのです。
父なる神も、この教会を導かれることにおいて、聖徒のたましいに幸いを得る祝福を最優先にしてこられました。万物の主人である父なる神が祝福を与えようとされるなら、いくらでも与えることができたし、聖殿も建てさせようとされたなら、ずいぶん前にすでに建てることもできたでしょう。他の多くの教会が聖殿を建てて、それなりに物質の祝福も受けていくのを見ますが、父なる神は私たちにもいくらでもそうしてくださることがおできになります。聖徒の皆さんの信仰は、すでにそれくらい祝福されるほどの水準を超えています。
それでも神はそうされませんでした。聖徒の皆さんの水準をそのくらいで満足されず、より大きい祝福を下さるための時を待ちに待たれました。なぜなら、私たちに向けられた摂理がそれほど驚くもの、ものすごいものだからです。私たち万民教会から、新しいエルサレムに入る魂がたくさん輩出され、少なくとも三天層に入る魂は、数えきれないほど輩出されなければなりません。この世、他のどんな所とも比べられないほど、たましいに幸いを得ている聖徒が無数に出てこなければならない、最高の教会です。
また、この教会に属する主のしもべと働き人、聖徒を通して、カナン聖殿、大聖殿を建てて、世界宣教を大いに実現するようになります。他の誰もできなかったことを実現して、神の栄光を最も大きくて驚くほど、世の中に繰り広げていくようになります。
ですから、これらの事をやり遂げるためには、公義に従って、この教会と聖徒が備えるべき霊的な水準も、それだけ高くならざるをえないのです。それで、ひとまずそれくらいの霊的な水準に到達したら、その時からは想像できないほどの祝福を注いでくださいます。その祝福を通して、父なる神が摂理にあって計画されたことを大いに実現するようにされるのです。
父なる神はその祝福の時を2012年と定められたのであり、今まで一寸の誤差もなく導いてこられました。もうその時になったので、その祝福を必ず引き下ろす私たち、そしてマンミンに属するすべての教会にならなければなりません。
新年はあちこちから祝福の声が聞こえてくるでしょう。証しがあふれるでしょう。喜びと感謝の告白で父なる神に栄光を帰す声が絶えないでしょう。まさに皆さんすべてを通して、このような感動的な姿が美しく現れる祝福の2012年になりますよう、尊い主の御名によって祝福して祈ります。

 
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