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Title
黙示録講解(48)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
黙 8:1-5
Date
2007-12-14
<黙示録8:1-5>
小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。 また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。 それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。
使徒ヨハネは、神様の右の手に七つの封印で封じられた巻き物があるのを見ました。その巻き物の封印が一つずつ解かれるたびに、この地上では七年患難の災いが起こります。
<黙示録6章>では、六番目の封印を解くまでの内容が出て来ました。七年患難に巻き込まれたこの地球は、まさに苦しみと恐怖と悲しみなど、死の地になっていきます。一つ一つ封印を解くたびに、戦争と飢謹、台風と環境破壊による災いなどが加えられていきます。
このような中でも、この地上にはひと筋の希望の光が差します。もう一度神様の憐れみが臨むのです。それはまさに<黙示録7章>の十四万四千人の神様の印を押されたしもべたちです。そして、また彼らによって救いに至る大ぜいの群衆が出てきます。
ところで、七年患難の時、殻の信者が殉教して救われることは決してやさしくない、と説明しました。殉教の座に至る人は、殻の信者とは心が違う人々です。七年患難の前にも、福音を正しく聞いたなら、救われるような心です。ただ、その前は真理を悟らせる導き手に会えなかったのです。あるいは、目の見えない人に導かれる目の見えない人のように、誤った導き手に導かれた場合もあります。
このような人々は、携挙を見て、初めて真実を悟ります。そして、主を救い主として受け入れると、その時からは前とは180度変わります。過ぎし日の過ちを徹底的に魂を砕いて悔い改めて、主のためにいのちを尽くして走って行くようになります。
しかし、殻の信者は、すでに真理を聞いて知っていながら行なわなかったので、七年患難に落ちた人々です。適当に世と妥協して、おおまかに信仰生活した人々も多いのです。これらの場合は、七年患難に落ちた後、悔い改めても殉教することがきわめて難しいです。たとえば、神様への初めの愛を失って、神様を一度裏切って世に行った人は、立ち返ろうとしても力が与えられないのです。恐れのために、むしろ力がもっと抜けてしまいます。
しかも七年患難の時は、すでにこの地上で聖霊が呼び戻された状態です。聖霊に助けられずに、自分の力と意志で立ち返らなければなりません。すぐは悔い改めても、誘惑と大きい迫害が来るなら、また崩れてしまう可能性がそれだけ大きいのです。
皆さんはこのような事実をよく悟らなければなりません。すでに真理を聞いて体験してきた皆さんは、決して七年患難に落ちることがあってはなりません。七年患難に落ちることを心配する信仰でなく、毎日より良い天国を望んで走って行く幸いな信仰生活になりますように。
聖徒の皆さん、きょうの本文<1-2節>に「小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。」とあります。
ここで「天に半時間ばかり静けさがあった」とは、まるで嵐の前のような状態を意味します。今まで六つの封印を解く間にも、多くの災いがありました。しかし、これは今後臨む災いに比べると、始まりにすぎないことでした。つまり、七番目の封印を解く時から本格的な七年患難が繰り広げられる、という意味です。
したがって、本文の静けさは、平安から来るものではありません。神様の本格的な審判が始まる前の、しばらくの間の静かな時間です。
表ではしばらく平安に見えるこの間に、人々はさらに多くの策略を企んでいきます。どんな武器を使ってこそ相手に勝てるだろうか? どちら側と手を握ってこそ有利だろうか? 相手をどんな方法で脅かしていこうか? こういうことをいろいろ考えて準備していきます。
また、信じる人々に対する迫害の準備も、一つずつ進めて行きます。もちろん、以前にも信じる人々を迫害して拷問し、殺すことはありました。しかし、まだ本格的な迫害と殉教が始まったのでありませんでした。
前も申し上げたように、ヨーロッパ連合が世界情勢の主導権を握って、彼らの正体が本格的に現れます。それと共に、主を信じる人々に対する迫害と殉教も本格化します。表ではしばらくは静かに見えるこの時間に、このような本格的な迫害のための準備も、陰では進められているのです。
ですから、人々はむしろこのような状況で、さらに緊張して恐怖を感じるのです。今後まき起こる途方もない災いと迫害を、漠然とではあるが感じるからです。
このようにひっそりした静かな時間が流れる間、天でも本格的な七年患難のための準備が進められています。神の御前に立つ七人の御使いに、七つのラッパが与えられました。
ここで「七つのラッパ」とは、今後繰り広げられる本格的な七年患難の災いを意味します。これから調べていきますが、御使いたちがラッパを一つずつ吹き鳴らすたびに、この地上には以前の災いを超える、ものすごい災いが降り注ぎます。
神の御前に立つ七つの御使いが出て来ますが、ここで「神の御前に立つ」の「立つ」とは、王やかしらの人々に仕えて護衛することを言います。このように身分の高い人に仕えて護衛するほどならば、その地位や権威が大したものだということを表します。しかも神の御前に立つ七つの御使いならば、その地位と権威がどれほどでしょうか?
特にこの御使いたちは、ふつうの御使いとは全然、雰囲気からして違います。七年患難の災いをつかさどる御使いたちなので、彼らから感じられる威圧感からして、ものすごいものです。
このような御使い七人に「七つのラッパが与えられた。」とあります。
ラッパは昔の戦争の時、必須の通信手段でした。ラッパの音で、敵の攻撃はもちろん、自分の軍の攻撃、前進、後退などを知らせました。このように、本文の七つのラッパも、災いを知らせる役割をします。これから御使いがそのラッパを一つずつ吹きならすたびに、この地上に新しい災いが臨むことを暗示します。
ところが、なぜこの時、「七」という数字が出て来るのでしょうか? 七は完全数であり、これから始まる災いがどれほどものすごいものなのかを語ってくれます。
七年患難が進むほど、この世は悪に悪が加えられ、極端に走るようになります。このように悪が積まれた結果、人々は自らが死に向かっていることさえ悟らず、もっと悪を行なっていきます。人の悪が限界を超えると、「死のうが死ぬまいが」というふうになってしまいます。
そのように悪を行なうと、結局、自分にも途方もない害が及ぶということを考えてみる余裕さえないのです。ひとまず悪を吐き出してみます。こうした中で、どこで善を探して、どこで憐れみと恵みが探せるでしょうか? お互いに殺そうと血眼になっている、まことに殺伐とした世になってしまいます。
それでは、なぜ七年患難の間には、世がこのようになるしかないのでしょうか? これまで積み重ねてきた数多くの悪が、公義の中で実として現れるからです。
愛の神様はこの地上に人間を耕作されながら、何としてでも耐えに耐えて、機会を与えられました。人々の数多くの悪をご覧になっても、憐れみと恵みをもって長く耐えられ、赦しと愛を施してこられました。
ですが、神様もそれ以上赦すことのできない状況があります。まさに公義に従って定めておかれた限界を超える場合です。もちろん公義を跳び越える愛があって、これによって七年患難の間にも、多くの人々が救いのひもをつかむようになります。ですが、このような公義を跳び越える愛も、それを受けるような人に当たります。いくら愛を与えようとしても、受けないなら何の役にも立ちません。
まさに七年患難の時、この地上に落ちた人々は、このように最後の神様の愛さえ受けられないほど、すでに悪に悪を積み上げた場合がほとんどです。それで、落ち穂拾いの救いによって救われる人がそう多くはないのです。しかも、落ち穂拾いの救いさえ受けられなかった人ならば、その心の悪がどれほど満ちているでしょうか?
まさにこのような人々がこの地上に残って、七年患難の時を生きていきます。ですから、このように悪が極に達した人々どうし、互いに悪を行なって生きていく、と想像してみてください。皆が自分の益だけを求めて悪を行なっていきます。家族どうし、隣どうし、同僚どうし、どこに行っても、皆が自分の益だけを求めます。
したがって、七年患難の間には、戦争や自然災害などによってだけで人々が苦しむのではありません。生きること自体が苦しみであり、地獄のようです。決してこのようなところに落ちてはいけません。
続く<3-4節>に「また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。」とあります。
<黙示録5:8>にも「彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱいはいった金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。」とありました。
このように、きょうの本文にもある「金の香炉に与えられた香」とは「聖徒の祈り」です。また、香の煙は聖徒たちの祈りとともに立ち上がった。とあります。ここで「香の煙」とは、祈りをささげる聖徒たちの心を意味します。
聖徒たちが神様の前に祈ると、その祈りを御使いたちが受け取ります。この祈りがまたさらに位の高い御使いに伝えられます。このように何段階をも経て、御使いたちのかしらによって神様の御座の前にまで届けられるのです。
御使いたちも、いろいろな務めがあって、高い、低いの序列があります。雨、風をつかさどる御使いがいるかと思えば、神様の命令を伝える御使いもいます。きょうの本文にも、御座の前に立つ御使いがいて、また、ほかの御使い、すなわち、祈りの香を神様にささげる御使いも出て来ます。霊の世界には数え切れない御使いたちがいて、その使命はそれぞれ正確に区分されています。その使命の中でも序列が正確に決められます。
神の子どもたちも将来天国に行けば、正確な序列があります。聖められて、全家を通じて忠実な者になり、神様に似せられたほど、序列が高くなります。それで、序列が高いほど、神様の前にもさらに近づくことができます。
同じように、御使いたちの中でも神様の前に出て行けるならば、それほど序列が高いということです。階級の低い御使いたちが、自分たちが受けて来た祈りを神様に直接ささげるのではありません。彼らが受けてきた祈りの香は、また目上の御使いのかしらが集めて、神様にささげるのです。
こうして聖徒たちの祈りが神様の前に香として受け入れられて、定められた量を満たすなら、祈りの答えが与えられます。
ところで、神様が受けられる香は、祈りだけでなく、広い意味では賛美と口の告白も含まれます。心からささげる感謝と喜び、信仰の告白などが美しい香となり、神様の御前に受け入れられるのです。したがって、祈りだけでなく、すべての口の言葉も、いつも神様の前で美しくなければなりません。
本文に、御使いが祈りを入れたのは、ただの香炉ではなく「金の香炉」だとあります。また、神様の前にある祭壇も、「金の祭壇」だとあります。
世の多くが朽ちて変わるけれど、純金は変わりません。このように、神様の栄光と権威もとこしえに変わることがありません。その神様にささげるものだから、特別に「金の香炉」と「金の祭壇」と表現するのです。
また、香炉や祭壇を金で作ったということは、それほど尊いものを入れる、という意味です。皆さんがお客さまを接待する時も、大事なお客さまであるほど、大切にしておいた器を取り出して使います。また、大切な器であるほど、そこに入れる食べ物も良いものになります。このように、皆さんの祈りの香が金の香炉に入れられるなら、それだけふさわしい祈りの香にならなければなりません。
それで、この金の香炉は祈りの香を量る役割もします。石が混ざった米を入れると、石を選別する機械があります。このように、神様の前にふさわしい祈りは金の香炉に入れられるけれど、そうでない祈りは入れられないのです。
それでは、神様の前にふさわしい祈りとは、どんな祈りでしょうか? 神様をこの上なく恐れる心で、心と思いと最善を尽くした、心の底からの祈りです。純金のように変わらない信仰でささげる祈りでなければなりません。また、神様のみことばのとおりに行ないながらささげる祈りでなければなりません。
本文にはっきりと「聖徒の祈り」と表現してあります。「聖徒」とは、聖なる者という意味です。神様のみことばどおりに生きて、みこころを追い求める、聖なる神の子どもたちを示します。
いくら教会に長く通っても、聖められて神様に似せられようとする努力はほとんどしない人もいます。こういう人は単に教会だけ行き来する「教会の信者」にすぎません。こういう人は何かを祈っても、それが心の香となることは難しいです。
また、金の香炉に入れられる祈りは、愛の心でささげる祈りです。肉の愛でなく、霊の愛を言います。神様を愛して、魂たちを愛する心をもってささげる祈りでなければなりません。
<マタイ6:33>に「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」とあります。
霊の愛と信仰があるならば、肉的なものより霊的なものを求める祈りがさらに切に出て来ます。自分の家族、日用の糧、健康、こういうものより、義を成し遂げるための祈りと魂たちのための祈り、神の国を実現するための祈りがまず出て来ます。こういう霊的な祈りをまずささげてから、自分の肉的なものを求めるようになります。
しかし、自分の祈りはよくするのに、神の国のための祈りはそれほどできない人もいます。もちろん、初心の者ならば神の国について何を祈るべきかもよくわかりません。信仰が成長しながら、だんだんと習っていって、さらに多くの祈りができるのです。
しかし、信仰もあって、信仰歴もあると言いながら、相変わらず自分の肉的なものだけを求める姿ならば、どうでしょうか? 神の国のためにあまり祈る内容もなくて、それほど切実でもないならば、どうでしょうか? そのような祈りが、はたして神様の前に香となって立ち上ることができるでしょうか?
初心の者でも、聖霊に働きかけられて祈る時は、神の国のために火のように祈ります。私の場合も、信じてさほど経たないうちから、時間さえあれば切に叫んで祈りました。山の祈りや徹夜祈祷を無数に積み上げましたが、それは自分の祈りをしようとしたのではありませんでした。仕えていた教会と牧者、聖殿建築、信仰の兄弟など、神の国のための祈りでした。とても切に祈って、真冬でも汗を流して祈りました。聖霊がつかさどられると、夜を明かすまで絶えず祈る内容が流れ出ました。
皆さんがこの一週間のダニエル徹夜を一度振り返ってみられますように。二、三時間祈って賛美をしたけれど、その祈りと賛美が神様の前にどんな香だったでしょうか? 頭ではほかのことを考えながら、口だけぱくぱくとする祈り、人が見るのに熱心な祈りは、金の香炉に入れられません。表と裏が違う祈りや賛美をささげる時も、金の香炉に入れられません。
表ではいくら大声で祈って賛美しても、それが習慣的なものならば、神様の前に濃い香になれないのです。同じ言葉をただ繰り返す祈りは、まったく香になれません。ある方々は、口からは異言の祈りをしたり賛美したりしながら、頭の中ではあらゆる雑念が浮かびます。こういうものがどうして心の香となって、金の香炉に入れられるでしょうか?
人がいくら多くをささげても、真実の心から出てこそ、それが香となります。神様が受け入れられるのは、本当に心の香であることを必ず悟られますように。
聖徒の皆さん、各人が心を尽くして祈っても、その香を受ける香炉の大きさはいろいろです。信仰が大きい人、霊の人の祈りは、短い時間をささげても、太くて濃い香となります。一方、まだ捨てられなかった肉が多い時は、その香が太くなくて弱いのです。ですから、ふたりが同じ時間を祈っても、御使いが祈りを受け取る香炉の大きさは違います。
また、祈祷課題によって、満たさなければならない祈りの量も違います。小さいものを答えられる時は、小さい香炉を全部満たせば答えが与えられます。ですが、大きくて重要なことが答えられる時は、それだけ大きい香炉を満たしてこそ答えが与えられます。
このようにいろいろな場合がありますが、ひとまず金の香炉に入れられるにふさわしい祈りだったなら、その祈りの香は決して無駄に消えません。必ず父なる神様が覚えて、時になると答えと祝福を与えてくださいます。
ところで、本文を見ると、御使いにたくさんの香が与えられ、「すべての聖徒の祈りとともに」ささげる、とあります。これはどういう意味でしょうか? これはまさに、耕作を終える時点に、聖徒たちの祈りを決算してささげる、という意味です。
人間耕作が終わると、その時までささげたすべての祈りを決算します。祈りだけでなく、賛美と告白など、心の香となってささげたすべてが決算されます。罪と戦って捨てて、聖められるためにささげた祈り、敵である悪魔・サタンに立ち向かって神の国を広げるためにささげた祈り、このほかにも神の国と義のためにささげた祈り、神様の前に愛と感謝の告白でささげたすべての祈りと賛美。
人間耕作の長い歳月の間、聖徒たちがどれほど多くの香を神様にささげたでしょうか? ダニエルの21日の祈り、ステパノが殉教する時の善良な告白、こういうものがすべて消えたのではありません。ダビデが演奏した立琴の音も、監獄でささげた使徒パウロの賛美も、すべて美しい香になり、神様の前に立ち上りました。
まさにこれらのすべての香が一つももれなく決算されて、それが神様の前に信仰の証拠になります。皆さんがこれまでささげた祈りと賛美と告白も、一つももれなく集められます。また、香が満たされて皆さんに答えられて、神様に栄光を帰した内容も、一つ一つみな記されています。まさにこれらすべてが決算されて、皆さんの報いと審判の基準になるのです。
<結論>
愛する聖徒の皆さん、皆さんがこの地上で信仰で行なったことは決して無駄に消えません。物質でささげたものだけを意味するのではありません。祈り、賛美、奉仕、献身、使命を果たすことなど、主にあって信仰で行なったすべてが含まれます。
ところで、信仰で行なったとは、まさに心から行なったという意味です。表の行ないとしてはいくら熱心だったとしても、心が込められなかったなら、それは肉的なものにすぎません。真実な心が込められてささげられたものである時でこそ、神様が受け入れられるのです。まさに心の香として受け入れられるのです。
それなら皆さんは今、父なる神様の御前にどんな香としてささげているでしょうか? 祈る時、賛美する時、使命を果たす時など、皆さんの心の香が神様の御前にどれほど美しく立ち上っているでしょうか?
また、皆さんは信仰生活を始めて、今までどれほど多くの香を積みあげてこられたでしょうか? 信仰生活を長くしたとしても、多くの香が積みあげられるのではありません。肉の信仰でいくら長い間香を積みあげても、霊の信仰に入って積みあげる人と比べるなら少ない、という事実を悟らなければなりません。
ですから、すみやかに霊に入って来られますように。それで、皆さんの祈りと賛美と告白、忠実と献身と使命を果たしたことなど、主にあって行なうすべてが、天国、父の御座の前に美しい香としてあふれるように積まれますよう、主の御名で祝福して祈ります。
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