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信仰相談 メッセージ > 信仰相談
信仰相談
Title
   愛の神さまが、なぜ刑罰のある地獄を造らなければならなかったのでしょうか?  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   


「私は教会に来る前は、神さまはどんな過ちも赦してくださり、すべての人間を愛される方だとばかり思っていました。けれども、教会に来てメッセージを聞いて、神さまは信仰を持った人々が行く天国を造られたけれど、神さまを信じないでみことばを守って生きなかった人々が行く地獄もお造りになったことを知りました。愛の神さまが、なぜ美しい天国だけではなく、恐ろしい刑罰のある地獄もお造りになって、人間を裁かれるのでしょうか? 」

愛の神さまは、不従順の罪ゆえに永遠の滅びである地獄に行かざるをえなくなった人類のために、ひとり子イエス・キリストを備え、この地上に送ることによって、主イエス・キリストによる救いの道を開いてくださいました。
  しみも傷もないイエスさまが罪人である私たちのために十字架にかけられましたが、これを信じて光の中を生きていく人は、だれでも神さまの子どもとしての力を得て、天国で永遠のいのちと永遠の幸福を得るように、神さまは摂理のうちに働かれたのです。
  この救いの道を信じて天国への道を歩いていく人々もいますが、どんなに伝道しても信じることなく、依然として地獄に向かって歩いていく人々もいるのです。
  では、愛の神さまが、永遠のいのちと幸いを得られる天国だけでなく、永遠の刑罰がある地獄を造らざるをえなかった理由は何でしょうか?
  
  1. 人間を耕作して「麦」と「殼」に分けられる神さま
  
  農夫が収穫を得るために畑を耕すように、神さまもまことの子どもを得るために人間を創造なさって、この地上で耕作しておられます。
  神さまを愛してみことばを守って生きていく人々、すなわち、人の本分を守り行なうことによって、失われた父なる神さまのかたちを回復した子どもたちを「麦」とすると、この世を愛して悪を求めて生きていく人々、イエス・キリストを迎え入れず、みことばに従わずに生きていく人々は「殼」になります。
  農夫が収穫時に麦を集めて倉に納め、殼は肥料にしたり火で焼き捨てたりするように、神さまも、最後の裁きの時に私たちを「麦」と「殼」に分けられるのです。すなわち、神さまのみことばを守って生きる「麦」を集めて天国に入れ、そうではない「殼」は集めて地獄の火に投げ込まれるのです(マタイ3:12「手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殼を消えない火で焼き尽くされます。」)。
  天国は、悲しみや病気、苦しみのない永遠の幸福のみが存在する所ですが、地獄は、火の池や硫黄の燃える火の池で永遠に苦しまなければならない所です。こう言うと、「なぜ、愛の神さまが、そんなに苦しまなければならない地獄を造られたのですか? 『殼』も天国に入ってはいけないのですか?」と尋ねる人もいます。
  天国は、私たちが想像できないほど美しい所であり、天国の主人であられる神さまは、しみも傷もないきよい方です。ですから、天国には神さまのみこころどおりに行なう者しか入ることができないのです(マタイ7:21「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」)。
  善と愛だけがあふれている人々が集められている天国に、あらゆる邪悪に満ちた者たちも一緖になったら、美しい天国が汚れてしまいます。そのため、神さまは天国と別に地獄を設けるしかなかったのであり、これももともとは神さまの愛ゆえなのです。
  神さまは、「わたしは『わたしはある。』という者である。」と称せられる方であり(出エジプト記3:14)、「アルファであり、オメガであり、最初であり、最後であり、初めであり、終わりである」(黙示録22:13)だけでなく、永遠の昔から永遠の未来までおられる、不滅の存在であられます。
  神さま自らがいのちの息を吹き込んで造ってくださった人間の霊と魂もまた、永遠に不滅ですから、霊と魂にとって幕屋(テント)のような肉体が朽ちてなくなった後も、不滅の霊と魂が住む場所がなければならないのです。
  このような理由で、神さまは「麦」が集められる天国とは区別された地獄を備えられたのです。
  
  2. 各人の行ないにしたがって報いてくださる公義の神さま
  
  神さまは愛であり、あわれみといつくしみ豊かな方ですが、すべてを人が行なったとおりに報いてくださる公義の神さまでもあります。
  ガラテヤ人への手紙6章7~8節を見ると、「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」と明らかに言われています。
  ですから、私たちが祈りと賛美という種を蒔くと、天から力が与えられてみことばを守り行なって生きていくことが可能なように、霊と魂が健やかになります。忠誠を尽くした奉仕という種を蒔くと、霊と肉が健やかになり、十一献金や感謝献金などの物質的なものを蒔くと、神の国と義のために用いられるように、さらに多くの祝福を与えてくださるのです。
  しかし、悪で蒔くと、必ずそれにみあった報いがあります。信仰を持っていたとしても、罪と不法を蒔くなら、必ず試練がついてくる、というのが事実です。
  主イエスさまは、ヨハネの福音書5章29節で、「善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。」と言われています。マタイの福音書16章27節では、「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。」、また、同25章32節では、「すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け」る、と言われています。
  このように神さまは、裁きによって各人の行ないにふさわしい報酬を与え、罪にはそれに相応する罰を与え、寸部の誤りもなく報われるのです。
  ですから、終局的に各人が行かなければならない二つの道、すなわち天国か地獄かは、神さまがご自身ですでに定めておられるのではなく、自由意思を持った私たち人間が選択することなのです。神さまは、私たちが行なったとおりに刈り取られる方である、ということを知らなければなりません。
  
  3. すべての人が天国に入ることを願われる愛の神さま
  
  愛の神さまは、ひとりの霊と魂を全世界よりも尊んで、すべての人がイエス・キリストを信じて救いに至ることを願っておられます。
  事実、九十九匹の羊がいても、失われた一匹の羊のために険しい山道を探して歩く羊飼いの心のように(ルカ15:4~7)、神さまは「ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさ」って喜ばれるのです。
  詩篇103篇12、13節を見ると、「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。」と言われ、イザヤ書1章18節を見ると、「『さあ、来たれ。論じ合おう。』と主は仰せられる。『たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。』」とおっしゃっています。
  神さまは少しの暗さもない光であられ、善そのものであられますから、罪をとても嫌われます。しかし、どんな罪人でも神さまの御前に立ち返って悔い改めるなら、その罪を覚えることがないばかりか、限りない赦しと暖かい愛で抱いて、祝福してくださる方です。
  ですから、このような神さまの愛を悟り、そのみこころどおりに行なって、永遠の天国を得るだけでなく、多くの人々を救いの道に導く祝福された人生を生きなければならないのです。

 
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