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Title
黙示録講解(77)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
黙 18:8-20
Date
2008-09-26
黙示録18:8-20
それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。彼女と不品行を行ない、好色にふけった地上の王たちは、彼女が火で焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣き、悲しみます。彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。また、あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい、あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、泣き悲しんで、言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。』また、すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。』それから、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。』おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。
愛する聖徒の皆さん、<黙示録18章>には、しわざに応じて報われる神様のさばきが出て来ます。将来、七年患難の最後の時点に、ルシファーと彼女に操られる反キリスト勢力に臨む公義のさばきです。
<第一テモテ5:24-25>に「ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。同じように、良い行ないは、だれの目にも明らかですが、そうでないばあいでも、いつまでも隠れたままでいることはありません。」とあります。
このみことばのように、ある人の罪は、すぐは現れないようけれど、結局は明らかになるのです。七年患難の間、反キリストの勢力が行なったあらゆる不正と不法も、結局、明らかになります。それでも反キリストの勢力は、最後まで悪を行ないます。
<黙示録18:7後半>に「彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない。』と言うからです。」とあります。自分の過ちを認めて悔い改めるのではなく、自分に臨む惨めな結果を決して受け入れられない、というのです。しかし、誰も神様のさばきを避けることができないし、神様の計画は一寸の誤差もなく成し遂げられます。
<8節>に「それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。」とあります。ここで「一日のうち」とは、実際に一日の時間を意味するのではなく、とても短い時間を意味します。
七年患難の間は、まるで反キリストの世が続きそうでした。しかし、神様が定められた期限になると、彼らはあまりにも急速に崩れてしまいます。それも、内部の分裂で互いに殺し殺されるところにまで至ります。あまりにも虚しく崩れてしまいます。
「さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢え」とありますが、これは反キリストの勢力が崩れながら現れるいろいろな現象を表します。連合政府が崩れていき、互いに殺し殺され、それによって苦しんで悲しむようになります。それなりに全世界を統制していた連合政府が崩れると、世はまた深刻な混乱に陥ります。資源と食糧の供給も切れて、暮らしに必要なすべてが絶対的に足りなくなります。このような状況を、まさに「飢え」と表現したのです。まるで飢えているように、すべてが足りなくて、暮らしがあまりにも惨めになるからです。
「彼女は火で焼き尽くされます。」とあるのは、反キリスト勢力の惨めな最後を言っています。反キリスト勢力をはじめ、彼らとつながった人々もさばかれて、悲惨に命を終えます。しかし、さらに惨めな未来が彼らを待っています。それは、白い御座の大審判の後で、彼らが入って永遠に苦しみを受ける硫黄の池です。反キリスト勢力と彼らに同調した人々はほとんど、地獄で火の池より七倍も熱い、硫黄の池に入ります。そこでとこしえに火で焼き尽くされるのです。
この世をまるで自分のもののようにもてあそんでいた反キリスト勢力だったけれど、彼らの最後は、このようにぞっとするものです。神様は生きておられて、必ず彼らを公義によってさばかれるからです。神様は万物の支配者であり、審判主であるので、いくらルシファーと敵である悪魔・サタンでも、結局、神様のさばきの前にひざまずくようになります。神様より強い者は誰もいません。したがって、必ず光が闇に勝ち、善が悪に勝つという事実を信じられますように。
<9-10節>に「彼女と不品行を行ない、好色にふけった地上の王たちは、彼女が火で焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣き、悲しみます。彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』」とあります。
「彼女と不品行を行ない、好色にふけった地上の王たち」とは、反キリスト勢力の力と権勢に従って、あらゆる悪を行なって自分の利益だけを追い求めてきた人々です。反キリストの勢力が崩れると、このように彼らに従っていた人々は、本当に呆然とするだけです。彼らは反キリストの勢力、すなわち、連合政府に協力しながら莫大な利益を得てきたので、実際に連合政府が崩れると、直接、影響を受けます。自分たちの富と名誉、権勢を失うようになります。
ですから、連合政府が崩れるのを見ると、どれほど悲しむでしょうか? また、不安に震えるしかありません。これまで連合政府の力だけを信じて、あらゆる悪行を行なってきたので、連合政府が崩れると、これ以上彼らの力になってくれる勢力がないのです。
こうなると、彼らは自分たちの生きる道を探します。これ以上連合政府に頼ることはできなくなったので、自分なりに生きていく方法を探すのです。そして、彼らはこれまでのすべての過ちを連合政府のせいにします。自分たちは何の過ちもなく、連合政府に命じられてそうしたと、あらゆる言い訳をします。連合政府はいずれにせよ崩れるので、このようにしてでも自分だけは生きようとするのです。
聖徒の皆さん、私たちはここで肉の属性についてもう一度悟れます。肉はこのように、自分の利益に合わない時は簡単に裏切って、すべてを相手のせいにします。自分に利益になる時は、生死苦楽をともにしそうに見えても、いざ、自分の利益に合わないとなると、自分の生きる道だけを探すのです。
そのためには、相手を殺す道を選ぶこともはばかりません。自分が生きるために、相手を殺すという意味です。「私は過ちがない。すべては彼らの過ちだ。私は彼らに命じられてしただけだ。私はそうしたくなかったが、どうしようもなかった。」このように言い訳して、すべての責任を相手に負わせるのです。たとえば、一緒に罪を犯しても、後ではすべての過ちが相手にだけあるように言うのです。
このように「うまくいけば自分のおかげ、うまくいかないなら人のせい」にする人々は、最後まで自分の過ちを認めません。いつもあれこれ言い訳をして、目上の人のせい、目下の人のせいにします。ですから、自分の姿を発見することができなくて、変えられることも、霊に入ることもできません。自分の乏しさと過ちを認めてこそ、本当に心から立ち返って変えられるはずなのです。
まして七年患難の終わりに、この地上に残った人々の心はどうでしょうか? しかも、反キリストの勢力と連合して悪を行なうほど心が頑なになった人々は、最後までただ自分のことだけを考えます。他人はどうなろうが、自分だけ生きればよいという考えです。
「わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。」と言いながら、すべてを連合政府のせいにします。まるで自分たちは何の過ちもないかのように、崩れていく連合政府に呪いの言葉を浴びせます。
皆さんは、決してこのように自分の過ちを他人のせいにしたり、ともに責任を負うべきなのに、相手のせいにだけしたりすることがあってはいけません。そのようにして、今すぐは責任から逃れて人前で恥はかかなくても、結局は、必ず自分の行ないに対して責任を負うようになることを悟らければなりません。
続く<11節>に「また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。」とあります。連合政府に従って、自分の富を蓄積した商人たちも、連合政府が崩れると困難に陥るのです。これ以上は連合政府のお陰で利益が得られなくなります。連合政府が崩れることによって、むしろ莫大な損失をこうむります。経済活動が麻痺して、商品の流通も難しくなって、世界経済は最悪の状態になります。
ですから、連合政府と手を繋いで富を蓄積しようと、多くの金を投資した商人たちも大変困るようになります。連合政府を通して全世界に流通していた商品は倉庫にたまるようになり、投資した資金の回収も難しくなります。
たとえば、今日、全世界に流通網を持っていた企業が、一日でつぶれてしまったと考えてみましょう。その企業と関連して事業をしていた人々も、一緒に困難に陥るしかありません。作っておいた商品がこれ以上流通されないし、値段も暴落します。このように、これまで連合政府をおんぶして莫大な富を得てきた商人たちでしたが、今は連合政府が崩れると、ともに滅びるしかなくなったのです。
<12-13節>に「商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。」とあります。
七年患難の間、連合政府はこの世を完全に掌握していました。小さい商品一つも連合政府の統制で動いていました。しかし、今は連合政府が崩れていて、彼らの体制の中で回っていた経済が麻痺しています。
「金、銀、宝石、真珠」とは、富と権勢を表しています。連合政府が崩れて、生活必需品が足りなくなると、このようなものもこれ以上価値がなくなります。「麻布、紫布、絹、緋布」とは、上流層の人々が身にまとっていたものです。ところが、反キリスト勢力の核心が滅ぼされると、これらも使い道がなくなります。「さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具」とは、このように多様な材料で作られた器です。これらもこれ以上流通できなくなり、倉庫にたまったまま、価値のないものになってしまいます。
「肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油」は、香りをつけるものです。「麦粉、麦、牛、羊」とは、食べ物の総称です。「馬、車、奴隷」とは、輸送手段とそれを動かす人々を指します。このすべてが何の役にも立ちません
ところで、商品のうち、最後に「人のいのち」も入っています。これは連合政府が、反キリスト勢力として数多くの人々のいのちまでも思いのままにしていたことを意味します。人々が反キリストに同調するようにさせて、結局その人たちが救われないようにしました。また、同調しなかった人々は、惨たらしく迫害して殺したのです。
このように連合政府は七年患難の間、人をはじめ、この世のすべてを統制して自分たちの思い通りにしてきたのです。ところが、連合政府が崩れながら、これらの商品を統制していた体制も崩れます。商品の分配も、取り引きも、輸送もみな麻痺して、世は再び混乱と無秩序に陥っていきます。
<14節>に「また、あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい、あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。」とあります。
「あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい」とは、彼らの目標が崩れたという意味です。反キリスト勢力が夢見たものがすべて崩れてしまいました。「あらゆるはでな物」とは物質の富を、「はなやかな物」とは名誉、権勢などを意味します。したがって、このみことばは、連合政府がこれまで味わっていたあらゆる富と栄華と権勢をすべて失い、もはや、決してそれらの物を見いだすことができない、という意味です。
<15-17節前半節>に「これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、泣き悲しんで、言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。』」とあります。
連合政府に従って不当に富を得た商人たちは、連合政府が崩れて、一緒に滅びるようになりました。ですから、「泣き悲しむ」のです。そして、彼らもこのすべてを連合政府のせいにして、彼らを呪う言葉を吐き出します。
「麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた」とは、連合政府がどれほど大きな権勢と富を持っていたかを表します。ところが、そのすべてが一瞬のうちに崩れました。
<17後半節-18節>に「また、すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。』」とあります。
神様の公義のさばきにより、悪は崩れるようになります。連合政府も、彼らがこの地上で味わったつかの間の富と栄華が終わると、このようにあっという間に崩れます。また、連合政府に従って、不正に富を得ていたすべての人々も、結局はともに崩れてしまうのです。彼らはその姿を見て嘆き、苦しみます。「このすばらしい都のような所がほかにあろうか」と言うほど、大きかった連合政府が粉々に砕けるのです。
<19節>に「それから、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。』」とあります。
連合政府が表では平和と秩序を叫び、平等を叫ぶけれど、実際に裏では途方もない富を蓄積しました。多くの人々がこのような連合政府の正体がわかっても、彼らに協力します。これは、自分たちの利益のためです。連合政府に協力して、自分たちもともに不当な方法で富を得て、権勢を味わいます。誰がどれほどもっと連合政府に積極的に協力して、彼らの手下になるかによって、もっと多くの富が得られます。
このように多くの人々が連合政府の手下になり、そこから得られる富と栄華を味わいました。ところが、連合政府が滅びるのですから、どれほど絶望して悲しむでしょうか? 「頭にちりをかぶって」という言葉が、苦しんで泣き悲しむ彼らを表しています。物質を命より尊く思った人々なので、自分たちが得た富が一朝にして崩れるとき、どれほど苦しむでしょうか? 欲をもって積んだ物質は、一瞬にして消えることもあるのです。
このように自分たちが得た富が水泡に帰すと、人々は連合政府に向かい、呪いの言葉を吐きかけます。彼らは自分たちの利益を追って連合政府を助けて、これまで多くの利益を得てきました。それでも、もはやこのようになると、連合政府に向かっても悪を現すのです。
先にも、これがまさに肉の人の姿だと言いました。肉の人は、相手からいくら大きい恵みを受けても、自分が困ると、その恵みを忘れます。さらには、自分の困難をまぬがれるために、すべての原因をむしろ自分を助けた相手のせいにまでします。
世の中にも「水に溺れた人を助けてあげたら、『風呂敷を渡せ』と言われ」という言葉もあります。このように肉の人々は、互いの利益のためには協力するように見えても、自分の利益に合わなければ、一瞬にして変わってしまうということを、もう一度心に留められますように。
真理を知る人ならば、まして霊の人ならば、決してこのような姿はありえません。一度受けた恵みを忘れないだけでなく、いつまでもそれに報いていかなければなりません。また、相手の過ちまでも自分のせいにして、過ちをおおわなければなりません。
たとえば、皆さんをつらくさせて、何の理由もなく苦しめた人がいました。その人が苦しみにあいました。この時、皆さんはどんな心になるでしょうか? 「よし。そうなると思ってた。私を苦しめたから当たり前のことだろう。ああ、すっきりした。」ひょっとしてでもこのように思われる方はおられないでしょう?
次の<20節>では、反キリストに協力したが、今はともに滅びるようになった人々が、崩れていく連合政府に向かって吐き出す言葉が出て来ます。「おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」とあります。
悪い人々は自分たちに何かさばきが臨むと、それによって悔い改めて立ち返るのではありません。むしろ正しい人々に「私にこんなさばきが臨んだからいいだろう、こんなに苦しんでいるのを見て、うれしいだろう」と、悪意をもって皮肉ります。自分の心がそれほど悪いので、相手もそうだろうと、勝手に思うのです。また、自分のことを嘆いて、自らを皮肉ったりします。「そうだ。私が悪いからこうなった。こうなっても当然だ・・・。」このように自分の過ちを悔い改めるのではなく、自分に対しても皮肉ります。
今、連合政府の崩壊を皮肉る人々も、これと同じです。連合政府の反キリスト勢力は、これまで数え切れないほど神の人と聖徒たちを迫害して殺してきました。ところが、今は、連合政府と彼らに協力した人々が、ともに滅びるようになってしまいました。すると、これまで自分たちに迫害されて殺された人々に向かって、このような自分を見て「喜びなさい。」と言っているのです。自分のことを悲観しながら、悪に満ちてこのようにねじけた心を皮肉って表現したのです。
しかし、実際に正しい人は、たとえ悪い人がさばかれても、そのように、あざけったり喜んだりするのではありません。ともに悲しんで憐れむのです。それなら、皆さんの心はどうなのか、一度顧みられますように。本当に心の正しい人は、いくら自分に悪を行なった人でも、その人が不幸になり苦しむことを、決して喜ぶはずがありません。かえってともに心が痛み、悲しみます。
連合政府と彼らに従った勢力の崩壊については、次の時間に調べましょう。
結論
愛する聖徒の皆さん、七年患難の間、連合政府はこの地上で味わえるものはすべて味わったと言えます。途方もない富と名誉と権勢を握って、人のいのちまでも自分たちの思いのままにしました。
ところが、その結果はどうでしょうか? そのすべてが一瞬のうちに消えてしまいます。その後には、永遠の刑罰だけが待っています。このように、肉で積んだものは何の役にも立ちません。
<ガラテヤ6:8>に「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」とあります。自分の肉のためにいくらたくさん蒔いて刈り取っても、それはただの霧のようなものです。結局、朽ちて消えてしまうものにすぎないし、後の世には決して持って行けないものなのです。また、自分の肉のためにだけ蒔いた人は、この地上でも朽ちる肉の実を刈り取るようになります。
きょう、問題があっていやしの集会に参加される方は、その問題がどこから始まったのか、自らを一度振り返られますように。真理である神のみことばから離れて、自分の肉の情欲と利益、自分の欲に従って、どれほど多くを蒔いてきたのかを顧みられますように。それが、時間が流れるにつれて、からだの病気として、事業場の問題、 家庭と家族の問題として現れました。
あるいは「私は霊のためにも蒔きました」という方ならば、「はたして自分の心をどれほど霊で満たしたのか」考えてみられますように。自分を霊で満たして変えさせないなら、うわべで積み重ねてきたものは一瞬に崩れることもあります。うわべで見る時は「まさかあの人が・・・」と思うかもしれませんが、心の割礼をしなくて霊で満たさなかった人は、結局、肉で積んできたすべてが明らかになります。
神様の前に霊で蒔いて行なったことだけが、真の価値があることを心に刻まれますように。それは、心の割礼をしながら、行ないでも熱心に蒔いて忠実になることです。このように、いつも霊のことを考えて、毎瞬、皆さんの人生を神様の前に美しい香りとしてささげられますように。それで、この地上で蒔いて行なったすべてが、天国に栄光と報いとして完全に積まれますよう、主の御名で祝福して祈ります。
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