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メッセージ
Title
   創世記講解(83)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   創 4:1-2
Date
   2012-03-09


[本文]

[創世記4:1-2]
「人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、『私は、主によってひとりの男子を得た。』と言った。彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。」


愛する聖徒の皆さん、「創世記講解」八十三回です。
[創世記3章]の空間的な背景は、第二の天にあるエデンの園でした。きょうから説明する[創世記4章]の背景は、第一の天に属する地球、まさにこの地上です。
[創世記3:23]に「そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。」とあります。ここで「自分がそこから取り出された土」には、二つの意味が含まれていると説明しました。
まずは、この地球の土を意味します。神が地球の土でアダムを創造されたからです。したがって「自分がそこから取り出された土を耕す」という意味は、これからアダムが地球に降りてきて、この地を耕さなければならないことを表します。
次に、霊的な意味で「心の地」を意味します。もう心の地を耕す本格的な人間耕作が始まったのです。
それでは、アダムがこの時に定着した所は、今日のどこでしょうか? それは、今「イスラエル」がある地です。アダムが初めて定着したこの地域は、後で「カナンの地」と呼ばれるようになりました。洪水のさばきの後、ノアの孫「カナン」がその地域に定着して増えたからです(創世記10:15-19)。
ところが、後で神はこのカナンの地を、アブラハムと彼の子孫に永遠の所有として与えられました。[創世記17:8]に「わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」とあります。
この約束は結局、成就されました。まさにイスラエルの民がエジプトから出て、40年の荒野生活をした後、このカナンの地に定着したのです。それからまた約1500年が過ぎた後は、人類の救い主であるイエス様がこのカナンの地でお生まれになりました。
この地域は、人間耕作の最後の瞬間まで、歴史の重要な舞台になります。父なる神はこのように先を見通して、アダムをちょうどその地域に定着するようにされたのです。
ところが、アダムが住みたいと願った所は、カナンの地ではありませんでした。それなら、どこだったでしょうか? まさにエジプトのナイル川流域です。アダムは以前から、地球でその地域を最も愛していました。エデンの園で生きていたとき、地球に降りてくるたびに喜んで訪ねたりしました。
その当時のエジプト地域、特にナイル川の流域は、今日よりはるかに美しかったのです。エデンの園は、すべての面で地球とは比べられないほど美しい所です。それでも地球のエジプト、ナイル川流域は、アダムの心をとらえるほど景観が優れていました。アダムにとって、異国的な香りと目新しい魅力が感じられる所でした。それで、アダムはピラミッドを建てる場所として、エジプト地域を選んだのです。
アダムは、三位一体の神の栄光と威厳を表す目的で、ピラミッドを建造しました。また、それに自分が地球の支配者であることを記念する意味も込めました。したがって、アダムはエデンから追い出されたとき、心の中ではエジプト地域に行くことを願ったのです。
しかし、アダムの思いと神の思いは違いました。父なる神は人間耕作という絵全体を構想され、最も適した所にアダムが定着するようにされました。このように、今のイスラエルの地は、人間耕作の初めの出発点から最後の瞬間まで、重要な舞台です。それで、神はアダムを今のイスラエル地域に定着するようにされたのです。
アダムは一生、エデンの園を懐かしく思いました。それでも、その当時は、父なる神がその地域に置かれた、エデンの園とつながった霊の通路がありました。だからと言って、アダムがその通路を通してエデンの園に再び行くことができるのではないけれど、エデンの園からの知らせを聞くことはできました。また、制約的ではあったが、エデンの園の子孫がその通路を通して、アダムとエバに会って帰ったりしました。こういう理由でも、アダムはイスラエル地域を重要に思って、定着できました。
「アダムがエジプト地域に憧れたなら、そこに移住すればよかったのでは...」と思うこともあるでしょう。しかし、アダムは霊の通路がある地域を離れることができませんでした。また当時、アダムの立場は島流しにされた罪人のようなものでした。自分が願うからといって、違う所に勝手に行ける立場ではなかったのです。仮に行くとしても、歩いて行かなければなりません。UFOに乗って行った昔とは違います。結局、アダムはこの地上で生きる間、エジプト地域に行けないまま、懐かしさだけをいだいて生きていきました。
聖徒の皆さん、このような背景を覚えて、きょうの本文[1節]をご覧ください。「人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、『私は、主によってひとりの男子を得た。』と言った。」
アダムとエバはエデンの園で生きていた間、数多くの子どもを生みました。この地上に降りてきて定着した後も、何人かの子どもをみごもって生みました。ところが、この地上で子どもを得ることは、エデンの園の時とは違いました。彼らのからだ自体がいのちの息が吹き込まれた存在から肉の人に変わったからです。
エデンの園では、思いどおりにからだの調節ができました。エデンの園でも、この地上でも、男女が愛し合うことによって精子と卵子が結合して、新しいいのちが宿る原理は同じです。しかし、エデンの園では、男女が子どもがほしい時だけ、みごもりました。みごもるために愛し合う時だけ、精子と卵子が生成されたのです。ところが、この地上では、女のからだで卵子が生成、排出される期間が制限されました。その期間だけ、みごもることができるようになりました。
また、エデンの園では、妊産婦がほとんどつらいと感じなかったのです。一方、この地上では、妊産婦が多くの苦しみを受けます。つわりがひどかったり、からだの変化によっていろいろな異常症状が現れたりします。
出産する時も同じです。神がエバに「あなたのみごもりの苦しみを大いに増す」と言われたとおりになりました。エデンの園では、子どもを産むのと同時に産婦のからだの中で、それ以上必要のない物質が分解されてなくなります。子どもを産んだ瞬間、すべての処理が終わってきれいになるのです。それに比べるなら、この地上での出産は、まことに労苦が伴うものです。
エバはエデンの園で子どもをたくさん産みました。ところが、今はこの地上で子どもを産むことで、変わったことを直接体験しました。子どもを産む時の感じが全く違って、子どもを得た感激も違いました。
本文で、エバがカインを産んだ後、「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言いました。この時、エバの心はどうだったでしょうか? エバがエデンの園で子どもを産んだ時は、神の恵みが悟れなかったのです。神がいのちの元になられることは知っていたが、実際、子どもを産むか産まないかは自分で調節できたためです。自分が願わなかったのに子どもができたり、願っても子どもが持てないことはなかったのです。したがって、みごもって産むことが神の所管であることを切実に感じられなかったのです。
しかし、この地上に降りてきて、暮らしてみると、状況が完全に違いました。いつでも子どもが持てるのではなく、神が定められた自然の法則に従わなければなりませんでした。言いかえれば、この地上ではみごもるためには、女性のみごもれる期間とすべての環境・条件が合わなければなりません。
こういう新しい環境で子どもを得たエバは、自分が子を得るのは全面的に神の恵みであることを悟りました。自分の意志だけではみごもることはできなくて、神が働いてくださらなければならないことがわかりました。つまり、胎の門を開いて閉じる権限が神にあることを初めて悟ったのです。
神が胎を開いたり閉じることをつかさどられる例が聖書のあちこちにあります。[創世記20:18]に「主が、アブラハムの妻、サラのゆえに、アビメレクの家のすべての胎を堅く閉じておられたからである。」とあります。また、[創世記29:31]には「主はレアがきらわれているのをご覧になって、彼女の胎を開かれた。」とあり、[創世記30:22]には、神がラケルの胎を開かれたことが書いてあります。この他に、イサク、サムソン、サムエル、バプテスマのヨハネも、神が働いてくださったので生まれました。それで、[詩篇127:3]には「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。」とあるのです。
ところでエバが「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言ったことには、隠された事実があります。エバが子どもを下さった神に感謝しながら「ひとりの男子を得た。」と言いました。エバはなぜそれほど「息子」を得たことに感謝したのでしょうか?
実際、アダムとエバはカインを生む前に、この地上ですでに何人かを生みました。その子たちはみな娘でした。何人かの娘を生んだ後、やっと男の子を生んだのです。それで、この子を得た感激がさらに大きかったのです。
こういう内容は聖書に記されていないけれど、事実であることを信じますように。人間耕作のためには人が増えなければならないので、神がアダムとエバに、先に娘たちを与えられたことが理屈にも合います。神が教えてくださった事実が聖書を理解するのにどれほど役に立つのか、皆さんはこれから続いて聞くようになるでしょう。
次は、本文[2節の前半]です。「彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。」アダムとエバは長男のカインに続き、もうひとりの息子を生みました。それはアベルでした。
一方、[創世記5:3-4]に「アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。アダムはセツを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。」とあります。アダムは百三十歳でセツという息子を生んで、それから八百年を過ごして、子どもをもっと生みました。
参考までに、ここでアダムの歳は、彼がこの地上に定着した年を基点として数えた年数です。アダムはこの地上に定着した後、何人かの娘を生んで、初めての息子カインを生みました。次に息子のアベルを生みました。百三十歳では、またほかの息子「セツ」を生みました。
聖書には、アダムとエバがこの地上で生んだ子どものうち、カインとアベル、そしてセツ、この三人の名前だけが出てきます。ところが、聖書に名前が記されていない子どもたちがもっと多くいました。アベルとセツの間にも何人かを生んで、セツの次にも数多くの子を生みました。聖書には、人間耕作の歴史で重要な意味を持つ人物中心に、その名前が記されました。おもに代を継いだ子孫の名前が記されたのです。
[2節の後半]を見ると、「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。」とあります。このみことばの背景も、聖書には省略されています。
アダムとエバは、数多くの子どもたちの中で、カインとアベルを特に愛しました。このふたりの息子は、アダムとエバが最もつらくて苦しい時に生まれて、大きい慰めと喜びになってくれたからです。特にアダムはアベルをもっと愛して、エバはカインをもっと愛しました。それで、アダムとエバは家業をこのふたりの息子が受け継ぐようにします。
一方、他の子どもたちは、大きくなれば彼らの分け前を取ってあげて、親を離れて住むようにしました。彼らは互いにある程度距離をおいて、各自の根拠地を決めて、家庭を作って子孫を生んで増えました。当時は、今日とは違って、病気や災害のような害になる要素が少なかったのです。ですから、人口が非常に速いスピードで増えることができました。出エジプト記を見ると、エジプトに移住したヤコブ一家七十人が、四百年で二百万人以上に増えたことがわかります。これに比べて、人間耕作の初期には、人々が数百年間子どもを生みました。子どもが事故に遭ったりして死ぬこともほとんどなかったと思えばよいです。
したがって、当時のアダムとエバの子孫は、私たちが想像しにくいほど、非常に早く増えたことを知らなければなりません。皆さんがこのような背景知識を知ってこそ、創世記4章がよく理解できます。これからも続けて必要なところでは、補足説明をいたします。
本文の説明へ戻りましょう。カインとアベルがそれぞれ受け継いだ家業は、土を耕すことと羊を飼うことでした。父のアダムは息子たちにそれぞれ生業に必要な知識と技術を教えました。アダムは第一の天と第二の天をどちらも支配して従えるほど、知識と知恵が豊かでした。エデンの園で生きていた数多くの歳月の間、父なる神が教えてくださった知識です。アダムはこの地上の暮らしに適応するために、自分の豊かな知識を活用していきました。
ですから、アダムがこの地上で初めて生きていた姿を、まるで原始未開人のようだっただろうと思ってはいけません。もちろん何もない状態から始まったので、水準の高い文明を作り上げることはできませんでした。たとえば、皆さんがコンピュータが作れる知識と技術を持っていても、無人島にひとりでいるなら、コンピュータをすぐ作り出すことはできません。このようにアダムは飛び抜けた知識と知恵を持っていたけれど、それを繰り広げるには永い歳月が必要でした。
また、いくら歳月が流れても、アダムの生存の時には、実現できない分野のほうが多かったのです。せいぜい農業と牧畜業のように、直接自然を利用する1次産業の部分にだけ、彼の知識と知恵が活用できました。
アダムは家畜をはじめ、すべての動物の属性や特徴をよく知っていました。また、地に蒔いた種が芽生えて、育って、実を結ぶようになる過程もよく知っていました。アダムはそのような知識を活用して、土を耕すことも、家畜も飼うこともできました。そして、その後は、息子たちに自分が積んだ経験と知識を教えたのです。兄のカインには土を耕す方法、弟のアベルには羊を飼う方法を教えました。
土を耕すことは、糧を得るために必須的なことですが、羊を飼うことはなぜ必要だったでしょうか? 当時はまだ肉食をしなかった時なのに、です。羊の毛が生活にいろいろな面で役に立つということも一つの理由でしたが、羊を飼う重要な他の目的がありました。それは、神にいけにえをささげる時に使うためでした。
いけにえをささげる方法は聖書のレビ記に記されています。これは、モーセがシナイ山で神からいただいたみことばです。アダムがこの地上に定着した時から、約二千五百年後のことです。ところが、アダムはすでにいけにえをささげる法を知っていました。父なる神が教えてくださったからです。
アダムとエバがエデンの園からこの地上に追い出された後も、神は彼らと交わることを願われました。時に応じて彼らに必要なことを教えてくださり、彼らがささげる心の香を受けることを願われたのです。
しかし、罪を犯した身分では、聖なる神とは交わることができません。それで、神は、罪が赦されて、神と交われる方法を教えてくださったのです。それがまさにいけにえをささげる法です。この法にはいくつかの種類がありますが、罪のためのいけにえは、罪が赦される法です。
霊の世界の法によると、「罪から来る報酬は死」です。罪を犯した人は死に向かうようになります。ところが、この罪のためのいけにえをささげれば、罪人が死の法から自由になります。その方法は、罪人の罪をいけにえに転嫁した後、そのいけにえを代わりに殺す方法です。この時ささげるいけにえが、まさに「羊」でした。ですから、アダムも羊を飼って、自分の息子にもその方法を教えたのです。
また、アダムは子どもたちに創造主なる神についてや神と交わる方法、すなわち、いけにえをささげる方法を詳しく教えました。神を見つけて体験できる、まことに大切な道だったからです。しかし、時間が流れながら、このいけにえをささげる方法が徐々に変わり始めました。それによって重大な問題が起こります。これについては、次の時間に伝えます。
愛する聖徒の皆さん、きょうは、アダムとエバがこの地上に降りてきて定着した過程を説明しました。今のイスラエル地域に定着したし、何人かの娘を生んだ後、やがて長男のカインを生みました。そして、もうひとりの息子アベルも生みました。アダムは自分の豊かな知識と知恵を使って、土を耕して羊を飼うことを始め、息子たちにも教えました。
当時、羊が必要だった重要な理由の一つは、神にいけにえをささげるためでした。いけにえをささげることを通して、神と交われたからです。旧約のいけにえをささげることは、今日の礼拝です。父なる神は礼拝を通して私たちに語られ、私たちの心の香を受けられます。したがって、礼拝生活が正しい人はいつも神に守られて祝福されます。
旧約時代には、いちいち羊や牛のような動物をほふって、いけにえをささげなければなりませんでした。しかし、イエス様が罪のためのいけにえとしてご自分をささげ、すべての人類の罪を贖ってくださってからは、そうする必要がなくなりました。イエス・キリストを信じて、礼拝をささげればよいのです。
私たちのイエス様は[ヨハネ4:24]で「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」と言われました。聖徒の皆さんはイエス様のこのおことばのように、心と最善を尽くして礼拝に備えて、聖霊に満たされて礼拝をささげますように。
父はこのように礼拝する子どもを捜して、心の願いに答えてくださいます。また、このように礼拝する聖徒は、礼拝中に父なる神と深く交わることができます。天の喜びを味わって、御霊に属する恵みを体験することもできます。聖徒の皆さんすべてが礼拝をささげるたびに、父が喜ばれる香をささげ、霊肉ともに驚くべき祝福をいただきますように、主の御名によって祝福して祈ります。

 
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