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Title
創世記講解(37) - 第四日(2)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
創 1:14-19
Date
2010-06-25
[本文]
[創世記1:14-19]
「ついで神は、『光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ。』と仰せられた。するとそのようになった。それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。こうして夕があり、朝があった。第四日。」
愛する聖徒の皆さん、「創世記講解」三十七回目の時間です。この前に次いて、創造の第四日のみわざをお伝えします。
神は、創造の第四日に、太陽と月と星を創造されました。これを天文学の用語で表現するなら、創造の第四日に「私たちの銀河」を造られたという意味だ、と言いました。私たちの銀河以外の星は、創造のみわざが始まる前、すなわち、宇宙が一つだった時から存在していました。
広い宇宙の大きさに比べるなら、地球は一つの小さい点よりも小さいです。この前の時間に、第一の天のすべての星の中で、地球は砂浜の数え切れない砂の中の一粒に比べられるかどうかくらいだと言いました。
ところで、科学者たちは宇宙にある星の数が地球の砂浜にある砂より多いと言っています。なぜなら、この宇宙空間には、だいたい1000億個の銀河があると推測しているからです。その1000億の一つである私たちの銀河だけでも、約1000億個の星があります。したがって、宇宙空間全体にある星は1000億×1000億になります。人々は夜空で輝く小さい光をみな星だと言っています。しかし、天文学では「太陽のように自ら光を出す天体」だけを「星」と言います。
この時間、メッセージを理解するためにいくつかの用語を説明いたします。まず「天体」とは、「宇宙に存在する物体の総称」です。そして、太陽系をたとえにするなら、太陽のように「自ら熱と光を出し、天球上の相互の位置をほとんど変えない星」を「恒星」と言います。
天文学では、この恒星を「星」と言います。私たちが夜空で見られる星のほとんどが、このように自ら光を出す天体です。その中できわめて一部は、太陽の光を反射して光を出しているのに、それが星のように見えるのです。たとえば「明けの明星」と呼ばれている金星も、自ら光を出すことはできません。ところが、明け方に東の空で明るく輝いているのが見られます。これは金星が自ら出す光でなく、太陽の光を受けてそれを反射しているだけです。
太陽系の中には、一定の周期で太陽の周囲を回る天体があります。このように「恒星の周りを公転する比較的大きな天体」を「惑星」と言います。地球も、太陽を1年に一回ずつ回るので、惑星に当たります。
このような「惑星の周りを公転している天体」、すなわち、地球を回る月のような天体を「衛星」と言います。それで、人が作って打ち上げて地球を回るようにしたものを「人工衛星」と言います。時にはこの人工衛星も、太陽の光を反射して輝き、まるで明るい星のように見えることもあります。
ところで、宇宙にある恒星、惑星、衛星、すなわち、数えられないほど多い天体から、一つ共通点が発見できます。それは、形がみなボールのようだということです。これは何を表しているでしょうか? 創造主の神、おひとりによって、そのあらゆる天体が創造されたことを表しています。
科学者たちは、ビックバンによって生じた宇宙のチリが一つになって星になったが、長い間回っていると球形になったと言うでしょう。それなら、人工衛星もだんだんボールのように変わらなければならないでしょう。人工衛星の中では、約2時間ごとに地球を一回りしているものもあります。それでも、その形が球形に変わらないのです。
川の入り口や海辺などで見られる砂利は、もともと岩だったものが細かく割れて、角張った部分が削られてできたそうです。そのような砂利もみなが球形ではありません。あるものは丸くて平らで、あるものは細長いです。数千年の歳月で角張った部分が削られても、形がそれぞれ違うのです。
ところが、宇宙空間の数えられないほど多い星は、みながボールのような球形です。これを偶然の一致だとは言えません。創造主の神がそのように設計されて、造られたのです。それでは、神はなぜあらゆる天体を球形に造られたのでしょうか? さまざまな形で個性あるように造ったらいけないでしょうか?
人が何かの事物を見て「美しい」と感じるには、その色も重要ですが、形のバランスも重要です。宝石は原石自体からもある程度光を出しますが、バランスが取れた形に細工をすれば、もっと光って美しく見えます。
花が美しいのも、色のためでもありますが、構造的に見ると、バランスがよくとれているからでもあります。どんな種類の花を見ても、その形が左右対称です。左右対称とは、真ん中で半分にたためば、左右が一致することです。多くの花が一つ以上の軸を中心に対称を成し、驚くべき均衡美を持っていることがわかります。このように対称になっていないなら、花の色がいくら華麗でも、そんなに美しく見えません。
以前、正六角形の結晶構造を持つ雪の結晶をお見せしたことがあります。その雪の結晶が美しくて感じられるのも、完ぺきな均衡美を持っているからです。
ところで、ある物が球形の場合、左右、上下対称はもちろん、360度どの方向にも対称を成します。最も完ぺきな均衡美を持つ図形が、まさに丸い形、すなわち、円形なのです。それで、神は宇宙空間の数え切れない星をみなボールのように丸く造られました。これがおひとりの神が太陽と月と星を創造されたという最初の証拠です。
第二の証拠は、太陽系の惑星の軌道と間隔が絶妙の調和をなしている、ということです。私たちの太陽系には八つの惑星があります。太陽から近い順に言うと、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星です。太陽とこの惑星の大きさは、今のような大きさが最も適当です。太陽とこの惑星との距離、そして、惑星と惑星との距離も今が最も適当です。
たとえを挙げると、ふたりが向かい合って立ち、腕を伸ばして互いに手の平を合わせているとしましょう。互いに相手のほうに手の平で押す力が同じならば、ふたりは倒れないでいるでしょう。ふたりの間には五分五分の力が行き来しているけれど、第三者はふたりが動いていないように見えます。この時、ふたりのうちひとりの力が一瞬弱くなれば、力のバランスが崩れてふたりともよろけて、自分の位置に立っているのが難しくなるでしょう。
このように太陽と八つの惑星が今の位置にある理由も、適当な大きさと間隔を保っているからです。私たちの目に見えないけれど、互いに押し引きする力のバランスが正確にとれるように神は知恵をもって創造されました。したがって、もし、太陽や他の惑星でも、今よりもう少し大きかったり小さかったりするなら、太陽系全体が影響を受けるようになります。
太陽熱の強さもそうです。科学者たちの研究結果によると、もし太陽が今より5%だけ熱くなっても、地球には植物が生きられなくなるそうです。植物が生きられなくなると、自然に動物も生きられなくなります。これは、地球よりもう少し太陽に近い金星と、もう少し遠い火星に、何の生命体も生きられないことだけを見てもわかります。
聖徒の皆さん、天文学が発展するほど、私たちの太陽系の特徴が明らかにされています。その中の一つを紹介いたします。先に、太陽のような星が私たちの銀河にだけ約1000億個ある、と言いました。そのような星、すなわち、その恒星も、太陽系のようにいくつかの惑星を持っています。
私たちの太陽系以外の他の星の惑星は、2010年5月まで、約450個発見されたそうです。このような惑星は太陽系の惑星と違う点がありました。逆に言えば、私たちの太陽系の惑星が太陽系外惑星と違う点があることが知られるようになりました。
惑星は、大きく二つに分けられます。岩石質惑星とガス型惑星です。岩石質惑星は表面が岩石でできていて、比較的に体積は小さいけれど密度は高いです。水星、金星、地球、火星がこれに属します。ガス型惑星は核の部分だけ少し岩石質であり、惑星自体が巨大なガスの塊りです。たとえば木星、土星、天王星、海王星がガス型惑星です。こういうガス型惑星には、ガスの速い流れのため、途方もなく強い風が吹いていて、巨大な規模の台風も絶えず発生します。したがって、常識的に考えても、生命体が生きるに有利な環境はガス型よりは岩石質惑星であることがわかります。
天文学者たちは、広い宇宙空間で地球のような条件を持っている惑星がどこかにはあるだろう、と期待しています。ところが、今まで発見された太陽系外惑星は、ほとんどこのようなガス型でした。しかも、発見された太陽系外惑星は、それぞれの恒星の近くに位置していました。
これとは違って、私たちの太陽系では、ガス型惑星が太陽から遠くにあります。こういう配置は非常に独特です。ガス型惑星は太陽から遠くにあって、反対に地球のような岩石質惑星が太陽から近いところにあるのです。その中でも、地球は生命体が持続的に生きられる最適の位置にあります。これだけを見ても、太陽系が偶然にビックバンによって生成されたのではないことがわかります。神が高度な知恵を持って設計して、驚くべき力で創造されたのです。
神が太陽と月と星を創造された証拠、第三は、太陽と地球と月の距離と大きさが奇しい調和をなしている、ということです。前回、太陽と月の体積がどれほど差があるのか説明しました。体積を計算してみれば、太陽は地球の約130万倍、月は地球の約50分の1倍なので、太陽は月の約6500万倍だと言いました。
これは体積を計算したものであり、直径を比べるなら、太陽は月の400倍です。ただ平面に丸く太陽と月を描くなら、太陽は月より直径が400倍大きい円を描いてやっと正確な割合になるのです。月の直径を1センチにするなら、太陽の直径を4メートルにしなければならないのです。こんなに直径の違う太陽と月が地球からは大きさが似ているように見える理由は、月が太陽より地球に400倍近いからです。
このように、地球から太陽と月の大きさが似ているように見えるのも、決して偶然ではないのです。太陽の大きさと月の大きさ、そして、太陽と地球との距離と、月と地球との距離、この四つの条件がちょうど合わさってこそ可能なのです。太陽がもう少し大きかったり小さかったりしてもならないし、月ももう少し大きかったり小さかったりしてはいけません。太陽と地球との距離や、月と地球との距離が、今と少しだけ変わっても、私たちの目に見える太陽と月の大きさは、今のように同じに見えることはありません
太陽系で衛星を持っている惑星のうち、自分の衛星と太陽の大きさが似ているように見えるところは、地球だけです。これによって、地球で観測される特別な現象があります。まさに日食と月食です。日食は太陽が月に隠される現象であり、月食は、月が地球の本影の中に入って、月面の一部または全部が暗くなる現象です。太陽と地球と月の大きさと距離、そして、月の公転と地球の公転が、複雑でありながらも正確に調和して、一定の周期で月食と日食が起きるのです。
このように、三つの天体が相互作用をして、一定の周期で月食と日食が起きる確率はゼロに近いと言われています。とうてい起きにくいことが、地球では観測できるのです。
ところが、世の科学者たちは、このように確率がゼロに近いことがビックバンによって偶然にできた、と言っています。そして、世の多くの人はそれを事実として信じています。このように精巧に動いている宇宙の天体は、ビックバンによって偶然にできたのでなく、私たちの父なる神が創造されたのです。
愛する聖徒の皆さん、太陽が生命体にどうしても必要な存在だということは、皆が認めるでしょう。一方、月は自ら光と熱を出さないのです。ところが、神はなぜ月を造って、地球と一緒にあるようにされたでしょうか? それには、肉的な理由と霊的な理由があります。まず、肉的な理由を説明します。
科学が発達するほど、月の重要性がより多く認識されています。もし月がなくなると、どうなるでしょうか? まず、海には満ち潮と引き潮がなくなります。それなら、干潟が乾いて、そこに生きている貝、カニ、イイダコなどが居場所を失うようになります。また、海水の循環に変化が起きて、汚染物質もまともに浄化されません。
地球が23.5度傾いて自転していますが、このように傾いても安定的に回れる理由も、月のゆえだそうです。月の引力が地球の自転軸が安定するように支えているからです。もし月がなくなったら、地球は、まるで倒れる直前の独楽のように、大きく揺れるそうです。そして、月が地球と現在より10%近くなるなら、地球のすべての大陸は一日に二回ずつ完全に水に浸かるようになると言われています。
一方、こういう研究結果もあります。一定の月の光が、海で生きている多くの生命体にとっては、生存にどうしても必要だということです。多くの種類の海の生命体が、一定の月の光を受けるために、海水の中を上がり下がりすることが明らかにされました。海水でない、淡水で生きている甲殻類や陸地で生きているは虫類、昆虫類の中でも、生存のために月の光がどうしても必要な動物が、たくさん発見されています。結局、地球は太陽も必要ですが、月も必ずなければならないのです。
聖徒の皆さん、神が月と星を置かれ、夜を照らすようにされたことには、霊的な意味も含まれています。神は光と闇とを区別して、闇を夜と名づけられましたが、かといって、暗い夜の間に光が全くないのではありません。太陽の光を反射して照らす月があって、太陽系の外にも多くの星があって、夜の闇を明かるくしてくれます。暗い夜にも月と星があって、その光で人の歩く道を導きます。人々は夜空の月と星を見て、進む方向を探したりします。都市には夜にも明かりがあるけれど、奥地ではそれでも月の光があって、星の光があるので、まっ暗な夜中にもつまずかないのです。
ある場合は、私たちの人間のために、特別に目につくように造っておかれたものもあります。たとえば、北極星はいつもその位置にあって、正確に方向を知らせてくれます。羅針盤が開発される前には、この北極星だけ探せば、方向がわかりました。
昼間だけでなく、暗い夜にも月と星があって、光を照らしてくれるように、神は真理の光をいつでも、どこでも照らしておられるのです。これがまさに、夜空に月と星を置かれ、光を照らすようにされた霊的な意味なのです。
霊的な昼間に歩む人には神の真理の光がいつも照らされています。ところが、たとえしばらく暗闇にいる人にも、神の真理の光は照らされているのです。たとえば、ある人が暗い夜道をさ迷っているのに、月の光はもちろん、星の光一つも見えないなら、どれほど恐ろしくて立ちすくむでしょうか? ところが、ひと筋の弱い星の光でも見えるなら、その人にとって大きい慰めと力になれるでしょう。
このように、いつどこでも私たちの光になられ、導いてくださる愛の神がおられることを、すべての人が悟らなければなりません。霊的に漆黒のような闇の中にいる人であっても、全心全力で神を探して求めるなら、神は真理の光を照らしてくださいます。
[第二歴代誌16:9前半節]に「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」とあります。また、[詩篇18:6]で、詩篇の記者は「私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。」と言いました。[詩篇34:6]にも「この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。」とあります。
ですから、聖徒の皆さんも、ひょっとしてでも一寸先も見えないほどまっ暗な状況にあっても、心配されませんように。いつでも、どこでも、主を呼び求める皆さんの声を聞かれる全知全能の神がおられるからです。
私たちの神はいつも皆さんを恵もうと思われ、平安を与えようと思っておられます。人のほうから慕って求めないので、受けられないだけです。また、人のほうで光を嫌って遠ざけるので、闇の中でさ迷って苦しんでいるのです。
私たちは、夜空にある月と星を通しても、闇の中でも私たちに希望を与えられる父なる神の恵みと愛を心の奥深く感じられます。聖徒の皆さんはこの愛に力づけられて、完全に光の中を歩み、相変わらず闇の中を歩んでいる人々を光に導かれますように。
愛する聖徒の皆さん、きょうは神が太陽と月と星を創造された証拠三つをお伝えしました。また、太陽と一緒に月を造られた理由と、星も造られた理由を説明しました。次の時間は、神が「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。」と仰せられたおことばがどのように成就されたか語ります。
[ヨブ38:31-33]で、神がヨブにいくつかの質問をされました。「あなたはすばる座の鎖を結びつけることができるか。オリオン座の綱を解くことができるか。あなたは十二宮をその時々にしたがって引き出すことができるか。牡牛座をその子の星とともに導くことができるか。あなたは天の法令を知っているか。地にその法則を立てることができるか。」ここの「すばる座」「オリオン座」「十二宮」とは、星座、または特定の星座にある星を指しています。人は星を動かせないことはもちろん、どのように造られたのかも正確に知りません。
ところが、神はその星を造って、天の法令を定め、それに従って動くようにされたのです。人は知識と知恵が発達しても星一つ造れないし、思いの通りに動かすこともできません。このように微弱な存在なのに、神を探したり恐れたりせず、かえって神に敵対する人の子らが多いです。私たちの神はこのような人の子らにも救いの機会を与えようと、寛容を尽くして待っておられます。
[第二ペテロ3:9]に「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」とあるとおりです。したがって、私たちの父なる神の愛が、どれほど深いのかを悟らなければなりません。
皆さんはこの愛を先に悟った方々です。ですから、皆さんがこれから神が創造主であることを熱心に伝えて、父の寛容の実が豊かに結ばれますよう、主の御名によって祝福して祈ります。
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