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創世記講解
Title
創世記講解(17) - 霊の世界の存在(6)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
創 1:1
Date
2009-12-04
[本文]
[創世記1:1]
「初めに、神が天と地を創造した。」
愛する聖徒の皆さん、「創世記講解」十七番目の時間です。
この前は、ケルビムのかしらである四つの生きものについて[エゼキエル1章]を中心に説明しました。四つの生きものは、顔と翼が四つずつあって、神の初めの声だけに聞き従って動く、と言いました。彼らの特徴がもう一つあります。全身に目がいっぱいついていることです。
[エゼキエル10:12]に「それらのからだ全体と、その背、その手、その翼、さらに輪、すなわちその四つの輪には、その回りに目がいっぱいついていた。」とあります。[黙示録4:6]と[黙示録4:8]にも、四つの生きものの前とうしろ、翼の回りも内側も目で満ちていた、とあります。
このように四つの生きものに目が多いのは、すべてをあまねく探る、彼らの使命とかかわっています。四つの生きものは、神を最側近で護衛するので、いつも周りをしっかりと見張っていなければなりません。また、彼らは神の命令に従って、この地上をあまねく見回したりします。
もちろん、父なる神は七つの御霊を遣わしても、この地上に生きている人々を探られます。ところが、四つの生きものはこの地球だけでなく、全宇宙までもあまねく見回します。全身にいっぱいついている目で、すべての動きを把握します。どんなものも、四つの生きものの視野から抜け出せません。悪い霊どもの動きまでも、四つの生きものは全部把握できます。
それで有事の際には、直ちに部下のケルビムを動かします。彼らの全身に目がいっぱいついているので、護衛と警戒というケルビム本来の使命が完全に果たせるのです。
ところで、四つの生きものは、それぞれ探る分野が少しずつ違います。
まず、人の顔をした人の子の生きものは、各人が父なる神のかたちにどれほど似せられているのか探ります。もっと正確に言うと、人の口から出る言葉を調べます。[マタイ15:18前半節]に「しかし、口から出るものは、心から出て来ます。」とあるからです。人が口でどれほど罪を犯しているのかを、そして、その行ないも探ります。人の言葉と行ないを探って、その人が神のかたちにどれほど似せられているのかを測るのです。
次に、獅子の生きものは、各人がどれほど雄々しく心を強くしているのかを探ります。神の子どもたちがつらい状況に置かれたとき、信仰をどれほど固く守って、主の御名によってどれほど雄々しく進むかを測ります。
たとえば、神を信じるという理由で命が脅かされたり、迫害されたりするとき、それに屈するかしないのかを見ます。また、ダビデがゴリヤテと戦いに出た時のように、肉の思いでは勝ちにくい時もあります。このような場合でも、信仰を持って雄々しく進むのか、でなければ怖くて退くのかを、獅子の生きものは正確に探ります。表の姿だけでなく、心の底までも正確に見抜きます。
次に、鷲の生きものは、各人が神のことばをどれほど心に留めて耕したのかを探ります。
鷲は視力が非常に良くて、遠くにある小さいものも正確に捕らえます。このように、鷲の生きものは一寸の誤差もなく人の心を探ります。人の表の姿だけを見て見分けるのではなく、心まで正確に見分けます。
神のことばを心に留める最も良い方法は、みことばを握って祈ることです。たとえば、皆さんは今年、自分が属している宣教会の献身礼拝の内容を覚えているでしょうか? ほとんどの場合、テーマに合った細かい項目を二つ、三つ言われました。その内容を心に耕すために、いつも握って祈ってきた方ならば、この瞬間も第一、第二、第三の内容がすらすら言えるでしょう。これは、神が望まれるみこころを心に耕すために、それほど心に留めている、という証拠です。また、このようにいつもみことばを思い出して祈るなら、どうして心に完全に耕せないでしょうか? 十分にできます。
最後に、子牛の生きものは、各人の忠実度を探ります。誰が見ていようがいまいが、神の国のためにいつも忠実に仕えているのかを探ります。自分に委ねられた使命を、どれほど最善を尽くして果たしているのかを見ます。
たとえば、主のしもべや働き人の場合、本当に熱い心でこまめに聖徒を訪問して伝道する方がいます。しかし、使命を受けたので、しなければならないから、無理につらそうにする人もいるかもしれません。
また、誰がさせなくても、出席をチェックしなくても、自分がいるべきところ、すなわち、礼拝や集まりにいつも参加する人がいます。一方、出席をチェックして報告するので、やむをえず参加する人もいます。
祈りも同じです。祈りの習慣を身につけるのは、他の人が代わりにしてくれることではありません。父なる神を愛するので、自分を従わせて努力しなければなりません。祈ってこそ上から恵みと力が与えられて、心の割礼ができます。心の割礼をした結果が、仮に目につくように現れなくても、神のことばを信じて変わらずに耐え忍んで祈る人。このような人が、まことに父なる神が望まれる、霊的な忠実の心を持ったと言えるでしょう。
ところで、ダニエル徹夜祈祷会に参加する聖徒の皆さんを見ると、心と姿がそれぞれ違います。始まる前に来て、準備の祈りをして、終る時まで席をはずさないで、その時間を完全にささげる人がいます。数年が過ぎても、いつもそのように自分のいるべき所にいて、変わらずに祈っている方がいます。
一方、毎日来てはいても、遅刻したり、早く帰ったり、途中出たり入ったりする人もいます。また、忙しい、疲れたという理由で、時々欠席する人もいます。祈る時の心の姿勢までは言わなくても、表で見える姿だけ見ても、このように差があるのです。祈りで自分を縛めて、うまずたゆまず心の地を耕すこの行ないは、聖徒が神の御前に見せるべき、最も重要な忠実の表現です。
ところが、人によって忠実の程度はそれぞれ違います。子牛の生きものは、各人の忠実度を正確に探ります。ですから、聖徒の皆さんの忠実と献身を、仮に人は分かってくれないとしても、神は正確に知っておられます。四つの生きもの、七つの御霊、また、数多くの御使いから、一つ一つ報告を受けておられるからです。そして、各人が働いた通り天国で報いて、この地上でも祝福してくださいます。
聖徒の皆さん、四つの生きものが探る分野は少し違うけれど、一つに集められます。それは「心がどれほど御霊に属するものに、善に変えられているのか」です。これは、逆に、四つの生きものが心の悪も測る、という意味になります。誰が悪い言葉を口にして行なっているのか、誰が神の国を妨げているのか、彼らは一つももれなく見ています。
人の子の生きものは、人々が口から出す不平不満、さばいて罪に定める言葉を、一つものがさずに探ります。獅子の生きものは、人々が何か脅威の前で、どれほど悪賢く卑怯な行ないをするのかも見ます。また、子牛の生きものは、表では忠実に仕えているようだったが、それが人に見せるためだった時は、すぐわかります。神のことばを心に留めず、偽善的な信仰生活をしていた人は、鷲の生きものにすぐばれてしまいます。彼らの全身にいっぱいついている目は、このようにあまねく探る働きを遂行します。
聖徒の皆さん、四つの生きものはすべてを探るだけでなく、おのおの独特の働きをします。そして、それに必要な大きい権勢を持っています。
まず、人の子の生きもの働きは何でしょうか? 人の子の生きものは、ケルビムに命じて動かす権勢を持っています。
霊の世界にいるケルビムの数は、私たちが想像できないほど多いです。四つの生きものは、そのケルビムのかしらだと言いました。四つの生きものは、それぞれのケルビムがあちこちで護衛と警戒の使命を果たすように指揮します。この時、彼らの中で人の子の生きものが、口を開いて命令を下します。この前の時間に、エデンの園の、いのち木への道を守ることもケルビムがする、と言ったでしょう? そのケルビムも、人の子の生きものの口から出た命令に従って動きます。
次に、獅子の生きものは、災いをつかさどる権勢を持っています。
この地上でも、獅子は動物の王と呼ばれ、獅子が一度ほえるだけで、他の動物は恐れを感じます。このように、獅子の生きものが一度口を開けば、この地上には途方もない災いが臨みます。また、その声はまるで雷のようです。したがって、獅子の生きものはむやみに口を開きません。
聖書に記されている災いの中には、この獅子の生きものが働いた場合があります。
たとえば、ソドムとゴモラに臨んだ火の災いがそうです。[創世記19:24]に「そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、」とあります。これは、獅子の生きものが働いて、硫黄の火が降ったのです。
[民数記16章]には、モーセに立ち向かったコラと彼に属する者がさばかれる場面があります。まさに[民数記16:32-33]に「地はその口をあけて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物とをのみこんだ。 彼らとすべて彼らに属する者は、生きながら、よみに下り、地は彼らを包んでしまい、彼らは集会の中から滅び去った。」とあります。地面が分かれるのは地震のような現象ですが、これも獅子の生きものによって起きたのです。
獅子の生きものは、病気の災いもつかさどります。[第一歴代誌21:14]に「すると、主はイスラエルに疫病を下されたので、イスラエルのうち七万の人が倒れた。」とあります。このように、ある地域に突然病気が猛威をふるって、数多くの人が死ぬ災いも、獅子の生きものが働いた場合です。
ヨハネの黙示録を見ると、七年患難中に、この地上に災いが臨む時にも、四つの生きものが直接かかわっているのがわかります。[黙示録6:1]に「また、私は見た。小羊が七つの封印の一つを解いたとき、四つの生き物の一つが、雷のような声で『来なさい。』と言うのを私は聞いた。」とあります。七つの封印を一つずつ解くたびに、この地上にはさばきの災いが臨みます。
[黙示録15:7]には「また、四つの生き物の一つが、永遠に生きておられる神の御怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使いに渡した。」とあります。金の鉢を一つずつこの地上にぶちまける時にも、途方もないさばきの災いが臨みます。したがって、ここで「四つの生き物の一つ」とは、獅子の生きものなのがわかります。獅子の生きものが、このように災いをつか
さどる権勢を持っていることを覚えられますように。
次に、四つの生きもののうち、鷲の生きものは、天の門をあけて閉じる権勢を持っています。ここで天の門とは、私たちが住んでいる第一の天から第二の天に通じる門のことです。第一の天の所々には、第二の天に通じる門があります。この門をあけて閉じる権勢が、まさに鷲の生きものにあるのです。鷲の生きものは力強い羽ばたきで、この門を開けたり閉じたりします。
ところが、この時、他の生きものは、それを見ているだけではありません。他の生きものも一緒に羽ばたきをします。天の門をあけて閉じる権勢は、鷲の生きものが持っているけれど、四つの生きものが一緒に動くのです。彼らの使命と働きはそれぞれ違うけれど、一つのように動くのです。
たとえば、私たちのからだの各器官はそれぞれ役割が違います。目は見て、口は食べて話して、鼻はにおいをかいで、耳は音を聞くのがおもな働きです。また、足は歩いて、手は物をつかむなど、各器官によって役割が違います。
ところで、もし皆さんが水を飲みたいと思うなら、一つの器官だけが働くのではありません。同時にいろいろな器官が一緒に働かなければなりません。まず、目は水がどこにあるか探します。足はからだを動かして、水のある所に行き、手は水をコップに注いで口に持っていき、口は水を飲みます。このように、各器官によって役割は違うけれど、いつも一緒に動きます。
四つの生きものも、それぞれの働きが違うけれど、一緒に動くのです。
それでは、どの場合に第二の天の門が開かれるでしょうか? 聖書では、ノアの洪水の時、第二の天が開かれたことがあります。この時、エデンの巨大な大いなる水の源が、ことごと張り裂け、その水が地球に降り注がれたが、その時、第二の天の門が開かれました。また、洪水が終わって水が引く時も、第二の天の門を通して地球を覆っていた水がエデンへ帰りました。まさにこのような場合、鷲の生きものが主導して天の門をあけて閉じたのです。
父なる神様は、聖徒の皆さんに、第二の天から雲が出てきて入るのを何度も見せてくださいました。その時も、鷲の生きものが、第二の天の門をあけたのです。
最後に、子牛の生きものには、第一の天の天気と気候をつかさどる権勢を持っています。たとえば、雲を集めたり散らしたりすること、雨、雪、ひょうを降らせたり止ませたりすること、台風を起こしたり消滅させたりすること、雷と稲妻を起こすことなどを子牛の生きものがつかさどります。
この地上の天気と気候は、もともと神が立てられた自然の法則に従って動きます。ところが、人類が文明を発達させながら、同時に環境をひどく汚染させて、自然の法則を破ってしまいました。その結果、世界のあちこちに異常気候が現れて、干ばつ、洪水、台風などによって自然災害が頻繁に起っています。このような流れは、終わりの時に近づくほどもっと深刻になるでしょう。
ところで、このような自然災害も子牛の生きものが動けば、いくらでも防げるのです。ただし、子牛の生きものが動くためには、それほどの公義に合わなければなりません。たとえば、神のみこころにかなう義人が良い目的で気候の調節を祈るなら、神は子牛の生きものを動かすこともあります。いつでも気候を調節するのではなく、すべての条件が公義に合う時でなければなりません。
たとえば、去る27年間、本教会の創立記念主日には、雨が降ったことが一度もありませんでした。創立記念主日には、聖徒だけでなく来賓がたくさん来られるし、野外行事もあります。ですから、毎年、創立記念主日が近づけば、良い天気にしてくださいと祈ります。
ところが、2007年度には、雨が降るという天気予報がありました。当時、10月7日が創立記念主日でしたが、10月5日の金曜日から、天気予報では「日曜日には全国的に雨が降る」と言っていました。さらに、前日の10月6日予報は、明日は全国に5-60ミリのやや強い雨が降る、とまで言ったのです。
皆さんが資料画面を見ればわかるように、台湾の近くに台風が一つあります。(@資料画面①- 10月6日気象写真)これは「第15号クロサ」という台風で、大きさは中型でしたが、強度は、金曜日の夜9時でも「非常に強い」でした。そして、この台風の予想経路は台湾から北北東でした。これは、台風が韓国のほうにもっと近づくという意味です。それで、気象庁は、主日は全国にやや強い雨が降ると予報を出したのです。
ところが、2007年10月7日、創立記念主日の天気はどうだったでしょうか? 雨が降らなかったのはもちろん、雲もほとんどない、とてものどかな天気でした。これはどうしたことでしょうか? 10月7日の気象写真を見ると、韓国の上空には雲がありません。(@資料画面②- 10月7日気象写真)特に、本教会があるソウルを中心に、上と下の方には雲が多いのに、真ん中には雲がありません。
これがまさに、子牛の生きものの働きです。台風の強度も、創立主日の午前10時には「ただの強い」になりました。もし子牛の生きものが働かなかったなら、自然の法則に従って、天気予報のとおり創立記念主日に雨が降ったでしょう。ところが、父なる神様は、全き信仰の祈りをお聞きになり、四つの生きものに命じて、雨が降らないようにしてくださったのです。
天気と気候の調節についての証しは、この他にもたくさんあります。夏の真昼に野外行事をする時は、一瞬にして四方から雲が集まって会場に陰ができることも、いつものことでした。2001年フィリピン聖会の時は、二つの台風が迫っていましたが、一つは消滅して、一つは経路を変えました。それで、私たちは計画どおり、野外で聖会を成功のうちに終えることができました。
このように、天気と気候をつかさどる権勢は、四つの生きものうち、子牛の生きものが持っているのです。
愛する聖徒の皆さん、これまで六時間にかけて、神が造られた霊の世界の存在、すなわち、御使いとケルビムについて語りました。ところが、霊の世界には、御使いとケルビムのほかにも、悪い霊どももいます。悪い霊どもも、人間耕作においてかなり重要な役割をしますので、これについても知らなければなりません。
ところで、悪い霊どもも神が造られたのでしょうか? 仮に、神が造られたのではないなら、彼らはどのようにできたのでしょうか? これについては、次の時間に語ります。
聖徒の皆さん、操り人形劇を見たことがあるでしょうか? 舞台だけを見れば、まるで人形が自分で動いて話をしているようですが、実はそうではありません。人形の腕と脚などがひもにつながっていて、人がその人形を操ります。このように人形が自分を操る人とひもで結ばれているように、この世も霊の世界と結ばれています。ですから、霊の世界を知ることはかなり重要です。霊の世界を知っているほど、霊的な力と権勢を得ることもできます。
したがって「創世記講解」をその時、その時、皆さん自分のものにして、完全に霊の糧にされますように。それで、霊的な権勢と力がある神の子どもになられますよう、主の御名によって祝福して祈ります。
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