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黙示録講解
Title
黙示録講解(39)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
黙 6:1-2
Date
2007-09-21
[黙示録6:1-2]
また、私は見た。小羊が七つの封印の一つを解いたとき、四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい。」と言うのを私は聞いた。 私は見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。
[黙示録6章]からは七年患難の内容が出てきます。主を信じて救われた人々が主の空中再臨とともに携挙されると、その時からこの地上には七年患難が始まります。七年患難は人間による戦争と自然災害が合わさって、先にもなく後にもない患難へと展開されます。
ところで、[黙示録6章]では、全世界を戦争の渦に巻き込む第三次世界大戦の序幕が始まっています。聖書に記されている「終わり」に至ったのです。
[マタイ24:3]を見ると、弟子たちがイエス様に「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」と尋ねる場面が出てきます。するとイエス様が[6節]で「また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。」と言われます。
ここで「戦争」とは「ある一つの国や地域に限られているのではなく、全世界に影響を与えるもの」です。したがって「戦争のことや、戦争のうわさ」とは、まさに第一次、第二次世界大戦を意味します。ところが「これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。」とあります。ですから「終わり」になると、もう一度戦争のような状況があると暗示しているのです。「本当にこれで終わりだな」と感じられる、途方もない状況が繰り広げられるのです。まさにその「終わり」に起こるのが第三次世界大戦です。主が七つの封印を解き始め、七年患難が始まるこの地上は、だんだん世界大戦が勃発するしかない、緊張状況に入っていきます。
本文[1-2節]に「また、私は見た。小羊が七つの封印の一つを解いたとき、四つの生き物の一つが、雷のような声で『来なさい。』と言うのを私は聞いた。 私は見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。」とあります。
このように小羊である主が封印を解いてはじめて、災いの兆しが現れ始めますが、これは第三次世界大戦をはじめ七年患難のすべての出来事が、主がつかさどってなされることを意味しています。
また、主が七つの封印の一つを解いたとき、神様に直属している四つの生き物の一つが、雷のような声で言ったとあります。神様の直属で命令を遂行する四つの生き物がこのようにかかわっていることは、このすべてが神様の許しによってみこころと摂理のとおりなされるという意味です。
だからと言って、神様が七年患難の災いをこの地上に直接下されるという意味ではありません。いずれにせよ、公義の法則に従って、この地上に臨むしかない途方もない戦争と自然の災いですが、それさえも結局は、すべてをご存じであって、それに従ってすべてを計画しておかれた神様の摂理にあって流れるという意味です。
四つの生き物の声を雷にたとえたのは、彼らがそれほど大きい力と権威を持つ存在である、ということを語っているのです。四つの生き物の一つが、使徒ヨハネに「来なさい」と言ったのは、これから今後の状況がどう展開されるのかを見せるという意味です。
それで使徒ヨハネが見ると、「白い馬」が見えました。「白」は光、きよさ、聖潔を意味し、霊的には神様に属していることを意味します。また、「馬」は権威と威厳を意味し、一方では戦争を意味することもあります。昔は、馬が戦争にかなり重要な役割をしました。
このような白い馬に乗っている者が見えました。彼は権威と威厳を受けて働かすことができる、すなわち、主の御名によって事を遂行する使いです。そして、彼が「弓を持っている」とありますが、「弓」は「争いと戦い」を意味します。弓を射ると、目標を達成するために矢のように進んで行くなら、ぶつかったりと争ったりすることがあります。したがって、主の使いが弓を持っているということは、結局、ぶつかることによって平和を壊すという意味です。
次に、「冠を与えられた」ということは、神様から守られて認められるという意味です。かしらになる富と名誉と権威が与えられるという意味です。それと同時に、「冠」は自負心と高慢を意味することもあります。
それなら、はたして今まで説明した内容に当てはまるのは誰でしょうか? それはイスラエル民族です。つまり、「白い馬」とは、霊的にイスラエル民族を意味し、その馬に乗っている者とは、イスラエル民族を導いて彼らの運命を左右していくリーダーたちを意味しています。
「白」は神様に属していることを意味し、「馬」は権威と威厳とともに戦争を意味すると言いました。イスラエル民族も、神様に属する選ばれた民であり、歴史で彼らのために多くの戦争が起きました。また、弓を持っているということは、目標を果たすために平和を壊すという意味です。しばらく後にお話ししますが、実際にイスラエルは自分たちの目標を達成するために、周りといつも摩擦を起こしてきました。それでもイスラエル民族は神様に守られて、今でも世界のあちこちで富と名誉と権威を味わっています。ですから、イスラエル民族には自負心と高ぶりがあります。自分たちは選ばれた民であり、神様に守られて、いつも勝利を得るという高慢です。このような姿を「冠を与えられた。」と言うのです。
それでは、今の説明が理解できるようにイスラエル民族についてもう少し具体的に調べてみましょう。
聖徒の皆さん、[ヨハネ19:23- 24]に「さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。そこで彼らは互いに言った。『それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。』それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」という聖書が成就するためであった。」とあります。
このみことばの霊的な意味は「十字架のことば」で詳しく説明しました。その内容を簡単に申し上げると、ここでイエス様の着物とは、イスラエル民族を意味しています。このようなイエス様の着物を四分したということは、肉的にはイスラエル民族が完全に分かれて散り散りになるという意味です。しかし、下着は上から全部一つに織った、縫い目なしのものであったので、それは裂かなかったとあります。これは、イスラエル民族の内面的なもの、つまり心だけは分けられないという意味です。
このみことばのように、西暦70年にローマのティトス将軍によってエルサレムが完全に破壊され、イスラエルという国自体がなくなりました。生き残った人々は東西南北の四方に散って、そのために今でもユダヤ民族は世界のあちこちに散って住んでいます。
ところが、このように徹底的に国が破壊されて、国民もすべて散ったにもかかわらず、彼らの内面的なもの、つまり神様に向けられた心だけは誰も奪ったり押し倒したりできませんでした。その後も、ユダヤ民族を根絶やしにしようとする試みが何回もありましたが、ユダヤ人はそのすべてに勝ち抜いて、むしろ1948年5月14日に独立国を建てます。
世界史のどこにも、このように国自体が完全に破壊されてなくなった後、約1900年も過ぎて、自分たちの民族で再び独立国を建てるとは、その例が探せないことです。ところが、ユダヤ人、すなわち、イスラエル民族はこれをやり遂げたのです。ただこれが可能だった理由は、神様への彼らの心がその永い歳月でも変わらなかったからであり、神様が自分たちに下さった契約の地を取り戻すという一念で、この途方もないことをやり遂げたのです。
これによってイスラエル民族の自負心はさらに大きくなりました。自分たちは神様から選ばれた民族であり、したがって、最も飛び抜けた民族だと自負する選民思想が彼らの中には相変わらず根強くあります。
しかし、このような選民思想が高慢と我執となり、周りの国々との平和的な共存はますます遠ざかってしまいました。このために、今でもイスラエルを中心とした中東一帯にはいつも緊張が漂っていて、イスラエルは独立以後今日まで、続く戦争の中で生きています。いつも大小の戦争を行なっています。ところが、まさに本文[2節]に「勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。」とあるように、イスラエルはこのような戦争に全部勝利を得ているのです。
聖徒の皆さん、先に申し上げたように、イスラエルは国と国土を失って約1900年ぶりに再び自分たちの昔の領土へ戻り、新しい独立国家を建てます。ですから、すでにその地で1900年生きてきた人々が、どうしてこれを喜んで迎えるでしょうか。一朝にして自分たちが住んでいた地をイスラエルに譲り渡さなければならないとは、常識的にも理解できることではありません。また、イスラエルの昔の領土の周りにある多くのアラブ国家も、イスラエルのこのような行動を決して歓迎するはずがありません。
それで1948年5月14日、イスラエルが国家の独立を宣言すると、翌日の5月15日の朝、アラブ連合軍がイスラエルを攻めて来ます。「パレスチナ戦争」とも「独立戦争」とも言う、第一次中東戦争が勃発したのです。当時、イスラエル軍は、たとえ規模も小さくて武器も貧弱であっても、団結した力でこの戦争で圧勝しました。
1956年10月には「スエズ戦争」と呼ばれる第二次中東戦争が起こりましたが、この時もイスラエルが勝利を得ました。1967年6月5日に起こった第三次中東戦争は、あの有名な「六日戦争」として知られています。この時もアラブ国家が連合して攻めて来ましたが、イスラエルは六日目に彼らを打ち破ります。その上、この六日戦争によって、イスラエルはヨルダン西岸地区、ゴラン高原、ガザ、シナイ半島など多くの領土を占領するようになります。エルサレムも再統合して、イスラエルはその後大いに栄えます。
その当時、有名なエピソードがあります。イスラエル軍を率いていた最高位の将軍が参謀たちとの会議の席で、指揮棒を高く上げて「神様、この戦争を六日で終わらせて、私たちが安息日を守るようにしてください」と祈ったということです。
その後も1973年、「ヨム・キプール(贖罪日)戦争」と呼ばれる第四次中東戦争が起こりました。この時もイスラエルは結局、勝利を得ます。この他にも、イスラエルとアラブ国家との間には、いくつか大小の戦争がありましたが、そのたびにイスラエルの勝利で終わりました。
聖徒の皆さん、[第二歴代誌20:15]を見ると、モアブ人とアモン人、および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテが治めていたユダに攻めて来ます。この時、主の霊がアサフ族の出のレビ人ヤハジエルの上に臨み、彼を通して神様のみことばを伝えるようにされます。「彼は言った。『ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられます。「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。」』」と言ったのです。
このみことばどおり、戦いは神の戦いであります。戦いだけでなく、人生の生死禍福と世界史のすべてを神様がつかさどられます。それで、イスラエル民族がたとえ肉的にはいくら力が弱くてみすぼらしく見えても、彼らが神様に喜ばれて、みことばの中に生きて神様により頼む時は、神様がともにおられるので、必ず勝利を得ました。しかし、肉的には多くの物を持っていても、彼らが神様を離れてみことばの中に生きられなかった時は、周りの異国から攻められて、戦争の敗北による苦しみにあわなければならなかったのです。
ところで、今のイスラエル民族の独立は、すでに神様が旧約で預言され、摂理のうちに計画されたとおりになされたことです。その一つだけを調べてみると、[エゼキエル38:8-9]に「多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる。あなたは、あらしのように攻め上り、あなたと、あなたの全部隊、それに、あなたにつく多くの国々の民は、地をおおう雲のようになる。」とあります。
このみことばがどれほど正確に成就されているでしょうか。ですから、このようなイスラエルを押し倒すために、周りのアラブ国家が起こした戦争で、当然、神様はイスラエルの肩を持ち、彼らに勝利を与えられるしかないのです。言われたとおりに守ってくださり、結局、イスラエル民族を通して、摂理のうちに計画されたとおり成し遂げていかれるのです。
ところが、本文に「勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。」とあり、まだ完全に勝利を得たのではないことを言っています。言いかえれば、まだ戦いが進行中であり、決定的に完全に勝利を得たと言えるのではないということです。これはまさに、これからある第三次世界大戦という途方もないもう一つの戦争が残っているからです。
実際、第一次、第二次世界大戦が起きたことにも、イスラエル民族が深くかかわっていますが、これからの第三次世界大戦にも、イスラエルが密接にかかわるようになります。今、イスラエルがある地とその周りの地は、神様がこの地上に人間を耕作する出発点だった所です。ところで、人間耕作の締めくくりもやはり、ここを中心になされるのです。イスラエルがその中心に置かれていて、イスラエルと中東のアラブ国家との戦争によって、結局、第三次世界大戦が勃発して、人類が滅びへ向う契機になります。イスラエルはこのように人類の歴史において、最後までとても重要な立場に置かれ、またそうなるしかないように、すべての周りの環境一つ一つが作られています。
ところで、イスラエルを中心にするこのような状況で、神様は一度言われたみことばをどれほど信実に守られるのか、「エジプト」という国を通してもう一度悟ることができます。
イスラエルとアラブ国家との四次にわたった戦争で、イスラエルが全部勝利を得ると、1978年、アメリカの仲裁でイスラエルとエジプトとの間に平和協定が締結されます。周りのアラブ国家から「あり得ないこと」と激しく非難されましたが、1982年には協定の履行のためにイスラエルがシナイ半島をエジプトに返還するまでに至ります。
ところで、これらすべてが偶然によるものではなく、すでに聖書に記された神様のみことばによって、神様のみこころにあってに起きたことです。
[創世記47:7-12]の内容を見ると、エジプトの統治者になったヨセフのおかげで、ヤコブとその家族は深刻な飢謹を避けて、エジプト、すなわち、今のエジプトの地に移住することができました。この時、パロの前に立ったヤコブがパロを祝福する場面が出てきます。パロはヤコブと彼の家族をよくもてなして、彼らに住む地を与えます。
[11-12節]に「ヨセフは、パロの命じたとおりに、彼の父と兄弟たちを住ませ、彼らにエジプトの地で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた。またヨセフは父や兄弟たちや父の全家族、幼い子どもに至るまで、食物を与えて養った。」とあります。このようにヤコブとその家族は、すなわち、イスラエル民族の基になる人々は、エジプトから大きい恵みを受けたのです。それで、[申命記23:7後半節]に「エジプト人を忌みきらってはならない。あなたはその国で、在留異国人であったからである。」とあるのです。
さらに、イスラエルの基になるヤコブがエジプトの王パロに祝福を祈ったので、イスラエルとエジプトはついに、肉的にはとうていありえなかった平和協定まで結べました。この平和協定により、今現在はもちろん、今後起こる大きい戦争でも、エジプトは中東の他のアラブ国家とは違って、大きい災いを免れるのです。
しかし、結局、第三次世界大戦では、イスラエルとその周りの国々が戦争に巻きこまれて、とんでもない災いに見舞われます。初めはイスラエルとアラブ国家との戦争ですが、それが結局は、石油を中心とした各国の利権と、アメリカとイスラエルとの関係などが複合的に働き、世界の列強が競い合うようになります。
今後、徐々に説明しますが、[黙示録9:16]に出てくる「二億」という、ものすごい数字の軍隊の大きい戦争が起きてしまうのです。まさに第三次世界大戦が最高潮に至るのです。本文[1-2節]の中には、このように途方もない意味までも含まれているのです。
次の時間には、続く本文の「赤い馬」、「黒い馬」の意味と、全世界が戦争に巻き込まれるしかない、その時の状況について続いて説明します。
愛する聖徒の皆さん、これからあるイスラエルと中東国家との大きい戦争、そして、それによる世界大戦などは、すでに救われた神の子どもたちはこの地上に残っていない状態で起こることです。しかし、きょうの本文で調べたように、終わりの時に起こることが、その時になって一瞬にして起こるのではありません。すでに数千年前からの事が積みに積まれて、公義にかなうように起こるのです。神様のみこころと摂理によってすべてが正確に進められ、その結果もやはり、神様のみことばどおり一寸の誤差もなく成就されます。
本教会に向けられた神様のみこころと摂理も同じです。終わりの時に、神様は大いなるみこころを成し遂げようと、すでに遠い昔から本教会を選ばれ、一つ一つ導いて今日に至るようにされました。人間耕作が締めくくられる時点に、大聖殿の建築と世界の福音化という重大な使命を果たせようと、今まで訓練に訓練して、公義にかなう条件を作ってこられたのです。
したがって、皆さんは「ヨハネの黙示録講解」を聞いて、今後の世界史の流れを知ることも大切ですが、同時に、これを通して神様のみこころと摂理がどれほど正確に成就されていくのかを、必ず心に信じて力とされますように。また、本教会と私たちに向けられた父なる神様のみこころと摂理もやはり必ず成し遂げられるということを、霊の信仰によって信じますように。
それで、[使徒13:22]で、神様がダビデに向かって「わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。」と言われたように、父なる神様の心にかなった皆さんを通して、神様のみこころがすべて実現されますよう、主の御名によって祝福して祈ります。
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