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Title
創世記講解 (111)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
創世記7:11-12
Date
2014-06-13
[本文]
[創世記7:11–12]
「ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。」
愛する聖徒の皆さん、「創世記講解」111回です。
前回は[11節前半節]についてお伝えしました。ノア時代の大洪水のさばきは、白い御座の大審判のしるしとなると言えるでしょう。ただし、さばきの道具が一つは水で、もう一つは火です。これについて[第二ペテロ3:6-7]には「当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。」とあります。
大洪水のさばきの時、正しい人ノアの家族を除いては、みな洪水におおわれて滅びたのです。白い御座の大審判の時は、主を信じなくて正しいと認められなかった人々は火と硫黄との燃える池に落ちることになります。したがって、大洪水のさばきについてメッセージを聞くとき、単に昔々にあったことと思ってはいけないでしょう。将来の白い御座の大審判に聖徒の皆さんはどのように備えるべきか、これについて答えを見つける尊い時間になりますように、主の御名によってお願いします。
次に、[11節後半節]には「その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。」とあります。大洪水のさばきが始まったのです。この時、父なる神の御目からはポトポトと涙のしずくが落ちました。そのしずくは御衣のすそに「期待」という字として縫い取られました。そこには「もう一度期待しながら待つ、必ず成す」という意味が込められています。何を期待しながら待っておられたのでしょうか? それは、ノアからもう一度始める人間耕作を通して「まことの子ども」が出てくることでした。また、「必ず成す」という意志を、涙で御衣のすそに縫い取られたのです。
本文には、地球を完全に覆った洪水がどんなふうに起こったのかが、詳しく記されています。「巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。」とあります。今日、ほとんどの人はこれを地球の中で起こったことだと解釈しています。つまり、海の水の源が張り裂けて、天から大量の雨が降ったということです。
ところが、その当時、洪水で地球の一番高い山も完全に水につかりました。これは海の水の源が張り裂けて、天から雨が降るからといって可能なことでしょうか? そうでないことが常識的にわかるでしょう。もし、海の水の源が張り裂けて大雨が降って大洪水になったとすれば、洪水がやんだ後は、そのたくさんの水はどこに消えたのでしょうか? 人の知識と常識では明快に答えられないでしょう。したがって、このみことばの答えを、この肉の世界から探そうとしてはいけません。これは霊の世界であるエデンと深く関連しているということを知らなければならないのです。
ここでしばらく以前の説教を復習してみましょう。私たちが生きている地球は第一の天に属していて、エデンの園は第二の天、天国は第三の天に属しています。第二の天は二つに分けられていると言いました。それは「エデン」という光の空間と、悪い霊どもの領域のやみの空間です。最初の人アダムとエバが生きていた「エデンの園」は、光の空間の「エデン」の中に特別に設けられた領域です。「園」だからといって、その領域が狭いのではなくて、地球とも比べられないほどものすごく広いです。エデンの園もこんな広いのに、エデンの全体はどれほど広いでしょうか。私たちの目に見える宇宙が果てしなく広いように、第二の天のエデンも無限に広い空間です。
このように広い広いエデンには、川の源もあります。[創世記2:10]に「一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。」とあるとおりです。まさにエデンにある川の水が、ノアの大洪水のさばきの時に用いられたのです。本文の「巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、」というみことばは、エデンにあった水の源が張り裂けたという意味です。
また「天の水門が開かれた。」というみことばは、第二の天と第一の天の間の通路が開かれたという意味です。その結果、第二の天のエデンにあった水がこの通路を通って、第一の天にあるこの地上に降りてくるようになったのです。
ここで「水門」とありますが、第二の天と第一の天をつなぐ通路は一つだけでなく、いくつもあって、地球のあちこちにある通路が同時に開かれたのです。それで、一時にものすごい量の水が第二の天からこの地上に降り注いできたのです。
聖書には、このように第二の天にあるものが第一の天に降ってきた記述がたびたび出てきます。[詩篇78:23-24]に「しかし神は、上の雲に命じて天の戸を開き、食べ物としてマナを、彼らの上に降らせ、天の穀物を彼らに与えられた。」とあります。つまり、エジプトから出てきたイスラエルの民が荒野で食べた「マナ」も、第二の天から降ってきたものだったのです。また、預言者エリヤがバアルとアシェラの預言者850人と対決したとき、天から引き下ろした火も、第二の天から下ってきたものです。
聖徒の皆さんも、多くの不思議を通して第二の天があることを目で確認したでしょう。つまり、雲が吸い込まれるように消える場面を、ほとんどの聖徒が見たのです。
このように第二の天に属するものが第一の天に現れるためには、天の門が開かれなければなりません。こうして天の門が開かれる時は「四つの生きもの」がかかわるようになります。第二の天にあるものが第一の天に出てくるためには、次元が違う空間の流れに乗らなければなりません。まさにこのようにできる権限が四つの生きものにあるのです。
第一の天と第二の天の概念を、建物の上の階と下の階ぐらいに思ってはいけません。建物の上の階と下の階がつながるためには、上の床と下の天井に穴をあければよいのです。しかし、第二の天と第一の天は互いに次元の違う空間です。
このように互いに次元が違う空間である、第一の天と第二の天の間の霊の世界の門を開閉する権限が、四つの生きものの一つにあります。それは鷲の生きものです。大洪水のさばきのために、エデンの水の源から流れ出た水が地球に降ってくる時も、鷲の生きものが主な役割をしました。
本文[12節]に「そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。」とあります。神は地球を水で覆うために、四十日四十夜、雨を降らせられました。神はたった一日でも地球を水で覆うことがおできになるのに、なぜ四十日間雨を降らせたのでしょうか? それは「四十」という数字に特別な意味が込められているからです。
神が地球を創造する前、霊の世界でルシファーによる大きな反乱事件がありました。神が一番愛しておられた御使いのかしらルシファーが、御使いの3分の1と一緒に神に立ち向かう反乱を起こしたのです。
これについて[第二ペテロ2:4]に「神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。」とあります。[ユダ1:6]にも「また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。」とあります。
このようにルシファーの反乱は直ちに平定されました。しかし、このことで父なる神は深い心の苦しみを受けなければなりませんでした。ひどくうつろさを感じられました。この時、霊の世界はしばらく茫漠とした状態になりました。この状況が[創世記1:2]では「地は茫漠として何もなかった。」と表現されているのです。霊の世界でのこの茫漠とした時間を、肉の世界の時間に表現したのが、まさに「四十」という数字です。
だからといって、ルシファーの反乱の後、ちょうど四十日間、霊の世界が茫漠としていて、神のお心が痛まれたという意味ではありません。霊の世界でのその時間に当たる数を、この地上での数の概念で表現したとき、それが「四十」になるという意味です。このような意味が込められた「四十」という数に合わせて、大洪水のさばきの時も、四十日間雨を降らせたのです。
したがって、大洪水のさばきのとき、四十日間雨が降ったことには、まるでルシファーの反乱の時と同じ神のお心の苦しみが宿っているということです。まことの子どもを得ようと始めた耕作だったのに、こんなふうにすべての人を水でさばかれたとき、父なる神のお心はどうだったでしょうか? もどかしくて、いても立ってもいられない心の痛みが、四十日間雨を降らせたことにそのまま込められていたのです。
イエス様も公生涯を始めるとき、四十日断食をされました。預言者モーセが戒めを受ける時も、四十日断食をしました。私も1981年、神学校3年生の冬休みのとき、四十日断食をしながら祈りをささげたことがありました。
当時、60年ぶりの厳しい寒さでしたが、毎日三度、定めた時間に祈りの穴に行って、ひざまずいて主を呼び求めて祈りました。その前までは、私が断食するたびに神様がいつも支えてくださったのに、今回は全く支えてくださいませんでした。
後で、祈っているうちに、なぜあれほど自分の力だけで苦しみながら断食しなければならなかったのか、父なる神様が教えてくださいました。「四十日断食の間じゅう、わたしは顔を背けたのではなく、わざと練ったのだ。わたしが支えてあげて楽に断食を終えた時と、支えてもらえない状態であなたの力と忍耐で断食を終えた時を比べてみれば、その力が数倍違うからだ。」私の力と精神力で断食を終えた時は、精神力と忍耐力が強くなり、どんな試練や患難がやって来ても十分勝ち抜ける力を育てるためだというおことばでした。
私は過ぎし4年間も、これと似た霊の訓練を受けました。私は父なる神様を信じて頼り、そのみこころどおりに従うことが一番楽だったし、そうすることが一番幸せでした。こんな私に父なる神様は、今は父に頼らないで、自分でしてみなさいと言われました。その後、まるで神様が私に徹底的に御顔を背けられたような、全く先が見えない苦しい状況が続きました。そのように4年という時間が経ったのです。この期間中、私はあまりにもつらい日々を送りました。
ところが、それが公義になって、聖徒は驚くほど霊的に成長するようになりました。聖徒が10%だけ満たしても、私が満たした90%の公義が適用されて、信仰の岩へ、御霊の歩みへと、非常に多くの聖徒が出てきたのです。また、この教会に向けられた終わりの時の摂理が実現できる土台を築くようになりました。このように神の摂理が成し遂げられる時は、その期間や日数も何の意味もない数字ではないことがわかります。
聖徒の皆さん、神が四十日間雨を降らせる方法を選ばれたことには、もう一つの重要な理由があります。それは、当時地球にあった、洪水以前の痕跡を最大限保存させるためでした。もし神が一日、またはたった数日で、ものすごい量の水を降り注がれたなら、どんな現象が現れたでしょうか? 韓国で夏の集中豪雨だけでも、あちこちが洪水で被害が発生します。ところが、それよりずっと強力な集中豪雨なら、どれほど多くが壊されるでしょうか? 当時、地球に残っていた文明の痕跡は、完全に破壊されてしまったでしょう。
ノアの洪水は、まるでコップに水がゆっくり満たされるように、四十日間の雨によって地表面から水がだんだん増えていきました。それで、洪水以前の文明の痕跡がそれでも保存できたのです。代表的な例として、エジプトのピラミッドを挙げることができます。この他にも、古代文明の痕跡が今も地球のあちこちに残っているのです。これを通して、神はノアの子孫がエデンの園と霊の世界についての手がかりを見つけるようにしてくださったのです。このようにノアの洪水にはまことに多くの意味が込められています。
[結論]
愛する聖徒の皆さん、きょうは大洪水のさばきが始まる場面を調べてみました。大洪水のさばきをなさる父なる神のお心はあまりにも痛かったのです。[エゼキエル18:23]に「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。──神である主の御告げ──彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。」とあるとおりです。
ところが、ノアの時代の罪と悪は、公義の基準によってさばくしかない限界に達しました。それで、父なる神は涙を流しながらさばきを断行なさいましたが、新たな期待をいだかれたと言いました。それは、ノアから新たに始まる人間耕作を通して「まことの子どもたち」が出てくることでした。
聖徒の皆さんは父なる神様がこんなに長く待っておられることを、どれほど心で知っているでしょうか? まことに心を分かち合えるまことの子どもを得るまで、「千年を一日のように、一日を千年のように」変わらず待ちに待っておられる父のお心。聖徒の皆さんがこのような父なる神様のお心を知って、すみやかに御霊の歩みに入り、全く聖なるものとされますように。それで、父なる神様にまことに喜ばれるまことの子どもになりますように、主の御名によって祝福して祈ります。
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