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メッセージ > 創世記講解 |
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Title |
創世記講解(34) - 第三日 (1) |
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Speaker |
堂会長 イ・ジェロク 牧師 |
Bible |
創 1-13 |
Date |
2010-05-21 |
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[本文]
[創世記1:9-13] 「神は『天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。』と仰せられた。するとそのようになった。神は、かわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、それをよしとされた。神が、『地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。』と仰せられると、そのようになった。それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、それをよしとされた。こうして夕があり、朝があった。第三日。」
愛する聖徒の皆さん、「創世記講解」三十四回目の時間です。 1961年4月12日、旧ソ連のユーリ・ガガーリンは人類最初の宇宙飛行士として1時間29分間、地球軌道を一回りしました。そして、有名な二つの言葉を残しました。一つは「地球は青い」で、もう一つは「宇宙のどこにも神はいなかった」というものでした。 それから数か月後、旧ソ連のもうひとりの宇宙飛行士のチトフは地球軌道を一日間飛行しました。そして、「地球の上に昇って何回も回ってみたが、神は見られなかった」と言いました。 1962年2月20日には、アメリカも有人宇宙船の発射を成功させました。ところが、アメリカ最初の宇宙飛行士として地球軌道を回って来たジョン・グレンはこう言いました。「私は宇宙旅行をしながら宇宙の美しい光景を見ました。地球の上にも、宇宙空間にも、はやり神は存在しておられます。」 1968年12月24日クリスマスイブには、宇宙飛行士三人を乗せたアポロ8号が人類の歴史上初めて、月の軌道進入に成功しました。アポロ8号の乗務員たちは、月の表面71マイル上空から地球にいるすべての人々にどうしても送りたいメッセージがある、と言いました。 その実況はアメリカをはじめ全世界に、テレビとラジオで放送されました。アポロ8号の乗務員たちは月の上空から地球のすべての人類に向かって、特別なメッセージを伝え始めました。「初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。......」 彼らは、[創世記1:1-5]を交代で読んだのでした。 1969年7月21日、ニール・アームストロングはアポロ11号の飛行士でしたが、人類として初めて月の上を歩きました。彼は月に到着するやいなや、「神が造られたこの宇宙はあまりにも美しいです!」という内容のメッセージを地球に送ったそうです。 1971年7月30日は、アポロ15号の宇宙飛行士、ジェームズ・アーウィンが月の表面を月面移動車で走行した日です。彼は「私は宇宙旅行をしながら、そして月を走行して、宇宙に満ちている神のご臨在を体験した」と告白しました。また、彼は宇宙船が地球へ帰るとき、うっとりするほど美しい地球をながめながら、聖書の有名な一節を繰り返し口ずさんだそうです。それは、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」という[ヨハネ3:16]のみことばでした。 ジェームズ・アーウィンはその後、福音伝道者になったそうです。1991年に亡くなる前まで、およそ20年間、全世界を巡りながら福音を伝えました。彼が伝えた福音の核心は「宇宙の中に投げ出された弱い人の子らを愛する神の救い」でした。 聖徒の皆さん、旧ソ連とアメリカの宇宙飛行士たちはどちらも宇宙旅行をしました。ところが、なぜ旧ソ連の宇宙飛行士たちは神がいなかったと言って、アメリカの宇宙飛行士たちはほとんどが神のご臨在を体験したのでしょうか? 宇宙空間で神のご臨在を体験して証しするアメリカの宇宙飛行士に、ある記者が次のように聞いたそうです。「旧ソ連の宇宙飛行士たちは宇宙のどこにも神が見えなかったと言いましたが、あなたはどのように神を見たのですか?」すると、アメリカの宇宙飛行士は聖書の一節を引用して答えたそうです。「マタイ5:8に、心のきよい者は、神を見るからです、と書いてあります。」 そのとおりです。心のきよい者は神を見るけれど、心が罪で汚れた人は神を見ることができません。高ぶっている者は神が見つけられないけれど、へりくだった者は神を見つけます。また、心がきよくて善い人が宇宙万物に宿った神の力と神性を感じるのです。 きょうは、創造の第三日のみわざを伝えます。皆さんは、もっと善なるへりくだった心で、神の創造のみわざを聞かれ、それほど驚くべきわざを行なわれた神に、賛美と栄光をお帰しするよう、お願います。 本文[創世記1:9-10]に「神は『天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。』と仰せられた。するとそのようになった。神は、かわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、それをよしとされた。」とあります。 創造の第二日に、水の間に大空が造られて、初めに地球をおおっていた水が、大空の上にある水と下にある水とに区別されました。それで、創造の第三日の地球には、大空の下にある水だけが残っていました。したがって、ここにある「天の下の水」とは、大空の下にある水です。当時、地球は表面がほとんど平らでした。高くそびえている山や、深い谷間もなく、地球全体が平らだったのです。このように平らな地球を、大空の下にある水がおおっていました。 参考までに、科学者たちが、現在、地球にあるすべての水で平らな地球表面をおおうなら、水深がどれほどになるかを計算しました。その結果、海抜約2,400メートルまで、水に浸かるそうです。もちろん、今と創造の第二日の地球環境は、同じではありません。しかし、当時は地球の表面が平らだったので、大空の下にある水だけでも地球は水でおおわれていたのです。 このような状態で、神は創造の第三日に「天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。」と仰せられました。すると地殻変動が起きました。ある部分はへこんで、他の部分は高くなりました。それとともに、水は自然にへこんだ部分に集まりました。神は、この時、北極に巨大な水溜りのようにへこんだ部分ができるようにされた、と言われました。それで、今でも北極は海に、南極は地になっています。北極付近がへこむと、反作用として南極を中心にかわいた所が現れたのです。 水におおわれた部分も、深さが多様です。当時は、北極の中心が一番深かったし、南極のほうに行くほど浅くなりました。こうだった初期地球の表面は、それから数回の地殻変動を経て、現在の姿になりました。参考までに、今は一番深いところは太平洋にあって、11,034mだそうです。世界で最も高い山であるエベレストの高さ(8,844メートル)より深いところが、海の中にあるのです。そして現在、海の平均の深さは3,800メートルです。 神は水を北極のほうに集めて、この水を「海」と名づけられました。そして、かわいた所は「地」と名づけられました。当時はこのように海も一つで、地、すなわち、大陸も、一つでした。今は、五大洋と六大州に分かれています。[五大洋: 太平洋、大西洋、インド洋、北極海、南極海、六大州: アジア、アフリカ、ヨーロッパ、オセアニア、北アメリカ、南アメリカ] ウェグナーという科学者も、地球にある六つの大陸はもともとは一つの塊りだったが、徐々に分かれて移動した、という理論を主張しました。これを「大陸移動説」と言います。科学が発達しながら、大陸が実際動けるという証拠が一つずつ明らかにされています。それで、それをさらに発展させた理論が出ました。それは動く大陸を「プレート」と定義した「プレート構造論」です。 これを理解するために、たとえを挙げましょう。北極には巨大な氷河が水の上に浮いています。氷河があまりにも大きくて広いので、まるで雪におおわれている大地のように見えます。ところが、その大きい氷河がいくつかに分けられるなら、氷河の下に流れている水の流れにしたがって、分かれた氷河が動くようになるでしょう。このようにプレート構造論では、地球上の大陸プレートも、地球内部の「マントル」という層の上に浮いているので、マントルの流れにしたがって動ける、ということです。 ところで、もし巨大な氷河が互いにぶつかるならどうなるでしょうか? その衝撃によって二つの氷河の一部が割れるなど、大きい打撃を受けるでしょう? このように、地球にあるプレートの動きによる相互作用によって、火山活動や地震が起きるのです。参考までに、日本に地震がしばしば発生する理由は、日本が三つのプレート(太平洋プレート、ユーラシアプレート、フィリピンプレート)が集まる部分に位置しているからです。 今年1月のハイチ地震も、二つのプレート(北米プレートとカリブプレート)の境界部分で発生しました。また、2月27日のチリ地震も、二つのプレートが衝突して発生しました。チリは南アメリカ大陸の西のほうの海岸線に沿って長く位置している国です。太平洋プレートの分かれたナスカプレートが南アメリカプレートと衝突して、地震が発生しました。南アメリカプレートは、毎年、西のほう(太平洋側)に8センチずつ移動しますが、この過程で二つのプレートの衝突が起きたのです。 このように、今は地表面がいくつかのプレートに分かれていますが、創造の第三日は、海も一つで、地も一つでした。地は皆一つにつながっていて、水も一所に集まっていました。これがその後の地殻変動によって、いくつかの大陸と海に分かれたのです。 聖徒の皆さん、もともと地球をおおっていた水はいのちの水だ、と言いました。そして、水の間に大空が造られて、大空の下にある水が一所に集まって海になったと言いました。それなら、いのちの水が海水になったことなので、地球をおおっていたいのちの水も塩辛かったでしょうか? 違います。いのちの水は塩辛くありません。それでは、海水はいつから塩辛くなったのでしょうか? 神が集まった水を「海」と名づけられたとき、今のような成分の海水になったのです。すなわち、塩分を含有するようにされて、この塩分のゆえ塩辛い味がします。 神が海水をこのように塩辛くされた理由は何でしょうか? 第一は、長い時間が過ぎても、海水が腐らないようにするためです。常識的に、流れる水は腐らないけれど、溜まっている水は時間が過ぎると腐ります。器に水を長い間入れておけば、水は自然に腐ります。海水も、地球という大きな器に入れられた溜まり水です。したがって、長い時間が過ぎれば、海水も腐ることがあります。 しかし、海水はあまり腐りません。塩分が腐敗を防いでくれます。川の水は流れる水なので、塩分がいらないけれど、海水は溜まっている水なので、神は塩分を含有させて塩辛くされたのです。また、海には陸地の多くの水が入ってきますが、その中には汚染された水が多いです。仮に海水に塩分がないなら、陸地から流れてきた水によって、海は汚染された水で満ちるでしょう。ところが、海水には塩分があるので、汚染された水が入ってきても浄化されます。 神が海水を塩辛くされた第二の理由は、人間生活に多くの益を与えるためです。たとえば、海水から得る塩は人間にとってなくてはならない必需品です。ふつう、広く知られている塩の用途は食べ物の味つけをしたり、食品を保存するために漬けたりするくらいです。 ところが、これ以外の塩の用途は、何と1,400余りになるそうです。食品として利用する塩の量は、全体消費量のきわめて一部です。塩を化学的に分離して得た原料であるナトリウムと塩素を利用して、さまざまな化学製品を作ることができます。ガラス、石けん、紙、プラスチック、殺虫剤、洗浄剤、漂白剤、うわ薬、不凍液、肥料と農薬、さまざまな医薬品と人造繊維など、塩は人間の生活にとって非常に有益なものです。 そして、何よりも塩は、人間をはじめ動物の体内でいのちを維持するための重要な役割をします。人間の血液の中には0.9%の塩分が含まれていて、いろいろな働きをすると言われています。体液が適切な状態になるように調節して、消化液の成分にもなるのです。したがって、塩を適切にとらなければ、短期的には食欲が落ちて、長期的には全身無力、倦怠、疲労、精神不安などが起きることもあります。汗を一度にたくさん流したとき、めまいがしたり意識が混濁したりするのも、体内で塩分量が突然減少したからです。塩をあまりたくさん摂取してもからだに悪いのですが、適切な塩の摂取は健康維持にどうしても必要なのです。神は、このように塩が私たちの人間にどうしても必要な成分であることを知っておられ、海水に溶かしてくださいました。 聖徒の皆さん、創造の第三日、海と地が造られた時、「神は見て、それをよしとされた。」とあります。第三日の創造のみわざはまだ終わらなかったのです。本文[11-12節]に、神は、地はさまざまな植物が芽生えさせるようにされました。それでは、[10節]の後半に「神は見て、それをよしとされた。」とは、何をよしとされたという意味でしょうか? まずは、人間耕作のための環境が一つ一つ形成されることを神は見て、よしとされたのです。そして、海も地も分かれず、一つに固まっていることを神は見て、よしとされたのです。 三位一体の神が心も思いも一つであるように、神の子どもたちも心が一つになることを願われます。まずは父なる神と一つで、主と一つ、聖霊と一つになることを願っておられます。そして、神の子どもたちが互いに心を一つにすると、父なる神はそれを見てとても喜んでよしとされるのです。 聖霊を受けた人はこれが感じられます。自分の心におられる聖霊と一つになった時は、うれしくて幸せです。[第一ヨハネ5:6]に「そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。」とあります。御霊は真理なので、私たちも真理で思って真理を言って行なう時に、聖霊と一つになれるのです。 [第三ヨハネ1:4]に「私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。」とあります。皆さんの中におられる聖霊が喜ばれるなら、聖霊と一つになった皆さんの心にも、その喜びがそのまま伝わります。言葉で表現できない喜び、世で得られない喜びが心の奥から湧き出るのです。 ところが、もし皆さんが御霊の願いとは反対に思ったり行なったりするなら、心が悩み苦しむようになります。皆さんの心が聖霊と一つにならなくて、分かれているからです。もちろん、分かれているからといって、聖霊がすぐに皆さんの心から離れるのではありません。皆さんが真理に逆らうことを行なえば、御霊はうめいて悲しまれます。それで、皆さんも、心から悩み苦しむようになります。 この時、すみやかに悟って立ち返り、聖霊と一つにならなければなりません。そうしないで、分かれた状態で御霊の願いに逆らい続けるなら、結局、聖霊がその人から離れることもあります。皆さんはいつも聖霊と一つになり、神に喜ばれますように。 イエス様も、私たちが父と一つになって、互いも一つになるように祈られました。[ヨハネ17:21]に「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。」とあります。この祈りはイエス様が捕えられた日の夜にされました。父がイエス様におられ、イエス様が父におられるように、私たちがみな一つになることを願われました。 したがって、聖徒の皆さん、互いにもいつも一つになることに励みますように。真理に逆らうものでなければ、秩序に合わせて従い、一つになりますように。自分の主張がいくら正しくて良く見えても、一つになるためなら自分を譲るよう、お願いします。一つになるためになら、自分のほうから先に頭を下げて、自分のほうから負ける人、そのような人が「神は見て、それをよしとされた。」と言える人なのです。 愛する聖徒の皆さん、きょうは、創造の第三日のみわざのうち、海と地を造られた部分を説明しました。次の時間は、創造の第三日のみわざのうち、地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせる部分を説明します。 草は地に根を下して生きるので、他のところに自分で移ることができません。このような草のような存在にも、神は驚くべき力をお与えになりました。その力とは、動物の王と言われているライオンや、万物の霊長と言われている私たちの人間にも、決して与えられていない力です。植物にお与えになったその力が何かは、次の時間に伝えます。 [ルカ12:27-28]に「ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。」とあります。 イエス様は神の御子として、あらゆる創造のみわざを成し遂げられました。それで、この地上に下りてこられて、人の子らと一緒に過ごされたとき、万物に宿っている父の愛とその神性を、誰より明らかに悟られたのです。 聖徒の皆さんも、小さい一株の草からでも、神の神性が感じられますように。また、そのように創造された神の細やかな愛も、深く感じられますように。それなら、「ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。」と言われたように、皆さん自身に向けられた愛が野の草とは比べられないほど大きい、ということを悟るでしょう。神が創造された最高の傑作品が、まさに私たち人間だからです。「創世記講解」を聞いて、神の力が大いなることはもちろん、皆さん自身に向けられた神の愛を、必ず深く悟りますように。それで、神をもっと愛して、神にもっと大いに愛されるすべての皆さんになりますよう、主の御名によって祝福して祈ります。 |
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