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Title
牧者と一つ - 男性宣教会献身礼拝
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
ヨハネ15:5
Date
2014-04-27
[本文]
[ヨハネ15:5]
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」
[序論]
愛する聖徒の皆さん、2014年度男性宣教会献身礼拝をささげられるように祝福してくださった父なる神様に、すべての感謝と栄光をお帰しします。
愛する献身者の皆さん、神様がこの教会をお建てになった時には、終わりの時のためのご計画がありました。それは、罪と悪がひどくはびこっている世を聖潔の福音で照らすことです。全世界の数多くの魂を主のもとに導き、また、大聖殿を建築して創造主なる神様の栄光を現わすことです。
これは私に下さった使命ですが、私ひとりで実現できることではありません。そのため神様は皆さんを選んで召されて、今まで御霊の戦士として育ててこられました。今、多くの人が信仰の岩に立ち、御霊の歩みに入りましたが、ここで止まることはできません。さらに多くの御霊の人と全く聖なるものとされた人が出てくるべきだし、それでこそ、父なる神様の終わりの時の摂理を完全に実現できるのです。その近道は、きょうのタイトルのように「牧者と一つ」になることです。
もちろん、皆さんが一つになるべき対象は、第一が父なる神様で、また私たちの主です。これとともに[第一コリント11:1]に「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」とあるように、牧者とも一つにならなければなりません。
「牧者と一つになりなさい」ということは、すわなち、神のことばどおりにだけ聞き従うしもべ、みことばどおりにだけ教えて、罪と義とさばきについて正しく悟らせるしもべ、主がともにおられる神の力で保障されるしもべ、まさにそのようなしもべを見ならいなさいということなのです。そのような神のしもべを自分の牧者として信頼し、聞き従って一つになるとき、それが主と父なる神様とも一つになる道だということです。結果的に、神の国でも尊く用いられる道であり、個人的にも祝福される最も早道なのです。これは聖徒の皆さんのほとんどがすでに体験して証ししていることでもあります。
きょうは、神様が保障される牧者と一つになることによっていただく祝福について、三つお伝えします。この時間、メッセージを聞いて神様の備えられた霊肉の祝福を思う存分受けられる皆さんになりますよう、主の御名によって祈ります。
[本論]
愛する献身者の皆さん、聖徒の皆さん、神様が保障される牧者と一つになった人は、第一に、とどこおることなく祝福をいただきます。
[第二歴代20:20後半節]に「ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、【主】を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」とあります。このみことばのように、皆さんが牧者を信じて一つになりさえするなら、霊肉ともにあらゆるところで、とどこおることがありません。家庭や健康の祝福、事業の場と職場の祝福はもちろん、計画して実現しようとすることがすべてうまくいきます。
とどこおって、もつれて、簡単に解決されなかったことが、牧者の祈りを受けた後に、また、欠けている分野が悟れた後に、すぐ解決されたという証しも多いです。伝道したり、聖徒を訪問する時も、聖霊に働きかけられているうちに、また、牧者の空間を通して、大きな実を容易に結んだ証しも多くあります。海外出張や宣教に行く時も、牧者と一つになったほど、ハンカチに込められている神の力を体験して、多くの実を結んだりしています。
聖徒の皆さん、神のみこころの中にとどまる人は、すべての点でとどこおることなく栄えるだけでなく、時には訓練を受けても、それが災いとして臨みません。訓練をよく通り抜けるなら、神様がすべてのことを働かせて益としてくださるので、かえって災いが祝福に変わります。ひょっとしてその試みを通り抜けられなくても、災いにあわないように守ってくださいます。
旧約聖書のエステル記を読んでもわかります。当時、ユダ王国が滅びて、その民は異邦の国ペルシヤに住んでいました。この時、王宮の官吏だったアマレク人ハマンは、モルデカイというユダヤ人が自分にひれ伏そうともしないのを見て、大いに恨みをいだきました。以前、イスラエル民族がエジプトから出てきたとき、アマレク部族が神様に立ち向かったことがありました。これに対して神様はイスラエルに「アマレク人を聖絶せよ。」と仰せられました。このことを知っていたモルデカイは、神様に立ち向かったアマレク人にひれ伏すことができなかったのです。
これを知ったハマンは、モルデカイだけでなく、ペルシヤ帝国のすべてのユダヤ人を根絶やしにするという悪い計略を企みました。ある日を決めて、ユダヤ人がいくらでも害をこうむるように王の許可まで得ました。王が一度下した命令は王も取り消すことができないようになっています。どうすることもできず滅びるところで、王妃エステルとモルデカイを中心に、ユダヤ人は心を一つにして断食して祈りました。完全に神様により頼みました。
これに対して、神様は大逆転を引き起こされます。ユダヤ人を根絶やしにしようとしたハマンは王の怒りを買い、処刑されました。一方、ユダヤ人は滅びる危機から逃れただけでなく、かえってユダヤ人の敵をいくらでも攻撃できるようになりました。
これについて[エステル8:17]に「この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。それは彼らがユダヤ人を恐れるようになったからである。」とあります。ユダヤ人は元々その地に捕虜として捕らえられてきた民族なのに、かえってその国の民のうちでユダヤ人であることを宣言する者がいたということは、その地位がどれだけ高くなったのかがわかります。現実的にどうすることもできず滅びるところでしたが、神様がともにおられて栄えるようにされると、かえって大いに栄光を帰すようになったのです。
皆さんも牧者と一つになるとき、すべての点でとどこおることなく祝福を体験して、時にはとどこおったり、迂回するように見える時も、結果的には再創造のみわざを通してさらに大いに栄光を帰すでしょう。
[ヨハネ15:7]に「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」とあります。このみことばのように、牧者と一つ、主と一つになり、何でも栄える皆さんになりますように。
愛する献身者の皆さん、聖徒の皆さん、神様が保障される牧者と一つになった人は、第二に、父なる神様の心に似せられる祝福をいただきます。
皆さんが誰かと一つになるためには、どうすればいいでしょうか? 一緒にご飯を食べたり、眠ったり、いつも一緒ならいいでしょうか? でなければ、整形して同じ顔にしたり、同じ服を着て似た話し方をしたら、一つになれるでしょうか? 誰かと一つになるということは、その心と志と思いが同じになることです。
牧者と一つになることも、うわべでまねだけすることではありません。霊的に近づいて見ならい、心が一つにならなければなりません。小さい子どもがお母さんと一緒なら幸せなように、牧者と一緒なら楽しくて幸せだから、ただついてだけ回るからといって、霊的に近づいて見ならうのではありません。以前、多くの人が牧者に近づいて見ならうといいましたが、その中には肉的にした人もいました。
まことに霊的に近づいて見ならうなら、牧者と一緒にいながら何を見るでしょうか?「牧者は神様をどのように恐れているのか。困難な現実にあったとき、どう信仰を見せるのか。聖徒に対する時にはどんな心で仕えているのか。どのように相手の利益を求めているのか。」このようなことを悟ろうと努力したでしょう。牧者のひと言でも心に留めて、聞き従い、何としてでも御霊の人に変えられるために切なる心で聞いたでしょう。また、自分も牧者の心に似せられるために、数えきれないほどの祈りと断食、努力を積んだでしょう。
[ピリピ4:9前半節]に「あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。」とあるように、学び、受け、聞き、見たことを悟り、熱心に行っていくことが、まことに牧者に近づいて見ならうことなのです。ですから、心まで牧者に似せられてはじめて、牧者と一つだと言えるのです。このように牧者と一つになった人は、結局、父なる神様の善を心に耕したと言えます。
愛する献身者の皆さん、聖徒の皆さん、父に似せられた子どもになれるということは、まことに大きな祝福です。神様が人間耕作を始めた目的は、まことの子どもを得ようとされることでした。善なる父に似ていて、父の心を深く理解し、父を心から愛する子どもがほしいと思われました。
ところが、教会に通っていても、このようなことを知っている人は多くありません。主の恵みを悟って、自分なりに良い生き方をしようと努力する人もいるし、伝道と宣教に献身する人もいます。しかし、心の悪を捨てて、神のかたちを取り戻さなければならないということは、あえて考えることすらできない場合がほとんどです。「人がどうやって罪の属性まで捨てられるのか。被造物がどうやってあえて神様に似せられることができるのか。」このように限界を作ってしまうからです。ですから、いくら熱心に教会に通っても、信仰の岩に立ったくらいの人も見つけるのが極めて難しいのです。
しかし、皆さんは違います。聖潔の福音を聞いたし、神のかたちを取り戻すために努力しています。皆さんは信仰が成長するほど、世のすべての宝を得るより、父の心をさらに深く知りたいと願い、父の心にさらに似せられたいと願うでしょう。
ところが、霊的な分野は師なしに突き抜けていくのはやさしくありません。優れた霊的な導き手が得られないなら、使徒パウロのように、祈りと断食で霊の世界を突き抜いて、直接啓示を受けなければならないでしょう。
また、聖書を読むと、優れた師がいても、優れた弟子は簡単に出てこないのがわかります。最高の預言者だったエリヤも、後継者としてエリシャひとりが聖書に記されています。モーセが力を尽くして民を教えても、まことにモーセと一つになった弟子としては、わずかヨシュアとカレブを得ただけです。
しかし、本教会にはひとり、ふたりではなく、数百、数千人が御霊の人、信仰の岩に上に立った人として出てくるでしょう。全く聖なるものとされた人も続々出てくるでしょう。皆さん自身の力ではできなくても、牧者と一つになることによって十分できます。すでに90分の公義が満たされているので、残り10だけ満たせばいいからです。このようなことを心から悟って、牧者と一つになることで、父なる神様の善に似せられたまことの子どもになりますよう、主の御名によってお願いします。
愛する献身者の皆さん、聖徒の皆さん、牧者と一つになった人がいただく祝福、第三は、新しいエルサレムの祝福です。
父は私たちがこの地上で生きる間、すべての点で栄える祝福を与えたいと願われ、また、父の心に似せられた子どもたちと互いに交わりたいと願われます。しかし、これよりさらに願われることは、永遠の天国に一緒にとどまりながら愛を分かち合うことです。天国の中でも最も美しい、新しいエルサレムを与えたいと願っておられるのです。皆さんが思い浮かべられる最高の美しさと、最高の栄光を想像するとしても、それと比べられないところです。何よりも、皆さんがこの地上で覚えている一番幸せで、一番聖霊に満たされていた時間、それより大きな幸せと聖霊の満たしが永遠になくならないところが新しいエルサレムです。
[ヨハネ14:2後半節-3]に「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。3わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」とあります。これを聞いた弟子トマスは「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」と尋ねました。すると、イエス様は[6節]で「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われました。
そうです。イエス様が3年間教えられたすべてのみことばの中に道があり、そのみことば一つ一つが真理で、いのちでした。何としてでもイエス様のみことばのとおりに行って、聞き従っていくことが、まさにイエス様と一緒にいられる道でした。弟子たちは主をあまりにも愛していたので、結局、主と一つになってその道を行きました。主を慕ってつき従っていた女たちも、主がおられるところに自分も行くというその心がとても切実だったので、何としてでも主の道について行きました。
この教会の皆さんも、天国の道がどこにあるのか、どうやってその道を歩めるのか、数多く聞いてこられました。罪と悪を脱ぎ捨てて聖められる道、神様を第一に愛せる道、新しいエルサレムに行ける道、その道を私は教えました。皆さんが牧者をまことに愛して一つになるなら、何としてでも牧者が行くところに一緒にいようとするでしょう。だから、牧者と一つになった人なら、結局、新しいエルサレムの祝福をいただくということなのです。さらには皆さんが告白しているとおり、新しいエルサレムの中でも牧者の城、主郭までも激しく攻めることができるのです。
[結論]
愛する献身者の皆さん、聖徒の皆さん。きょうの本文のように、枝がぶどうの木についていれば、実をたくさん結び、それによって父が栄光をお受けになります。どうすればまことのぶどうの木である主と一つになれるのか、その道を明らかに聖書で教えてくださいました。
しかし、罪と悪で暗い今日、このみことばを自ら悟って、その道を歩むことはあまりにも難しいです。神様はこのようなとき、まことの牧者を通してその道を明らかに照らしてくださったし、多くの魂を主のもとに導きたいと願われました。
皆さんが主と一つになるとき、そうなるために神様がお立てくださった牧者と一つになるとき、霊肉ともにとどこおることなく祝福をいただきます。また、父の善なる心に似せられます。結局は最もすばらしい天国、新しいエルサレムに入れるのです。このような父のみこころを明らかに悟り、皆さんすべてが信頼と愛をもって完全に聞き従って、牧者と一つになりますように。それで、ぶどうの木にしっかりついている枝のように、豊かな祝福の実を結んで父に栄光を帰しますよう、主の御名によって祝福して祈ります。
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