new commer 初めてお越しの方の登録 | ホームページ管理人に
hide
ManminCentralChurch

黙示録講解 | 信仰を測ると | 創世記講解

 
banner
on air
Sermon
Official Service
メッセージ(date)
主日礼拝
主日夕方礼拝
金曜徹夜礼拝
Lecture
 
ヨハネの手紙第一講解
黙示録講解
創世記講解
ヨハネの手紙第一
黙示録講解
創世記講解
Theme Sermons
十字架のことば
信仰の量り
十戒
愛の章
天国
地獄
Columns
cell bible
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ
信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
column
counselor
mis_cross_jp
MIS_Spirit
MIS_HolySpirit
MIS_HolySpirit
 
黙示録講解 メッセージ > 黙示録講解
黙示録講解
Title
   黙示録講解(81)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   黙 20:6-10
Date
   2008-11-07


黙示録20:6-10

この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。

愛する聖徒の皆さん、きょうからは、千年王国について具体的に調べます。まず皆さんがよく理解できるように、千年王国の全体の流れを説明してから、詳しい内容を調べていきましょう。
アダムが罪を犯して追い出された後、この地上には六千年の人間耕作が進められてきました。その耕作の日が終わると、六千年間、救われて召天した聖徒とともに、主が空中に降臨されます。この時、この地上の聖徒も空中に上げられて、七年婚宴に入ります。涙と悲しみを忘れて、幸せな宴会をするのです。
空中で婚宴が行なわれている間、この地上では残酷な七年患難が繰り広げられています。ほとんどの人が核戦争とさまざまな災いで死んで、地球は汚染されて荒廃します。この七年が終わる頃になると、地球の自然も文明も環境も、ほとんど荒れ廃れると思えばよいでしょう。太陽と月が見えなくなるほどに汚染されて、ほとんどの建物も破壊されます。
この残酷な患難中にも生き残った人々がいますが、彼らもこの地上に放っておくなら、それほど長く生きられません。戦争や災いがこれ以上ないとしても、すでに天も地も水も全部汚染されて、人が住みにくい環境だからです。
このような環境で七年が経つと、主が聖徒とともにこの地上に下って来られます。そして、主はまず環境を浄化させられます。初めにことばで天地万物を創造されたように、ことばで命じられると、空気と水と地が浄化されて、自然環境も新しくなります。
このように新しくなった環境で、主が治められる千年王国が始まります。七年患難中にも生き残ったごく少数の肉の人々と、七年婚宴を終えた霊の人々が、この地上で一緒に千年王国に入るのです。
もちろん、彼らがともに暮らすのではなく、肉の人々と霊の人々の場所は区分されます。霊の人々がとどまる都が別にあって、彼らはその中で生きていき、肉の人々は都の外で生きていきます。文明と施設のすべてが破壊されたので、外の肉の人々は、原始的な生活をします。一方、霊の人々は区別された都で、何の不自由もなく暮らしていきます。
七年患難を通って生き残った肉の人々は、皆さんが想像しにくいほど、ごく少数です。しかし、千年の時間が流れると、その数がまた急速に増えます。死も災いもなく、食べ物も豊かなので、どれほど早く増えるでしょうか? 初めはほとんど人口がないようだったけれど、千年が過ぎれば、数え切れない人々が地球に広がって生きるようになります。
霊の人々はこのように増えていく肉の人々に、千年間、こまめに真理を教えます。神様と主について、人間耕作の初めと終わりについて教えます。今、生きている千年王国がどんな状況なのか、千年が経つとどういうことがあるのか、心にいつも留めるべきだと教えるのです。
そのうちに千年になると、底知れぬ所に閉じ込められていた敵である悪魔・サタンが、しばらくの間解き放されます。敵である悪魔・サタンは肉の人々を惑わして、神様に立ち向かわせて、霊の人々が住んでいる都を攻撃するようにさせます。
霊の人々は、この千年間、絶えずこのようなことが起きると、肉の人々に警告してきました。それでも、あまりにも多くの人が惑わされて、神様を裏切って立ち向かいます。この肉の人々が都を攻撃して来るとき、神様は天から火を下して彼らを滅ぼされます。これで千年王国も幕を下ろして、最後の大審判が始まるのです。
愛する聖徒の皆さん、これからもう少し具体的に、千年王国の暮らしについて調べていきましょう。七年患難の間、この地上は完全に荒れ廃れる、と言いました。これは単に、環境が快適でない、住みにくいと言えるほどではありません。今日も、公害がひどい都市では呼吸器や皮膚疾患が多いです。毒性が高い物質を扱う工場では、労働者が白血病やがんで死ぬ確率が高いと言われています。また、放射能で汚染された地域では、原因もわからない病気が起こることはもちろん、奇形児が生まれることも多いのです。
未来の核戦争を扱う映画を見ると、生き残った人々が汚染を避けて、深い地下の秘密基地のような所で住みます。そして、長い時間が経つと、もしかして地上の環境が回復しただろうかと、探るのです。
このように、七年患難が終わりになると、世界はすっかり汚染物質で覆われてしまいます。季節と大気の循環、海水の循環のような自然界の秩序も、全部破壊されます。水も汚染されて、その中の生き物が死んで、飲み水を求めることも難しいです。地が汚染されて、森林も焼けて、食料を得ることもできません。戦争と暴動の中に生き残った人がいても、どれほど生存できるのかわからない環境になるのです。
[マタイ24:29-31には、このような状況がよく説明されています。「だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」
この聖句を見て、ある人々は主の空中再臨を説明していると思います。しかし、これは七年患難の後に汚染された世界と、その後、千年王国を始めるために主がこの地上に来られる場面を表しています。「天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」とは、空中で婚宴をしていた魂がみなともに地上に下って来ることを説明しています。
このように汚染された地球に来られた主は、まずすべての環境を浄化させられます。天と地、海の汚染物質をみな取り除き、万物をよみがえらせます。
アダムが初めにこの地上に下って来た時は、それでも地が肥えていました。アダムが罪を犯したので地も呪われましたが、今よりは楽に食を得ることができました。ところが、だんだん悪が増えていき、地もだんだん汚染されてやせてしまったのです。
主が来られて地球を回復させれば、初めのように地は肥えるようになって、人が蒔いたとおり豊かな実を得るのです。蒔かなかったのに自然に育った実も、たくさん得られるのです。殺すことがないので、肉食はしません。かといって、栄養が足りなかったり、ひもじかったりするのではありません。もともとノアの時代より前に、人の悪が今より少なかった時は、肉を食べなかったのです。千年王国の間も、肉食をしなくても乏しいことなく、果物と野菜で充分です。水もきれいな水に変えられて、どこの水も同じような味になります。大気と水の流れ、季節の循環がみな秩序を回復して元通りになるのです。
しかし、六千年の耕作期間と違って、四季がはっきりとあるのではありません。大変な暑さや寒さ、台風、日照り、洪水などがあるのでもありません。主の力で、必要に応じて陽光と雨、風が調節されて、最も快適で住みやすい環境になります。
このような環境で、地上には千年間、主と霊の人々がとどまる場所が建てられます。きょうの本文[9節の「愛された都」が、まさにそれです。この都は輝く石で建てられていて、この地上の建築物とは区分されます。
「創世記講解」で、アダムがピラミッドを造った時に使った材料を説明しましたが、覚えておられるでしょうか? この時、アダムは第二の天から持って来た材料を使った、と言いました。特に表面はガラスのように磨かれた石で造り、とても輝いて美しく、天から見下ろせば星のように光りました。
千年王国の時に霊の人々がとどまる都も、そのように肉のものとは区別される霊の材料で建てられます。非常に輝くまばゆい材料で建てられますが、肉の人々がこの都を見て目が見えなくなったり痛くなったりするのではありません。しかし、光で区切られているので、肉の人々が自由に出入りすることはできません。もちろん特別に許可を得れば入れますが、ふつうはその境に近づくこともできません。このように、霊の人々と肉の人々の住む領域は、光ではっきりと区分されるのです。
ところで、この都は一つだけなのではありません。地球の最も大きい大陸の中央に、主がおられる都があります。そして、各大陸のあちこちに都があって、その地域を治める霊の人々がとどまり、肉の人々を管理します。
この都にとどまる霊の人々も、時に応じて主に呼ばれると、中央の都に行きます。大陸間をかなり遠く移動しなければならないのですが、このような時は何に乗って行くのでしょうか? 千年王国の最も基本的な交通手段は馬です。しかし、霊の人々が主に呼ばれて移動する時は、霊の空間を通って一瞬のうちに移動します。霊の人々は、すでに復活したからだに変わっているので、このような霊の空間を通って移動ができます。私たちの主もよみがえられたとき、戸が閉まっていても、家の中に入って来られたり、一瞬にして姿が見えなくなったりされました。
このように、復活したからだに変わった霊の人々と肉の人々とは、時間と空間の概念が違います。しかし、霊の人々が肉の人々を教えたり治めたりするために彼らと一緒にいる時は、彼らに合わせます。彼らの概念に合わせて、また、公義に合うように、ふだんは馬に乗って移動するのです。
それでは、ここでしばらく「復活したからだ」について調べてみましょう。人が死んで、霊と魂が肉のからだから抜け出れば、この時は、死ぬ前の肉の姿と似た「霊のからだ」になります。この霊のからだは、子どもの時に死んだ人は子どもの形、お年寄りで死んだらお年寄りの形をしています。この地上のからだとは違って、シワや傷跡、障害などはなく、その年齢がどれほどなのかはわかります。
霊のからだで天国の待機場所にとどまっていた人々は、主の空中降臨の時、復活したからだに変わります。生きて空中に上げられる聖徒も、一瞬にして復活したからだに変えられます。この復活したからだは、子どもやお年寄りでなく、皆が33才の美しい姿です。婚宴期間と、続く千年王国の時も、聖徒たちはずっと復活したからだでいるのです。
この復活したからだは、第二の天に適していて、御霊に属するからだではあるが、肉の人々の目にも見えて触れられるのです。聖書を見ると、イエス様がよみがえられた後に、パンや魚も召し上がったことが記されています。復活したからだに変わった人々も、このように肉の世界のものを食べることはできますが、それがおいしいと感じられるのではありません。霊の世界の食べ物は、肉の世界のものとは比べられないほど甘くておいしいです。
したがって、あえて肉の世界のものを食べるのではないけれど、肉の人々に招かれると、彼らと一緒に肉の世界のものを食べます。このような時も、肉の人々のように消化器官で吸収して排せつするのではありません。食べたらすぐ分解させて、呼吸でからだの外に出すのです。
霊の人々は、このように復活したからだで七年婚宴と千年王国を過ごして、白い御座の大審判の後には「完全な霊のからだ」に変わります。復活したからだが第二の天に適している一方、完全な霊のからだは、完全な空間、すなわち第三の天にある天国に適しています。
それでは、なぜ、召天した魂は天国の待機場所に行くとき、直ちに完全な霊のからだに変わらないのでしょうか? これは、まだ第二の天である婚宴とこの地上の千年王国が残っているからです。
もちろん、何人かの方は例外です。すでに完全な霊のからだに変わった方がいます。これについては「天国」の説教で語りました (序列1-4位、エリヤ、エノク、アブラハム、モーセ) 。しかし、この方々も千年王国の間、この地上にともにいる時は、肉の人々も見える姿です。
肉の人々は、血肉のからだのままですが、彼らも病気、死がないから、健康で幸せに生きていくのです。初めに千年王国に入る肉の人は、皆さんにその数をはっきりお知らせできないのですが、驚くほど少ないのです。それでも、千年が流れると全世界に満ちるほど増えていきます。
エジプトに入った70人のイスラエルの部族が、400年経ったらどれほど増えたでしょうか? エジプトから出て来た人数が「幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。」と書いてあります。女性と子どもたち、お年寄りまで合わせれば、200万人には十分なったでしょう。しかもその当時は、寿命が尽きると死んだり、科学と医学が発達しなかったので、寿命まで生きられずに死ぬ場合も多くありました。
しかし、千年王国では死がありません。飢える心配もなく、寒さや暑さも、病気も災いもありません。ですから、千年が過ぎると驚くほど人口が増えるのです。
ところが、このように増えていっても、今日のような文明を作り上げることはできません。もちろん、生き残った少数の人々には、過去の文明についての記憶と知識があります。しかし、その文明を発展させる力はありません。
たとえば、皆さんのうち10人余りだけが、とても大きい無人島に残された、と考えてみましょう。いくら飛び抜けたコンピュータ専門家や電気技術者であっても、その無人島では何の価値もありません。素手で鉄を掘り出して部品を作ったり、コンピュータを組み立てたりできるのでもなく、組み立てたとしてもどこに使うでしょうか? ですから、何も知らないのとあまり変わらないで、ただ原始的に生きるしかありません。
同じように、千年王国に入った肉の人々も、過去の文明を覚えてはいるけれど、その暮らしは原始的な水準から始まります。ガラスのコップ、台所の包丁も、簡単に作れないのです。人間耕作六千年間を考えてみても、今日のように発達した文明を作り上げたのは、そんなに昔のことではありません。この地上に追い出されたアダムにも、エデンで得た飛び抜けた知識と知恵がありました。しかし、その知識があったとしても、この地上では素手で始めたので、その知識を活用する方法がありませんでした。初めの千年、二千年が経つ間は、文明がそんなに大きく発展したのではありません。
私が88年に初めて「黙示録講解」を伝えた時は、「千年になると、ひょっとして人々が今日のように文明を作り上げるかもしれないけれど、それは神様だけが知っておられる」と言いました。今回、神様が教えてくださったところによると、この千年という期間は、何かを作り出しても手作業でできる水準だと言われました。日常生活に最も必要な基本的なものを、手で作って使う程度だと言われたのです。
今日のように、コンピュータや車、高層建築物などを造るほど、文明は発達しません。ですから、環境汚染などもありません。病気と災い、死がないだけでなく、憎しみも、争いも、何の悪もありません。この時は、皆がまるで聖められた人のように柔和で、平和を保って生きていきます。
[イザヤ11:6- 9に「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」とあります。
このような平安のうちに、千年はたちまち過ぎ去っていきます。その千年が終わると、敵である悪魔・サタンがしばらくの間解き放されると言いました。すると、その時、数多くの肉の人々がサタンに惑わされて、滅びの道に向かいます。
本当におかしなことです。肉の人々は、それまで悪のない世界がどれほど平安なのかを体験しました。また、敵である悪魔・サタンがしばらくの間解き放されると、彼らに惑わされれば滅びると、千年間、幾度も聞いて学びました。それなのに、なぜ彼らは惑わされるのでしょうか? サタンはどのようにして彼らを惑わすのでしょうか?
次の時間に続けて説明いたします。

結論

愛する聖徒の皆さん、千年を生きる間、霊の人々は、肉の人々を治めて教えるほかにも、主とともにいろいろなことをします。時に応じて、主と預言者とともに地球のあちこちを巡ったりもします。この地上で耕作を受けた時に住んでいた所、あるいは、いつも憧れていた所や古代文明の発祥地など、どこにでも行けるのです。(もちろん、七年患難中の戦争と災害で建築物などはすでになくなっているので、千年王国の間はほとんどその敷地だけが残っている程度です。)
このような所に行くとき、主は細やかな案内者になってくださいます。地球をどのように創造されたのか、どのように変わってきたのか、また、今日、人々が科学で明らかにすることができないいろいろな現象は、どのように現れたのか、天地万物の隠された原理を一つ一つ説明してくださるのです。
しかし、主と一緒に行くのも、人によってそれぞれ意味が違います。たとえば、王が宮の外に出かけるとき、すぐそばでお供する人もいて、ちょっと離れて守る人もいます。ある人々は近づくこともできないで、王の行列を遠くから見物するだけです。千年王国でも、主が案内されるとき、皆がすぐ近くで一緒に歩きながら案内されるのではありません。この地上で心の割礼が足りなくて、天国の序列が低いならば、主と一緒にいても近づくことはできません。
愛する聖徒の皆さんは、千年王国がやって来るなら、どこに一番行きたいでしょうか? また、主とはどんな姿で一緒にいたいでしょうか? 主のすぐそばで、いつも一緒にいて、一つ一つ説明を聞きたいでしょうか? でなければ、ただ遠く離れていても、説明してくださる内容を聞けば、それでいいと言うでしょうか? そのような方はいないでしょう。
それなら、時間があまりありません。こまめに花嫁の備えを終えなければなりません。千年王国がやって来て、言葉で表現できない幸せであちこちを巡るとき、すべての聖徒の皆さんが、もっと近くで主とともに歩まれますように。そして、新しいエルサレムまで永遠に続くその幸せを、皆が分かち合えますよう、主の御名で祝福して祈ります。

 
ManminCentralChurch
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
- tel 82-2-818-7000 - fax 82-2-851-3846
COPYRIGHT MANMIN CENTRAL CHURCH, ALL RIGHTS RESERVED