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メッセージ >
黙示録講解
Title
黙示録講解(71)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
黙 16:15-21
Date
2008-08-08
黙示録16:15-21
――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。――こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、「事は成就した。」と言った。すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。また、あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そして、大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。
愛する聖徒の皆さん、七年患難が始まってから、この地上には災いが続きます。御使いが七つの封印を解いて、七つのラッパを吹き鳴らして、七つの鉢をぶちまけます。そのたびに、災いはだんだんひどくなります。戦争と自然災害が続いて、そのため、環境汚染とさまざまな病気が猛威を振るいます。七年間、世界のあちこちで起きる災害は、患難の終りに近づくほど、言葉で言えないほど惨めになっていきます。
それでも七年患難の時を生きていく人々は、自分たちが人間の歴史の終わりの時点に生きていることを悟りません。目の前の深刻な災害を見て驚くのですが、「それでもこれから良くなるだろう」という漠然とした期待を持っています。
今日の世界情勢を見ても、人々は「これからは良くなるだろう」という期待を持っています。しかし、政治、経済、社会、自然環境など、すべてがもっと良くなるのではありません。だんだん七年患難が始まる環境になっていくのです。まして、七年患難が終わりに近づくなら、どうでしょうか? 状況は決して良くならないで、ますます絶望的に変わっていくだけなのです。
ついに御使いが七つの鉢をぶちまけると、その時は災いが最高潮になります。地球環境の破壊と汚染による病気、石油資源の枯渇による混乱と紛争、これらが深刻な危機をもたらします。それとともに、もう一度大きい戦争の兆しが見えるのです。
きょうの本文<16節>に「こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。」とあるのは、まさにこの戦争のために集まることです。三つの霊については、この前に説明をしました。きょうは、本文と関連してもう少し詳しく調べてみましょう。この三つの霊は、「かえるのような汚れた霊ども」とあり、それぞれ「竜の口」と「獣の口」、そして「にせ預言者の口」から出て来るとありました。
まず、竜の口から出て来た汚れた霊は、イスラエルのリーダーに働きかける、と説明しました。獣の口から出て来る汚れた霊は、連合政府のリーダーに働きかけます。にせ預言者の口から出て来る汚れた霊は、連合政府と結託する宗教の指導者に働きかけるのです。
ところで、この汚れた霊どもを「かえるのような」と表現しました。かえるは気味悪い姿をしていて、その口から出る声が騒がしくてうるさいです。種類によってちょっと違うけれど、醜いものがたくさんいます。エジプトに下した十の災いのうちにも、このかえるの災いがありました。これはエジプトの王パロが、かえるのように神の御前に忌み嫌われる人物だったからです。
女性の中には、かえる一匹見てもうんざりする方がいます。ましてこのかえるが道や家の中にいっぱいで、台所に、茶碗の中に、寝床にまで上がってくるなら、どれほどぞっとするでしょうか? このように気味悪いかえるは、霊的に「忌み嫌うもの」を表します。したがって、かえるの絵やかえるの形に作ったものをどこにでも使ってはいけません。
「彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。」とあります。
ここで「しるしを行なう」とは、今日、皆さんがいつも見ている神のみわざのような実際的なしるしを行なう、という意味ではありません。人の心を惑わす口車にのせたり、人をまやかしたりすることを意味します。人々を惑わして、全世界が巻きこまれる大きい戦争のうずをまき起こすのです。
この戦争は、表では人々によって起きるように見えます。世界各国が自分の利益を求める心と悪から、戦争を起こそうと自ら集まります。ところが、裏では、結局、神様の摂理にあってなされているのです。神様の定められた時になって、戦争が起きるしかない環境になったので、各国がこのように動くようになるのです。
その環境とは、この間説明したように、石油資源の枯渇から始まります。それまでは、世界秩序を維持するという名目で、連合政府が全世界を支配していました。さまざまな資源も、連合政府によって供給されていました。ところが、石油が枯渇していくことが知られるのです。すると、世界は混乱して、各国は自分の生きる道を探すようになります。
特に、それまで黙っていた強大国の動揺がさらに大きいです。強大国はそれなりの力を持っていましたが、それまでは連合政府に協力して、自分の利益を求める道を選んできました。しかし、これからは連合政府だけ信じて頼ってはいけない、少し残った石油でも確保するためには、直接動くべきだと判断するのです。この機会に、これまで連合政府に渡していた世界の主導権を握ろう、とも思うのです。
このような動きが連合政府に察知されます。すると、連合政府はこれを防ぐために、中東とイスラエル、そして周りの国を抱き込み、力を集めようとします。それで、三つの汚れた霊に働きかけられた者、すなわち、連合政府のリーダー、彼らと結託した宗教集団の指導者、そしてイスラエルのリーダーが、中東の周辺国を惑わして集めます。
そして、口車に乗せるのです。「強大国が今の体制に不満を抱いて、中東地域の石油を掌握しようとしている。しかし、彼らがあなたたちに与えられる利益はそんなにない。連合政府がもっとあなたたちに利益を与えて、他の強大国からも守ってくれる。」だいたい、こういう内容で説得するのです。
このような状況を、<16節>に「 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。」と書いてあるのです。ここで言う「ハルマゲドン」について、一般的にはイスラエルのメギドを指します。メギドはガリラヤの南にある要塞都市で、古代から有名な戦場の一つでした。
しかし、ここで「ハルマゲドン」とは、どこか具体的な地名を示すというよりは、霊的な意味が含まれています。「破壊者の集まり」という意味です。世界を破壊していく者の集まりができて、このため、もう一度大きい戦争が起きるのです。すべてがこのように緊迫して動いているとき、最後の七つの鉢をぶちまけるようになります。
ところで、第七の最後の災害を説明する前に、本文<15節>を見ると、神様はもう一度、聖徒たちに戒めのことばを下さっています。「――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。――」と言われたのです。このような惨めな災いにかかわらないためには、目を覚ましている信仰生活をするべきだという意味です。これは主を信じている、信仰生活をしていると言っている人々が、もう一度自分を顧みるようにさせるみことばです。
<マタイの福音書22章>には、王の婚宴に招待されて来たけれど、礼服を用意しなかったひとりの者のことが書いてあります。普通の婚宴でなく、王が設けた婚宴です。何の用意もなく誰でも参加できるのでもないのに、そのような人がいるならば、ひどく礼儀に反することです。
みな最高の礼服を心を込めて着ていましたが、ただひとりが礼服を着ていなかったので、すぐ目につきました。王が彼のところに来て、「あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。」と聞きましたが、彼は黙っていました。申し訳なくて、何の返事もできずにましたが、結局、そこから放り出されてしまいました。
<マタイ22:13-14>に「そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」とあります。
霊的に、「婚宴に招待されてきた」とは、それでも主を信じていると言って、自分なりには信仰生活をしてきたという意味です。ところが、招待されたからといって、皆が婚宴に入るのではありません。自分は、とにかく招待されたのだから当然婚宴に参加できるだろう、と思いますが、礼服がないので、結局放り出されたのです。
礼服がないとは、すなわち、心の割礼をしなくて、世の人と同じように罪の中に生きたという意味です。今日、「私は主を信じている」と教会に通って信仰生活をしていても、霊的には眠っている人々がたくさんいます。礼拝と祈祷会に参加して、それなりに務めがあって奉仕活動もしますが、だからといって、みな目を覚ましているのではありません。目を覚ましている人ならば、必ず心の割礼をしなければなりません。それで、婚宴に着られるように、きよい花嫁の礼服を用意しなければなりません。礼服を用意しなかった人は、結局、人々の前で裸のような恥を現すようになります。外の暗やみに放り出されたので、七年婚宴に入って来ることができなくて、結局救いとも関係がないのです。
今は救われた神の子どもたちが、主の婚宴に入る日がそんなに遠くありません。ところが、世の人々は「もう少しで主が来られる」と言っても、耳を傾けません。はなはだしきは、主を信じる人々さえも耳を傾けないのです。終わりの時の前兆として、大きな災害が起きる時は、驚いて緊張したりします。しかし、災害が頻繁になれば、それさえ慣れてしまいます。ですから、七年患難に至るまで、災いと患難がだんだんひどくなっても、霊的に眠っている人々は、それがいつものことだと思います。
原油価格だけを見ても、皆さんはよくわかります。わずか1、2年前までは、人々は原油価格が100ドルを超えるなら、大ごとのように心配しました。ところが、いざ100ドルをはるかに超えてみると、人々はそれに鈍くなっています。突然大きく上がっても少しは下がり、また上がっても少し下がり、このように繰り返すうちに、人々の感覚が鈍くなってきたのです。当分は大ごとのように大騒ぎをしながらも、すぐ以前の姿へ戻ってしまいます。
同じように、大きい災いが起きて、多くの人が死んで被害をこうむっても、そのようなことが続けば慣れてしまいます。こういう災いが特別に終わりの時の前兆とは思われないのです。それで、イエス様も<ルカ17:27>で「ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。」と言われたのです。
このように、人々はさばきが臨む直前まで、朽ちるこの地上のことに夢中になっていて、突然、終わりの日を迎えるようになるのです。主を信じていると言う人々も、目を覚ましていないなら、これと同じです。いくら終わりの時だと言っても、あまり実感できないのです。「終わりの時だと言ってるけど、まさかそんなに急に主が来られるだるうか? それでもまだもう少し余裕があるだろう」と言います。こ
のような人には、「私は盗人のように来る」というみことばが、そのまま臨みます。ですから、何としてでも目を覚ましていて、時代の流れを見分けなければなりません。身に着物をつけ、裸で歩かないようにしなければなりません。
ここで「着物」とは、霊的に「心」を意味します。「身に着物をつけ」とは、つまり、自分の心を守りなさい、という意味です。罪と悪が満ちている終わりの時であるほど、どこへ行っても、汚れに接しやすいのです。このような世で生きていくには、神の子どもたちは気をつけなければならず、朽ちることに心を奪われてはいけません。ただ主の日を慕って待ち、こまめに聖められるために努めなければなりません。それでこそ、主が来られるとき、霊、たましい、からだが完全に守られるのです。
愛する聖徒の皆さん、ここで、聖徒たちの「着物」について、もう少し調べてみましょう。聖書のあちこちに、神の子どもたちがどんな着物を着なければならないのか、書いてあります。たとえば、<ローマ13:14>に「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」とあります。また、<ガラテヤ3:27>には「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」とあります。
「バプテスマを受けてキリストにつく者とされた」とは、主を受け入れて、聖霊のバプテスマを受けたということです。このように聖霊のバプテスマを受けて、主のように聖なる心を耕すと、完全にキリストをその身に着た、と言えるのです。
<コロサイ3:12>にも「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」とあります。私たちの主のように、深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容など、聖なる心を身に着けなければなりません。
ところで、この着物は単に心のたとえだけではありません。私たちが真理を心に耕す分、実際に与えられる着物のことでもあります。たとえば、聖霊に感じて、動かされて、満たされて祈り、神様と交わる人には、それを表す着物が与えられます。すなわち、目に見えないけれど、霊的に神の恵みが着物のように身をおおうのです。
そして、将来天国では、この地上で心に耕して行なったことが、実際に目に見える着物としても与えられます。最も基本的なものは、きよい麻布の衣です。単に白い衣でなく、光の衣であり、聖められたほど、衣から放たれる光彩が変わります。
ところで、とこしえに生きなければならない天国で、いつも同じ麻布の衣一着だけを着るのではありません。聖潔の衣、聖なる衣、賛美の衣、忠実の衣、柔和の衣、祈りの衣、義の衣、真理の衣など、各自に与えられる着物はいくらでも増やせます。着物の色と模様もいろいろです。
基本的には、きよい麻布の衣と言いましたが、場合によって華麗な色が入ることもあります。ですが、天国の着物はこの地上の単純な赤、黄、ピンクなどとは違います。たとえば、赤い衣なら、単純に赤い色の衣ではありません。赤味をほのかに帯びた衣です。
理解しやすくたとえるなら、明るく光る電球を薄い赤い布で囲めば、ほのかな赤味が浮かびます。このように、天国の着物は眩しく明るい光が放たれていながらも、その中に妙なる色を帯びているのです。このようにただ白いのではなく、多様な色の着物が与えられます。
また、特別に神様に喜ばれたことがあるなら、それを現す模様が刻まれます。神様に喜ばれた賛美の働き者だったなら、天国の着物には賛美の模様が入ります。神の国のために祈りを数え切れないほど積んだなら、祈りの模様が華麗に縫い取られるのです。この模様は、見る聖徒に感動と喜びを与えます。
また、着物にはいろいろな飾りもつけられます。たとえば、伝道の報いはブローチとして与えられると言いました。このように、ただきよい麻布の衣一つだけでなく、色も、模様も、飾りもさまざまなのです。
この地上にも、どれほど美しくて華麗に飾られた着物がたくさんあるでしょうか? ですが、この地上のどの時代、どんな王族の着物も、天国で与えられる着物には比べられないのです。皆さんがもっと聖められたほど、また、神の国のために労苦して報いを積んだほど、言葉で表現できない美しい着物が与えられることを必ず信じられますように。
次に、本文<17-18節>に「第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、『事は成就した。』と言った。すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。」とあります。
第七の御使いが鉢を「空中に」ぶちまけた、とあります。今まで六人の御使いが鉢をぶちまけました。第一の御使いは地に、第二は海に、第三は川と水の源にぶちまけました。第四は太陽に、第五は獣の座に、第六の御使いは大ユーフラテス川にぶちまけました。
ところで、ついに第七の御使いは「鉢を空中にぶちまけた。」とあります。これは以前のどの災害より、もっと広く大きい災害が臨むことを意味します。空中とは、ある一部の地域だけのものではありません。第一の天に人が生きるすべて空間にあります。それで、「第七の鉢を空中にぶちまけた」とは、神の御怒りのさばきが全世界にぶちまけられた、という意味なのです。
この時、「すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、『事は成就した。』と言った。」とあります。この声は神様から出て来た声です。「事は成就した。」とは、第七の鉢をぶちまけたと同時に、すべてが終わったことを宣言されたのです。人類のすべての歴史は、結局神様がつかさどられるということを、もう一度悟らせてくださるみことばです。人は、自分の思いのとおり生きていくと思うけれど、そのすべて過程は、結局、神様の摂理にあって定められた結果を迎えるのです。
続いて「すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。」とあります。
神様が「事は成就した。」と言われると、いなずまと声と雷鳴、大きな地震がありました。「稲妻」とは「神の権威」を表します。神のみこころの中で予定されたこと、契約なさったことが、一寸の誤差もなく成就するようにされる神の権威を意味します。
次に、「声」とは「神の力」を表します。力強くとどろきわたる神の御声は、神の力、すなわち、何でもおできになる無限の力を意味します。
このように稲妻と声があったのは、神の権威と力をもって言われたことは、そのまま成就されることを表しています。すなわち、「事は成就した。」と言われたとおり、これからすべてが終わることを約束しているのです。
次に、「雷鳴」とは「御怒り」を表現します。今まで人間耕作を進めてこられた間、耐え忍んできたすべてに対する御怒りを表します。神様はまことの子どもを得るために、人間耕作の長い歴史の間、千年を一日のように耐え忍んで待たれました。それにもかかわらず、この地上はますます罪と悪で満ちていきました。今、耕作のすべてが終わる瞬間、公義によって神の御怒りが臨むのです。
それが稲妻と声と雷鳴であり、また、以前になかった大きい地震として現れるのです。人類の歴史上、大きい地震が何回もあって、現在も、ものすごい規模の地震が世界のあちこちで起こっています。七年患難の間も、世界のあちこちでこのような大きい規模の地震が起きます。
ところが、この最後の瞬間には、七年患難の間にあったどんな災害より大きくて、世界の始めから見られなかったような史上最大の地震が起きるのです。神の権威と力、御怒りがすべて合わさって噴き出し、天地が揺れ動くのです。
ところで、このような稲妻と声と雷鳴、大きい地震が、この地上に繰り広げられる、根本の原因があります。まさに、以前に見られなかった途方もない核戦争です。すなわち、七年患難を締めくくる最後の瞬間に、ものすごい核戦争がもう一度起きるのです。これについては、次の時間に説明いたします。
結論
愛する聖徒の皆さん、皆さんは将来天国で何を身に着けたいでしょうか? どんな模様と飾りがほしいでしょうか? その望みを持って、こまめに聖められますように。天に報いも熱心に積まれますように。
このような望みを持って、目を覚ましている人だけが祈れます。目を覚ましている人だけが忠実になれるのです。目を覚ましている人だけが義の中に、真理の中に生きていけます。目を覚ましている人は、心の割礼をしながら、結局、聖潔に向かって走って行きます。
皆さんが目を覚ましている信仰生活をしているのか、でなければ、眠っている信仰なのか顧みられますように。祈っているでしょうか? 神の国に忠実でしょうか? 聖潔に向かって進んでいるでしょうか?
聖徒の皆さんは、必ず目を覚ましている信仰生活をされますように。それで、皆が天国の美しい着物を身につけて、国の宴会に参加できるよう、お願いします。その場に必ずともにいる皆さんになられますよう、主の御名で祝福して祈ります。
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