new commer 初めてお越しの方の登録 | ホームページ管理人に
hide
ManminCentralChurch

黙示録講解 | 信仰を測ると | 創世記講解

 
banner
on air
Sermon
Official Service
メッセージ(date)
主日礼拝
主日夕方礼拝
金曜徹夜礼拝
Lecture
 
ヨハネの手紙第一講解
黙示録講解
創世記講解
ヨハネの手紙第一
黙示録講解
創世記講解
Theme Sermons
十字架のことば
信仰の量り
十戒
愛の章
天国
地獄
Columns
cell bible
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ
信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
column
counselor
mis_cross_jp
MIS_Spirit
MIS_HolySpirit
MIS_HolySpirit
 
講解メッセージ メッセージ > 講解メッセージ
講解メッセージ
Title
   創世記講解(55)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   創 2:15
Date
   2011-01-28


[本文]

[創世記2:15]
「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」


愛する聖徒の皆さん、「創世記講解」五十五回です。
前回は、恐竜がエデンの園にある、善悪の知識の木の実を取って食べようとしたが、地球に追い出された内容まで伝えました。ところが、恐竜は地球に追い出されたのに、過ちが悟れなかったのです。後悔したり身を慎んでいたりしなかったのです。かえって悔しがりました。その実を食べてもいないのに、エデンの園から追い出されたことに不満を持ったのです。
聖徒の皆さんは自分の過ちで懲らしめられたり指摘されたりすると、心がどうでしょうか? へりくだった人は小さい子どもが指摘をしても、喜んで受け入れます。その内容が自分に全く当たらなくても、ひとまず「そうかな?」と自分を顧みます。
一方、指摘されるほどのことをしたのに、指摘されると受け入れられない人々もいます。彼らはいくつかのタイプに分けられますが、まず自分の過ちを認めるようでいて、指摘されるのを嫌がる人がいます。「私も自分で間違ったことを知っていて恥ずかしいのに、あえてこんなに言わなくてもいいのに」と気を悪くします。
また、このようなタイプもいます。自分も悪いけれど、他の人がもっと悪いと思うのです。過ちが大きいほうの人は放っておいて、自分だけ指摘されると思って不満を持ったりします。この他に、自分はそれほどの理由があったのに、それはわかってくれないで指摘だけする、とむなしく思うこともあります。はなはだしきは、指摘する言葉に自分の感情を込めて言い返す人もいます。「あなたこそちゃんとやったら」と言ったり、「人のやることに口出すな」というふうに指摘を退けてしまうのです。このような人は心があまりにも高ぶっているのです。
[箴言13:10]に「高ぶりは、ただ争いを生じ、知恵は勧告を聞く者とともにある。」とあります。[箴言29:1]にも、「責められても、なお、うなじのこわい者は、たちまち滅ぼされて、いやされることはない。」とあります。したがって、聖徒の皆さんは指摘や勧告のことばを喜んで受け入れる賢い方になりますように。

聖徒の皆さん、恐竜は地球が本当に狭く感じられました。これまで地球と比べられないほど広いエデンの園に住んでいたからです。地球では、エデンの園とは違って、神聖さも感じられなかったのです。エデンの園は霊に属する世界ですが、地球は肉の世界です。また、エデンの園はアダムの影響力が直接及ぶ所です。すべての人と動物も、アダムの権威に素直に従って、調和をなして生きています。地球ももちろんアダムの権威の下にありましたが、その影響力がエデンの園ぐらいではなかったのです。しかも、恐竜が地球に追い出されてからしばらく、アダムは地球を行き来することができなくなりました。
それで、恐竜はまるで先進国に住んでいたが、文明が遅れている後進国に追い出されたような感じを持ちました。それだけでなく、恐竜には地球の動物が本当につまらなく見えました。恐竜は霊の世界で創造された存在です。アダムのそばに永く一緒にいたので、それなりに賢い面もありました。一方、地球の動物は肉的な存在であり、魂の働きをすることはするが、知的な能力が非常に低いです。ただ本能に従って餌を探し、摂取して繁殖するだけです。
また、恐竜は地球の動物が気にいらなかったのです。前に、エデンの園の動植物は地球のものと同じ種類であっても、色ももっときれいで美しいと言いました。ライオンを例に挙げれば、毛の色や顔つきが地球のライオンはエデンの園のライオンよりはるかに劣っているのです。他の動物もみな同じです。それで、恐竜は地球の動物をみすぼらしく、つまらない存在だと思ったのです。
その上、恐竜は地球の動物が自分に比べて非常に小さいのを見て、無視し始めました。エデンの園にいた時は、自分より小さい動物を無視しませんでした。その時は、悪がなかったからです。ところが、地球に追い出されてきて悪に染まると、もう他の動物が小さいということでも、彼らをつまらなく思ったのです。
恐竜はこのように地球に来て、目に見えるすべてのものを無視して、尊重しなかったのです。反対に、自分はものすごく優れた存在だという優越感を持つようになりました。恐竜にはこのような意識があったので、自分が地球を支配する王であり、神のような存在だと感じるようになりました。「自分たちが力と知恵で地球のすべてのものを従えることができる。エデンの園を支配するアダムのように、すべての万物を創造された神のようになれる」とまで思うようになりました。その心が、あまりにも高くなってしまったのです。地球に追い出された恐竜の状態をまとめて言えば、まずは大変悔しいと思っていて、これにあまりにも度を超えた優越感がぎっしり詰まっていました。
恐竜がこのように悪い思いと感情を何に制されることもなくいだき、現わすようになった理由は、肉の空間である地球にいたからです。恐竜はすでにサタンのしわざを受けている状態で地球に追い出されました。そのような恐竜が肉の空間である地球にいるので、サタンと悪魔が働くのはもっとやさしいです。しかも恐竜は悔い改めて身を慎んでいるより、悔しく思って、優越感をもって高ぶってしまいました。他の動物は眼中にもなかったのです。完全にサタンの餌食になりました。恐竜はすみやかに悪に染まって、乱暴になりました。その中でも、反乱を主導した恐竜たちが最も乱暴になりました。

聖徒の皆さん、人々の中にも、低い地位にいた時はへりくだっているようでしたが、高い地位になると、すぐ高ぶってしまうことがあります。目下の人だった時は、心に高ぶりがあっても、どうせ自分の思いのままできないから、高ぶりが外に現れる機会が少ないです。
ところが、地位が高くなって自分の思いのままにできる権限が与えられると、その時は高ぶりが現れるのです。自分の権勢で他の人をつらくさせていても、いざ自分はというとわからないのです。本教会の働き人たちは、そうならないようにいつも自分を戒めなければなりません。「前は私は従う人だったのに、今はすぐ指示して、命令する人になってはいないのか?」「前は目上の人に言われると、どんなことでも従ったのに、今は言い訳しながら従っていないのではないのか?」「前は誰にでも仕えようとする心だったのに、今は仕えられたい心ではないのか?」このような分野をいつもチェックしなければなりません。必ずしも何かの行ないでなく、ひと言を口に出しても、相手に仕えることもあれば、相手を無視することもあります。地位が高くなるほど心は低くならなければなりません。
[マタイ23:11]でイエス様も、「あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。」と言われました。このように、まことに「偉大な者」が目上の人になれば、目下の人は心から聞き従います。目上の人を怖がったり、顔色を伺って従うのではありません。怖くていやいや従うのはまことでありません。

聖徒の皆さん、恐竜がもともと地球にいた動物でなく、地球に突然現れた動物であることを証明するものがあります。それは恐竜の化石です。世界的に発見された恐竜の化石を見ると、恐竜は生きていたとき、一か所に集まっていたことがわかります。その化石が特定の地域に密集しているからです。
たとえば、カナダのアルバータ州では、いろいろな種類の恐竜の化石が大量に発見されました。その中には、子どもからおとなの恐竜まで、それぞれ違う300頭の一種類の化石もありました。また、アメリカのモンタナ州の恐竜のエッグマウンテン地域でも、ものすごい量の恐竜の化石が発見されました。その中で、ある種類の化石は2km以内で約1万個も発見されました。韓国の「恐竜化石」の分布も同じです。慶尚南北道と全羅南道など南の地方で、恐竜の化石が卵、骨格、足跡の形でたくさん発見されました。
もし恐竜がもともとからこの地上に生きていた動物なら、このように集まって住むはずがありません。ライオンのような動物も、一か所に集まって住むのではありません。餌の取り合いが激しくなるからです。
現在、地球上に生きているトラの個体数と、生息面積を計算してみれば、東京の約5分の1である422平方キロメートルに四頭が生きるという結論が出ます。トラの平均体重は200kgで、1頭のトラが一日摂取する餌は、最小でも約10kgです。草食動物のゾウの場合、平均体重が5トンで、一日の餌の摂取量が最少で185kgと言われています。草食動物でも肉食動物でも、自分の体重の3ないし5%もの餌を毎日食べなければなりません。もう一度申し上げと、体重200kgのトラ1頭が生きるためには、一日およそ10kgの餌を食べなければならないし、それくらいの餌を求めるには、105平方キロメートルの生息地を確保しなければなりません。
これを基準に、恐竜が生きていくのに必要な餌の量と生息面積を計算してみましょう。もし体重がトラの100倍に当たる20トンの恐竜がいるなら、一日およそ体重の5%に当たる1トンの餌を取ってはじめて生きられます。生息地も、トラ1頭の領域の100倍である1万500平方キロメートルが必要です。
これを土台にすれば、韓国には20トンの恐竜がやっと9頭しか生きられないのです。体重が80トンと推定されるブラキオ・サウルスは、韓国でやっと2頭しか生きられません。ところが、韓国では、1973年、慶尚北道義城郡の恐竜渓谷で、重さ120トンと推定されるウルトラ・サウルスの化石が発見されたこともあります。この大きさの恐竜なら、韓国の面積ではたった1頭しか生きられません。しかも、同じ時代のものと推定される、他の種類の恐竜の化石もたくさん発見されました。これだけ見ても、恐竜がもともと地球にいた動物でなく、地球に突然現れて、しばらく生きていていなくなった動物であることがわかります。

聖徒の皆さん、地球に追い出されてきた恐竜は自分が地球で最も力が強くて、優れた存在だと思いました。すると大変高ぶってしまい、サタンのしわざをもっと強く受けるようになりました。また、非常に凶暴になり、地球の自然環境を破壊していきました。体がとても大きいのに、はばかることなく歩いていると、他の動物を踏んだりケガさせたりすることもありました。はなはだしきは、他の動物を殺したりもしました。初めはわざとではなく、うっかりしてでした。ところが、恐竜がだんだん悪くなりながら、思いのまま他の動物を害することが起きました。その結果、地球は短い間に恐竜によってひどく破壊されていきました。
たとえを挙げるなら、3、4坪くらいの美しい花畑があるとしましょう。この中にアリやバッタが数十匹生きていても、何の問題もありません。ところが、もしこの花畑にイノシシ1頭を放しておくなら、どうなるでしょうか? イノシシは花畑をむやみに踏み荒らして、あっという間にめちゃくちゃにしてしまうでしょう。
恐竜が来る前まで、地球の動物は調和をなして平安に生きていました。しかし、恐竜が来てから、調和が破られました。恐竜がまるで無法者のように闊歩していたからです。霊の世界であるエデンの園で生きていた恐竜が肉の世界である地球に降りてきて、肉的にも体質に多くの変化が起こります。恐竜がエデンの園で何かを食べるのは、食欲を満たすためではなかったのです。体に必要なエネルギーを供給して、もっと満たされるためでした。食べなくても空腹を感じたのではありません。また、エデンの園では餌を取れば体内で100%分解されました。ほとんどがエネルギー源として吸収されて、必要のない成分は呼吸する時に空気中に排出されました。したがって、排泄することがなかったのです。ところが、この地上に降りてきてからは、この地上の動物のように、何かを食べれば排泄しなければならなかったのです。
恐竜が地球に来てから排泄し始めたなら、エデンの園にいた時は、恐竜の体に排泄器官があったでしょうか? なかったでしょうか? 神は将来のことをあらかじめご存じだったので、初めから排泄器官を造っておかれました。エデンの園では排泄する必要がなかったので、機能しないでいて、地球に来てから機能し始めたのです。
消化器官も同じです。恐竜はエデンの園で菜食だけをしていました。ところが、一部は地球に来て肉食もしました。「牛のように草だけを食べていた動物が、どうして突然、肉が食べられるのか?」と思う方もいるかもしれません。ところが、神は初めから恐竜の消化器官を肉食もできるように造られたのです。
参考までに、発見された恐竜化石のうち、3ないし5パーセントだけが肉食恐竜の化石と推定されます。95%以上が草食恐竜の化石です。したがって、恐竜が地球に追い出された後、わずかだけが肉食恐竜になったことがわかります。
彼らはどのように肉食をするようになったのでしょうか? 恐竜が肉の次元である地球に落ちると、空腹をひどく感じるようになりました。その大きい体を維持するためには、ばく大な量の餌が必要だったのです。目につくまま果物でも草でも食べましたが、エデンの園と違って足りなかったのです。食べても食べても、おなかを満たしにくかったのです。エデンの園で良質の果物を食べていた恐竜なので、地球の餌ではおなか一杯にならなかったのです。
そのうち、恐竜のある種類はうっかりして地球の動物を殺して、血のにおいをかぐようになりました。おなかがすいている時に血のにおいをかいだ恐竜は、あげくの果てにその肉を食べたりもしたのです。こうして、肉食恐竜が生まれました。
その結果、地球では霊肉ともに秩序が破壊され始めました。恐竜は地球の環境を壊して肉の自然秩序を破壊し、動物をさげすんで害し、神の創造秩序をゆがめたのです。恐竜は時間が経つほどもっと多くの動物をむやみに殺して、おなかを一杯にするために果物と草を途方もない速度で食べてしまいました。そのままおけば、果物の木や草の種類が絶滅することもあるまでになりました。
これがはたして可能なのか、たとえで説明いたします。ゾウ1頭が一日に摂取する餌は約185kgだそうです。これはどれくらいの量でしょうか? 干し草をぎゅっと押しつけて、縦、横、高さとも1メートルに詰めれば、約30kgほどになるそうです。ゾウ1頭はそのような干し草の山を一日に6束以上食べなければなりません。
これを基準に、草食恐竜1頭の餌の量を計算してみましょうか。代表的な草食恐竜であるブラキオ・サウルスは、その体重が約80トンと推定されます。いのちを維持するためには、一日に自分の体重の約3から5%の餌を摂取しなければなりません。最小にして3%に計算すれば、一日に2.4トンの草を食べなければなりません。縦、横、高さが各1メートルの干し草の山一束が30kgなので、ブラキオ・サウルスはそれを毎日80束ずつ食べてやっと生きられるのです。もし20トンの恐竜が肉食をするなら、体重の5%、1トンの肉を食べなければなりません。これはトラ5頭に当たります。トラの平均体重を200kgと見るからです。
ところが、エデンの園から地球に追い出された恐竜は1、2頭でしょうか? 途方もない数の恐竜が一度に追い出されてきたので、地球の動植物はさほど経たないうちに絶滅してしまうところでした。これだけを見ても、恐竜がもともと地球の動物ではないことがわかります。
世の科学者たちは、恐竜が地球の地質時代の中生代に生きていたと言います。中生代は今から約2億5千万年前から6千5百万年前までの時期です。科学者たちは、恐竜が中生代が始まったとき、地球に突然登場して、約1億6千万年間生きて、突然絶滅したと主張します。しかし、先のように餌の摂取量だけを計算してみても、恐竜がそんなに永い間、地球で生きるのは不可能です。科学者たちは、恐竜が生きていた時代は地球に今より餌が100倍多かったと主張します。それでも、その数多くの恐竜がそんな永い間生きることはできません。
進化論で恐竜を説明することは、よりいっそう不可能なことがわかります。その巨大な体の動物が進化する永い年月、どうやって食べて生きていたでしょうか? 進化の中間段階では、体の機能や形も不完全です。そのような姿では狩りも難しいだけでなく、他の動物に攻撃されやすいのです。このような不完全な形でどのように永い間いのちを維持して、進化して恐竜になるというのですか!
たとえば、進化論が正しいなら、中生代に途方もない数の恐竜が登場するためには、恐竜の前の段階の動物、進化の中間段階の形の恐竜がいなければなりません。その数も、完全な恐竜の数よりはるかに多くなければなりません。ある動物が完全な動物に進化するまでは、いくつかの段階の進化過程を経なければならないというのが進化論の主張だからです。
それなら、恐竜も同じです。完全な恐竜が出てくるまでは、似ていながらも少しずつ違う形の動物がもっと多くいなければなりません。しかし、現在、知られた恐竜のほとんどが、たった20%程度だけ完全な骨格を持っていて、名前がつけられたのです。言いかえれば、ほとんどの恐竜が骨の化石さえ、まともに揃えられていないのです。まして恐竜の先祖と見られる化石は、よりいっそう探しにくいのです。進化論者たちは恐竜の進化系統が証明できるどんな証拠も持たず、とんでもない主張をしているのです。
しかし、神が解き明かしてくださるみことばに照らせば、すべてがどれほどすっきりするでしょう。恐竜が地球に突然登場したという事実とも、ぴったり一致します。そして、次の時間に続いて伝えますが、突然絶滅した理由も、神が解き明かしてくださったことと一致します。これらだけを見ても、創造主の神が生きておられることが信じられます。
次の時間には、恐竜が地球でどれくらい生きていたが、そしてどのように絶滅したのか、説明いたします。

愛する聖徒の皆さん、きょうは、地球に追い出された恐竜が霊肉ともにどのように変わってしまったのか伝えました。霊的にはサタンに操られやすくなって、体質が肉の次元になったので、大変空腹を感じるようになりました。光に取り巻かれた霊の空間であるエデンの園にいた時と、肉の空間である地球にいた時の差が、このように大きかったのです。
聖徒の皆さんは、肉の空間に足をつけて生きているけれど、聖霊に助けられるなら、いくらでも霊の次元で生きていけます。まさに霊的な光である神のみことばを守り行うなら、光に取り巻かれた霊の空間の中で生きられます。
[ヨハネ3:20-21]には、悪いことをする者は光のほうに来ない、しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る、とあります。聖徒の皆さんはいつも光の中を歩んでいて、霊的祝福があふれますよう、主の御名によって祝福して祈ります。

 
ManminCentralChurch
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
- tel 82-2-818-7000 - fax 82-2-851-3846
COPYRIGHT MANMIN CENTRAL CHURCH, ALL RIGHTS RESERVED