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Title
黙示録講解(74)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
黙 17:7-18
Date
2008-08-29
黙示録17:7-18
すると、御使いは私にこう言った。「なぜ驚くのですか。私は、あなたに、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。また、昔いたが今はいない獣について言えば、彼は八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。そして彼はついには滅びます。あなたが見た十本の角は、十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいませんが、獣とともに、一時だけ王の権威を受けます。この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます。この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行なう思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。
愛する聖徒の皆さん、<黙示録17章>では、七年患難の間、この地上で権勢を振るっている獣とその獣を実質的に操っていく女について説明しています。
「獣」は連合政府、「女」はルシファーのことだと言いました。しかし、広い意味で、「獣」が必ずしも連合政府だけを指すのではありません。連合政府の道具として使われるコンピュータも獣だと言いました。「女」も、必ずしもルシファーだけではなく、ルシファーに操られる反キリスト勢力の頭を指すこともあります。
使徒ヨハネは、今、このような獣と女の正体について明らかに悟っています。それで、驚くしかありませんでした。人間耕作のために、悪い霊どもに権威を与えて、その時までに行なわれたすべてが、神様の摂理にしたがって正確になされたことなのを、もう一度悟ったからです。
神様の摂理と公義を知らない人々は、世の出来事を見て、「正義がどこにあるか?」「むしろ悪い人々のほうがもっと良い暮らしをしているのでは?」と言ったりします。
しかし、<詩篇37:1-2>に「悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。」とあります。悪を行なう者と不正を行なう者がうまくいっているようでも、結果は決してそうではありません。それが長くは続かないのです。たとえこの地上に生きている間、うまくいっているようでも、その後、永遠の世界では、必ず自分の行ないに応じて報いられるようになります。
ルシファーを中心にした闇の勢力も同じです。彼らには人間耕作の間、闇を支配する権威が与えられました。ですから、その期間には、まるでわが世の春が来たかのように、大手を振って歩きます。ですが、彼らには闇を支配する権威だけがあるので、闇の中にいる人々を通して働きます。また、彼らが持っている権威は、単に許された期間にだけ与えられたものです。したがってその期間が終わると、彼らもやはり行ないに応じて報いられるようになります。全世界を号令するようだった権勢は失われて、神様の厳かな公義のさばきを受けるようになります。
使徒ヨハネは、今、このような過程を見ています。神様の摂理が、公義に従ってあまりにも正確に成し遂げられることを見て、使徒ヨハネは驚かないわけにはいきません。もちろん使徒ヨハネは、神様が全知全能であり、すべてをつかさどられることを知っています。ただ七年患難の終わりになされることを見て、そのことをもう一度悟っているのです。そして、人間耕作を成し遂げるために繰り広げられた、神様の妙なる摂理と計画に驚いています。このような姿を「非常に驚いた」と表現したのです。
すると、神様は御使いを遣わして、将来起きることについて説明してくださいます。<8節>に「あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。」とあります。
このみことばについては、この前も簡単に説明しました。神様が悪い霊どもに許された期限になると、この地上では七年患難が終わります。連合政府は崩壊して、彼らを支配していた悪い霊どもも、この地上に再臨される主に追い出されて、底知れぬ所に閉じ込められてしまいます。その時からこの地上では千年王国が始まります。このように世を支配した連合政府と彼らを支配していた悪い霊どもが、前はいたが、今は消えてしまいます。
ところが、このように底知れぬ所に閉じ込められた悪い霊どもが、千年王国の終わりにもう一度解き放されます。そして、この地上で千年王国の時代を生きてきた人々を惑わして、滅びの道に引いて行きます。自分たちだけが滅びに向かうのでなく、もう一度数多くの人々を惑わして彼らと永遠の滅びに入ります。
敵である悪魔・サタンの行ないは最後までこうです。アダムとエバを惑わして、善悪の知識の木の実を取って食べるようにして以来、敵である悪魔・サタンは、とても数え切れないほど多くの人々を惑わして滅びに引いて行きました。七年患難の間は言うまでもなく、白い御座の大審判を控えている千年王国の最後の瞬間までも、敵である悪魔・サタンは人々を惑わします。
「世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣・・・・・・を見て驚きます。」とは、救われない数多くの人々が敵である悪魔・サタンに惑わされる、という意味です。敵である悪魔・サタンは、世の初めから今まで、さまざまな形で現れて、人々を惑わしてきました。七年患難の間に現れる連合政府だけが獣なのではなく、敵である悪魔・サタンは各時代に合わせて、いろいろな獣の姿で登場しました。「獣」というから、本当に獣の形をしているという意味ではありません。神様に立ち向かう敵である悪魔・サタンの手下の役割をするすべてをまとめて「獣」だと言えます。獣は、敵である悪魔・サタンの手下として神様に立ち向かって、神の国を妨げて、神の人々を迫害して殺す、このすべてのことを行なってきました。
ところが、人々はこのような獣を見て、彼らに惑わされてしまいます。獣はいつももっともらしい姿で現れるから、そのうわべの姿に惑わされてしまうのです。かえって「不思議だ、珍しい」と驚き、彼らの策略に陥り、滅びの道へ向かいます。
それで、<第二コリント11:14-15>では「しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。」と戒めておられるのです。
ですから、いつも真理である神のみことばで見分けて、その実で見分けなければなりません。<マタイ7:18-20>に「良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。」とあるとおりです。
本文の<9-10節>のみことばが、このように真理で見分けて惑わされないことを語っています。将来再び現れる獣の正体が何かを、もう一度正確に語っているのです。「ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。」とあります。
先に、獣は時代によっていろいろな姿で現れたと言いました。その中でも、特に国家や帝国として登場して、神様に立ち向かってイスラエル民族を迫害した場合があります。エジプト、アッシリヤ、バビロン、メディヤ・ぺルシヤ帝国、 ギリシヤ帝国、そして、ローマ帝国が代表的です。これに今後七年患難に現れる連合政府まで加えると、七つになります。
彼らのそれぞれ時代の背景と形は違うけれど、結局、彼らの後にはルシファーがいます。この女がすわっている七つの山と七人の王たちとは、このようにルシファーに操られる獣の代表勢力を言うのです。そのうちには、使徒ヨハネが生きていた当時から見ると、すでに消えた勢力もあります。また、その当時存在した勢力もあって、まだ現れなかったけれど、将来現れる勢力もあります。
そのうち、将来現れる勢力がまさに連合政府ですが、彼らが権勢を握る期間はつかの間です。七年という短い時間に権勢を握るようになります。「ここに知恵の心があります。」とは、まさにこのような摂理を悟って、彼らに惑わされないように、という意味です。知恵がなければ、結局、獣に惑わされて、滅びに向かってしまうのです。
神様はどの時代でも、神の人を用いられ、神の御心が何か、知恵がどんなものなのかを数えきれないほど説き明かしてくださいました。<箴言9:10>にも「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」とあります。このように「主を恐れることは知恵の初め、」と言われたにもかかわらず、多くの人々は神様を恐れないので、知恵を得ることができませんでした。ですから結局、獣に惑わされて神様に立ち向かって、罪と悪の中に生きて、滅びに向かうしかないのです。
これは七年患難の終わりまで同じです。神様は七年患難の終わりにあることまで聖書に詳しく記しておかれました。本文<9節>からは、このように最後の瞬間に起きることについての内容があります。
本文のみことばを歴史的に見ると、先に説明したように、各時代にいた獣の勢力についての説明です。ですが、このみことばには、同時に七年患難の終わりにある、連合政府と反キリスト勢力の最後に関する内容も含まれています。
「五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。」とは、連合政府がどのように崩れるのかを語っています。七年患難が終わると、連合政府を構成していたほとんどの勢力は滅びます。しかし、この時も生き残る勢力があります。彼らは今後到来する千年王国の時も、この地上に生き残るようになります。
もちろん、その時はルシファーをはじめ、悪い霊どもが底知れぬ所に閉じ込められているので、活動はできません。したがって、前に連合政府を構成していた人々も、その時はそれ以上悪を行なうことはありません。しかし、表で現れないだけで、彼らの中にはルシファーに操られた悪の属性がそのまま潜在しています。そうするうちに千年王国が終わる時点になり、ルシファーをはじめ、悪い霊どもがもう一度解き放されると、まさにこのような人々が神様に立ち向かうことに先立ちます。
このように七年患難が終わって連合政府が滅び、千年王国が始まるとしても、反キリストの勢力は命脈を保っていくのです。千年王国の時にはどんな闇も働けないので、悪の属性がじっと押さえられていましたが、神様が許されて、もう一度彼らの悪が現れる瞬間がある、という意味です。このように千年王国の時にも、その命脈を保っていく代表的な反キリスト勢力がまさに、宗教団体です。
<11節>に「また、昔いたが今はいない獣について言えば、彼は八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。そして彼はついには滅びます。」とあります。ここで、昔いたが今はいない獣を「八番目」だと言ったのは、反キリスト勢力の精神的な柱の役割をした宗教団体を指しているのです。
もちろんこの宗教団体は、連合政府と力を合わせて、反キリスト勢力の核心になってきました。ですから「先の七人のうちのひとりです。」とあり、七年患難の時、権勢を握る連合政府と根は一つであることを語っています。それでもこの宗教団体を「八番目でもあり」と特に区分したのは、反キリストとして彼らの役割がそれほど大きいからです。
聖徒の皆さん、聖書を見ると、反キリストの正体について、何度も語られています。<第一ヨハネ2:22>に「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。」とあり、<第一ヨハネ4:3>には「イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。」とあります。
また、<第二ヨハネ1:7>には「なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。」とあります。これらのみことばのように、父なる神様とその御子イエス・キリストを否認する者、イエス様が人として来られたことを告白しない者、これがまさに反キリストです。
七年患難の時、反キリスト勢力のうち、まさにこの役割をするのが宗教団体です。連合政府は全世界を統制して支配し、クリスチャンをつかまえて迫害して殺します。したがって、表から見ると、神様に立ち向かってクリスチャンを迫害するのは連合政府です。ところが、連合政府がこのようなことができるように背景と根拠を作るのは、宗教団体です。
この宗教団体も、表では神様と主を求めます。しかし、巧みに真理を変えて、かえって神様と主を信じる人々を迫害する根拠を作ります。たとえば、「真理はどこにでもある。他の宗教の人々と協力して、彼らを受け入れることが主のみこころだ」このように真理を変えます。そして、かえって主だけに仕えて世のどんなものとも妥協しない人々を罪に定め、不純な勢力に仕立てます。まさに、まことのクリスチャンをこのように迫害して、世を惑わしていくのです。それで結局主を否定するように、偶像の前で拝むように、世と妥協するようにさせていきます。これが、隠された反キリスト勢力の正体です。
まさにこのような核心的な役割をするのが、宗教団体とその団体の頭です。したがって、獣の霊的なリーダーは、まさにこの宗教団体であり、そのうちでも彼らの頭になるのです。ですが、この八番目も、結局は滅びに向かいます。
続く<12-13節>に「あなたが見た十本の角は、十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいませんが、獣とともに、一時だけ王の権威を受けます。この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます。」とあります。
連合政府はいろいろな国が集まって構成されています。それぞれの国としては、全世界を支配するほどの力がありません。多くの国が一つの目的を持って連合したので、全体として力を発揮することができるのです。
したがって、その各国は、連合政府を中心にする反キリストの勢力に積極的に協力します。そうすることだけが自分の国が生きる道だと思うので、最大限協力するのです。「心を一つにして」、すなわち、結局は自分たちが生きるために連合して世界を支配するという目標のために、自分たちが持っている富と権威と力を総動員して、連合政府に力を与えます。
このように積極的に協力したので、彼らもそれなりに王のような権威を受けて、七年患難の間に大声を上げるようになります。しかし、その権威と力も「一時だけ」にすぎないし、七年患難が終わるのと同時に消えてしまいます。
<14節>に「この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」とあります。
獣を中心にする反キリスト勢力の目的は、ただ神様と主に立ち向かうことです。彼らを支配するルシファーと悪い霊どもによって、この地上で神様と主に立ち向かう道具として用いられるのです。かといって、彼らが主と直接戦えるのではありません。それで、彼らは代わりに主を信じる人々を迫害することで、小羊である主と戦おうとします。
しかし、彼らが主に勝つことはできません。悪の霊どもに許された時間になれば、この地上の反キリスト勢力は崩れて、ルシファーをはじめ、悪の霊どもも底知れぬ所に閉じ込められます。しかし、その最後の瞬間が来る時まで、反キリスト勢力は主を信じる人々に対する迫害をやめません。そのため、主を信じるといった人々のうち、多くが結局は、主を否認してしまいます。それでも、最後まで迫害に耐えて勝利を得る人々もいます。
「小羊は彼らに打ち勝ちます。彼とともに(つまり、主とともに)いる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」とあるのです。主とともにいる者は勝利を得るという意味です。
それでは、主とともにいる者とは誰でしょうか?
まず、「召された者」です。彼らは救いに招かれた者で、その招きに答えて、主の中に入って来た人々です。主がいくら招かれても、本人が答えて入って来なければ、どうしようもありません。ところで、たとえ七年患難に落ちたとしても、後にでも悔い改めて立ち返った人のうちには、このように最後まで主の招きに答えた人々がいます。彼らは何としてでも迫害と拷問に勝ち抜いて、結局は勝利を得て救われるのです。たとえ聖霊は呼び戻されたけれど、最後まで神様は彼らに恵みを与えてくださいます。
二番目に、「選ばれた者」です。彼らは神様のみこころに従って特別に用いられるために、選ばれた人々です。たとえば、十四万四千人の伝道者が、このように選ばれた者に入ります。彼らは、神様がその心をご覧になって選ばれたので、ついに殉教の道を歩んで救いと栄光に至ります。同じように殉教したとしても、単に救われる次元を超えて、栄光に至る資格を得るのです。救いに招かれて殉教した人々とは違う次元になるのです。
三番目に、「忠実な者」です。心に悪賢いことがなく、偽りがなく、悪や不義がない人々です。彼らは、以前は主を知らなかったり真理がわからなかったから、正しく信じられなかった人々でした。ところが、真理を知ってからは、180度変わります。心が真実なので、真理に出会うと、いのちまで惜しまないでそれを守るのです。
ふたりの証人もそうです。もちろん、彼らは主を知って正しく信じたにもかかわらず、使命のためにこの地上に残った場合です。ところが、ふたりの証人は心が真実なので、どんな困難と患難の中でも、自分たちに与えられた使命を最後まで全うします。彼らが果たさなければならない使命があまりにも大きいので、ふつうの人は想像さえしにくいのです。ですが、彼らは一度出会った主に対する心が真実なので、結局はその使命を完全に全うして、天の光栄の座につくのです。
次の時間に、また調べていきましょう。
結論
愛する聖徒の皆さん、もう黙示録講解も七年患難の終わりに向かっています。毎時間、メッセージを聞くとき、皆さんはどんな心になるでしょうか? 「もっと目を覚ましていなければ」「もっと忠実にならなければ」「もっと早く霊に全き霊に入らなければ」という心にならなければなりません。
ひょっとしてでも、内容が繰り返されているからとして、安心してはいけません。たとえ似た内容が繰り返し語られても、かえってもっと心を確かめる時間にならなければなりません。悪から立ち返ることがあるなら、これ以上遅くならないように、立ち返らなければなりません。決断して捨てることがあるなら、今日、この時間に決断されますように。
おのおのの信仰に応じて、ある方は七年患難が恐ろしくて、この地上に落ちないためにもそうすべきでしょうが、皆さんならば、それよりは当然、目標が大きいはずではありませんか? それなら、皆さんは主とともにいる七年婚宴、千年王国、そして、その後で永遠にとどまる天国・・・・・・このような単語がどれほど信仰として心に届くでしょうか? その日は必ずすぐに来ます。主が私たちを連れに来られる時に、喜びと感動で迎えるべきではありませんか?
その日まで私は、熱心に皆さんを導いていきます。ひとりも脱落しないでついて来るよう、お願いします。私の心は、ちょっと申し訳ない表現ですが、首に縄でもかけて、ひとりも欠けずにみな一緒に行きたいのです。私のこの願いが必ず叶えられて、花婿なる主の御前に皆がともにいられますよう、主の御名で祝福して祈ります。
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