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Title
黙示録講解(69)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
黙 15:5-16:7
Date
2008-07-18
黙示録15:5-16:7
その後、また私は見た。天にある、あかしの幕屋の聖所が開いた。そしてその聖所から、七つの災害を携えた七人の御使いが出て来た。彼らは、きよい光り輝く亜麻布を着て、胸には金の帯を締めていた。また、四つの生き物の一つが、永遠に生きておられる神の御怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使いに渡した。聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。また、私は、大きな声が聖所から出て、七人の御使いに言うのを聞いた。「行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。」そこで、第一の御使いが出て行き、鉢を地に向けてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪性のはれものができた。第二の御使いが鉢を海にぶちまけた。すると、海は死者の血のような血になった。海の中のいのちのあるものは、みな死んだ。第三の御使いが鉢を川と水の源とにぶちまけた。すると、それらは血になった。また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」
愛する聖徒の皆さん、使徒ヨハネは、今、天が開かれて霊の空間から御使いが出て来るのを見ています。この七人の御使いは、神の御座がある所から出て来ました。
「あかしの幕屋の聖所」とは、神がおられるところのことです。御使いがここから出て来たとは、彼らが直接神の命を受けて行なっているという意味です。これは、これからなされることが、神によって行なわれる、という意味です。すべてが正確な公義にあって、父なる神様が許されてなされる、ということです。
この七人の御使いは、きよい光り輝く亜麻布を着て、胸には金の帯を締めていました。亜麻布は、救われた神の子どもたちが天国に入る時に着る衣です。救われた人々は正しく生きて心をきよめたので、光り輝く亜麻布の白い衣が与えられるのです。どれほど心が聖められたかのよって、与えられる亜麻布の光が変わります。聖められるほど、もっときよい光り輝く亜麻布が与えられます。一方、聖くない心をそのまま持っていた人は、まるで婚宴に入るための礼服を用意しなかったのと同じです。
<マタイ22:11-13>に「ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った」とあります。
天国に入るのもこれと同じです。天国に入るための亜麻布の衣が用意されていないなら、決して天国に入れないのです。「衣」とは心を意味します。したがって、心の割礼をして聖められてこそ、それにふさわしい亜麻布の衣が与えられるのです。もちろん、わずかな傷もしみもなく、完全に聖められるなら一番良いのですが、たとえ足りなくても、熱心に心の割礼をして何としてでも白くてきよい心を耕さなければなりません。
そうしないで、相変わらず汚れた心を持ったまま、心の割礼をしようともしなかったなら、そのような人は天国の婚宴に入ることができません。外の暗やみに放り出されて、とこしえにそこで泣いて歯ぎしりしながら、苦しみを受けます。
したがって、皆さんはいつも自分の亜麻布の衣がどれほど用意されているか、顧みなければなりません。毎日、もっときよい光り輝く衣にしていかなければなりません。きよくなければならない亜麻布の衣をかえって汚したり、最初から亜麻布の衣でさえ受けられない姿になってはいけないのです。皆さんが神のことばに聞き従って、そのとおり行なっていくとき、皆さんには最も光り輝く美しい亜麻布の衣が与えられるのです。
まさに七人の御使いがこのような亜麻布を着たとは、彼らが神のことばにだけ聞き従うという意味です。神のことばに従って、公義にあわせて正確に事を行ないます。
次に、「胸には金の帯を締めていた。」とあります。「金」とは変わらないことを意味します。したがって、「胸には金の帯を締めていた。」とは、変わらない神のことば六十六に従って、正確に事を行なうという意味です。祝福も、呪いも、災いも、救いと滅びも、このすべてが神のことばに従って、一点一画、一寸の誤差もなく正確になされる、ということです。
神様は公義を超える愛を施される方であります。しかし、最後のさばきの瞬間には、すべてを総合してさばかれます。その時は、公義の法に従って完全な判決が下されます。七年患難を締めくくる最後の七つの災害も、このような公義に従って進められます。この災害がどれほど厳かで正確なのかを見せるために、四つの生き物が登場します。
<7節>に「また、四つの生き物の一つが、永遠に生きておられる神の御怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使いに渡した。」とあります。
四つの生き物は神の御座の最も近くにいる存在で、神様の特別な命令を遂行します。もちろん御使いも神様から命じられて行ないますが、この四つの生き物は神様の直属です。四つの生き物が神様から命を受けて、それをまた七人の御使いに渡しています。
この時、神の命を受けて渡す生き物はまさに獅子の形をした生き物です。四つの生き物は全体で一つのように動くけれど、それぞれに与えられた使命もあります。そのうち、獅子の生き物は、おもにさばきとかかわる神の命令を遂行します。それで、今も四つの生き物のうち、獅子の生き物が登場するのです。
それが御使いに渡したのは、神の御怒りの満ちた七つの金の鉢です。「神の御怒りが満ちた」とは、万物の期限が来たという意味です。長く耐え忍ばれて、これまで行なってこられた人間耕作を、いよいよ終える時が来た、という意味です。
もちろん、実質的な人間耕作は、七年患難が来る前に、携挙によって締めくくられます。しかし、愛と憐れみの神様は、最後の七年患難中でも機会を与えられます。ところが、今、この最後の機会でさえ、その期限が近づいているのです。
七年患難の間に下さった救いの機会は、まるで猶予期間のようなものです。実質的な人間耕作は、携挙とともに六千年で終わります。そして、千年王国の時間が加えられて、神様の全体的な人間耕作は七千年という数を満たすようになります。神様が六日間で天地を創造されて、第七日に休まれ、七日間のすべての創造のわざを終えられたのと同じです。
ところで、七年患難は六千年の人間耕作と千年王国の間にはさまれた期間です。実質的な人間耕作の時間には入らないけれど、神様は、この時でも救いの機会を与えようと、最後の憐れみを施しておられるのです。
ですが、もうこの期間さえも終わりに向かっています。これ以上の憐れみが期待できなくて、御怒りの満ちた金の鉢だけが待っています。今、その七つの金の鉢が七人の御使いに渡されています。
<8節>に「聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった」とあります。
「聖所は煙で満たされた」とは、期限になって正確な時に合わせて、今のさばきがなされているという意味です。そして、「災害が終わるまでは、だれもその聖所に、はいることができなかった。」とは、この災害を決して元に戻すことができないという意味です。七つの災害が終わって、七年患難が締めくくられてこそ、はじめて救いの摂理も完全に成し遂げられるのです。ですから、この最後の七つの災害は、これ以上遅れたり減らされたりすることはできません。
こうして七年患難のすべての災いが終わって、千年王国を経たら、白い御座の大審判があります。それから、救われた魂はそれぞれ自分に与えられた天国の場所に入ります。今は、救われた魂が天国の自分の場所に入っているのではありません。新しいエルサレムに入る資格を得た魂を除いては、皆がパラダイスの端にある待機場所にいます。
したがって、天国はまだ未完成です。救われた魂のために、彼らの家が美しく建てられているのです。今は美しく建てられていても、ある瞬間、その家の敷地さえあっという間に消えることもあります。また、これからどのように信仰生活して天に報いを積みあげていくかによって、今建てられている家と、将来入る家とはとても違うこともあります。
これらの事実が本当に心に信じられるなら、決してむなしいこの世のことを求めようとしません。何としてでも天国にもっと積もうとするはずであり、将来、皆さんが永遠にとどまる天国の家に投資するようになります。
しかし、このようなメッセージをいくらたくさん聞いても、心に本当に信じられない人は、相変わらずこの地上に積むほかはありません。頭では知っていますが、心に信じられないから、結局目に見える世を追い求めるのです。
しかし、皆さんは霊の世界があることも、天国と地獄が確かにあることも、十分な証拠によって見ました。決してむなしいこの世に未練を持たずに、ただ天国の望みを持って走って行く皆さんになられますように。
次に、<黙示録16章>に入ります。
<1節>に「また、私は、大きな声が聖所から出て、七人の御使いに言うのを聞いた。『行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。』」とあります。
これから七年患難を締めくくる、七つの災害が始まります。この時、「神の激しい怒り」と表現したのは、これまで人間が神様の前に積み重ねてきた、すべての悪に対する公義のさばきを意味します。
神に立ち向かって冒涜して、悪口を言って神の御名を汚した人々、神を否認してさげすみ、神の国を破壊した人々、神様はこのような人々までも、長く耐え忍びながら機会を与えてくださいました。ですが、今はそれ以上、忍耐と赦しの時ではありません。ただ公義に従った厳しいさばきだけがあります。「神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。」とありますが、これは第一の天から、神の前に罪を犯して、罪の壁を積み重ねてきた者に災いが臨むことです。
<2節>に「そこで、第一の御使いが出て行き、鉢を地に向けてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪性のはれものができた。」とあります。
七年患難の時は、環境汚染とぞっとする戦争の結果、自然が破壊されて、途方もない自然災害が発生します。特に環境汚染による被害がものすごいです。七年患難中に権威を握った連合政府が、いくら環境問題を解決しようとしても、それは人の力でできるものではありません。むしろ環境破壊と汚染は、日が経つにつれて、もっと深刻になるしかありません。
今日も、多くの国の首脳が集まって、環境汚染を防いで、環境を回復しようと努力しています。ですが、状況は日増しにもっと悪化していきます。技術がいくら発達しても、自然の前ではあまりにも弱いものです。人間の知識と技術で問題を解決しようとしますが、ますます深刻になるしかありません。
このように破壊されて汚染された自然による被害は、結局そのまま人々に帰ってきます。自然から得てきた恩恵はだんだん減っていき、反対に、汚染されて破壊された自然から来る被害はだんだん増えていくのです。
特に七年患難に入り、第三次世界大戦をはじめ、多くの戦争がありました。その時、人間の悪から作り出した生化学武器と核兵器が使われました。その結果、その当時も多くの被害をこうむりましたが、時間が経つにつれ、その被害はより大きくなります。
たとえば、生化学武器や核兵器によって空気が汚染されて、汚染された物質が人のからだに蓄積されます。呼吸器から人体に入ったり、食物を通して体内にたまったりします。または、皮膚から体内に入ったりします。
このように人体にたまった汚染物質が、時間が経つと、ひどい悪性のはれものやさまざまな皮膚病を誘発します。皮膚が腐っていってえぐれるなど、ひどい皮膚病が猛威を振るいます。皮膚は割れて腐っていきます。かゆくて血が出るほど かくようになり、かくと皮膚がえぐれて肉が落ちていきます。それでもあまりにもかゆいから、かき続けるしかありません。中からは粘液が出て来て、血と膿が混ざった皮膚からは我慢できない悪臭がします。いくら強い薬を使っても治療できないし、人々は苦しみで泣き叫び、もがきます。
これは特に、獣の刻印を受けて、獣の像を拝む人々にひどく現れます。この地上でも、自分たちが行なったとおり報いを受けるのです。
<3節>に「第二の御使いが鉢を海にぶちまけた。すると、海は死者の血のような血になった。海の中のいのちのあるものは、みな死んだ。」とあります。
自然破壊は、海も例外ではありません。環境汚染と自然秩序の破壊のため、海も途方もない災害のもとになります。あらゆる廃水とゴミ、汚染物質などが海に流れ込み、動物と人の死体も海に流れ込みます。そのうち、海は汚染されて腐っていきます。赤潮が起きて、海は死者の血のように赤黒くなります。海の数多くの生き物も死ぬようになります。
このような悪循環が続き、「海の中のいのちのあるものは、みな死んだ。」とあるほど、海はそれこそ死の海になります。海が腐っていくと、どんな生命体も生きづらく、途方もない悪臭が立ち込めます。
海は生態系を維持して、汚染された自然を浄化させるために、どうしても必要なものです。海が持つ自浄能力があるからです。ところが、海がこのように汚染されてついに死んでいくので、その影響は自然界全体に広がります。海から得られた食糧資源もほとんど途絶えて、わずかに得られるものさえ汚染されて、それ以上食べられないのです。このように自然破壊と汚染がひどくなり、ついに限界に至ります。
<4節>に「第三の御使いが鉢を川と水の源とにぶちまけた。すると、それらは血になった。」とあります。
これは単に川と水の源が汚染されたことだけを意味するのではありません。深い山の谷間から湧き出た水さえも汚染されたということなので、結局、すべての自然界が汚染されたことを表しています。地球全体は一か所もきれいなところが見つけにくくなったのです。
このように水が汚染されると、飲み水が足りなくなります。たとえ水を浄化して飲んでも、その量は限られています。ですから、水不足はますます深刻になっていき、結局きれいな水が得られない人々は、渇きに勝てなくて汚染された水を飲みます。それはすぐ人に影響を与えます。さまざまな皮膚病と内臓の病気が生じます。汚染された水によって新種の伝染病をはじめ、いろいろな病気が猛威を振るいます。
この汚染された水には、生化学武器と核兵器による汚染物質まで入っているから、その水を飲んだ人々は途方もない苦しみを受けます。かといってすぐに死ぬのでもなく、ぞっとする苦しみが続きます。
このように「鉢を川と水の源にぶちまけた。」とは、単に水の汚染だけではなく、自然界全体が根本的に破壊されたことを意味します。すでに回復できないところにまで至って、自然秩序の基礎が破壊されてしまったということなのです。
ところで、人々がこういう苦しみを受けるのは、結局、自分が蒔いて行なったとおりに、公義に従って報いを受ける、ということです。
<5-6節>に「また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。『常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。』」とあります。
<マタイ16:27>に「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。」とあるみことばが成就されるのです。
もちろん、将来、白い御座の大審判の後で人々は自分の行ないに応じて報いをとこしえに受けますが、七年患難が締めくくられるこの時点でも、公義によって正確に報いを受けるのです。神のさばきは正しいです。決して偏ることや、誤ることがありません。むしろどうすれば赦して立ち返るように機会を与えようかというのが、父なる神様の心であります。
それでも人間が自分の悪のため、その機会をつかまなかったのであり、自分の行ないに応じて実を刈り取るのです。それに、七年患難の終わりにこの地上に残った人々は、ほとんど神様に立ち向かった人々です。獣の政府と一つになって神様に立ち向かって、主を信じる人々を迫害して殺しました。聖徒たちと預言者たちの血を流したのです。それで今、それに対する報いを受けるのです。誰も「私は悔しいです」と言えないし、理由や弁解、言い訳することはできません。また 世の初めから今まで、神様に立ち向かって神の人と預言者を迫害して殺した人々はみな、とこしえにその報いを受けます。
<7節>に「また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。『しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。』」とあります。水をつかさどる御使いが言ったことを、祭壇がもう一度言っています。
祭壇がこのように言うとは、神のさばきが真実で正しいことを証ししているのです。人々は祭壇の前に出てきて、神様の前に祈って賛美して礼拝し、自分にある大切なものをささげたりします。すなわち、祭壇はすべてを見守っています。もちろん「祭壇」が生きているのではありませんが、黙々と人々の心と行ないを見守ってきました。したがって、祭壇は、人々が神様の前に出て蒔いたとおりに刈り取らせ、行ないに応じて報いてくださる、神様の公義を見守ってきた信実な証人であるのです。
次の時間には、第四の鉢をぶちまけるとき、どんな災害が臨むのかを調べます。
結論
愛する聖徒の皆さん、世の初めから今まで、数えきれないほど多くの人々が神様の前に祭壇を築いてきました。自分なりに心と思いと知力と力を尽くして、神様の前に祭壇を築いてきたのです。皆さんが今、礼拝をささげているのも、神様の前に祭壇を築いているということです。ところが、神様の前で祭壇を築くときは、必ず、聖い、生きた供え物としてささげなければなりません。
<ローマ12:1>に「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」とあります。聖い、生きた供え物になるためには、何より霊とまことによって礼拝しなければなりません。
「霊によってささげる礼拝」とは、聖書六十六巻のみことばを聖霊に感じて動かされ、満たされて、心の糧として、私たちの中におられる聖霊と一緒に心の底からささげる礼拝を言います。全焼のいけにえを焼いて、その香りを神様の前にささげるように、火のように聖霊に満たされて、感じて、礼拝しなければならないのです。
「まことによってささげる礼拝」とは、からだと心と思いと最善を尽くして神様を愛する心で、喜びと感謝、祈りと賛美、行ないと献金とでささげる礼拝です。
ところで、神様が望まれる聖い、生きた供え物とは、このように教会に来て礼拝をささげる時だけ、霊とまことによって礼拝することではありません。まさに私たちの人生のすべてを神様の前に聖い、生きた供え物としてささげなければなりません。このために最も基本になることが、いつも喜んでいて、絶えず祈り、すべてのことについて感謝することです。皆さんの人生にこのみことばが完全に臨んだとき、皆さんの人生そのものが神様の前にささげる聖い、生きた供え物になるのです。
このように皆さんの人生が、いつも神様の前に美しい香としてささげる、聖い、生きた供え物になりますように。それで、神様が本当に望んで喜ばれる、霊的な礼拝になりますよう、主の御名で祝福して祈ります。
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