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メッセージ > 金曜徹夜礼拝 |
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Title |
黙示録講解(41) |
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Speaker |
堂会長 イ・ジェロク 牧師 |
Bible |
黙 6:5-8 |
Date |
2007-10-19 |
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[黙示録6:5-8] 小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が、「来なさい。」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、「来なさい。」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。
今、使徒ヨハネは、聖徒たちが携挙された後のことを幻で見ています。空中では上げられた聖徒たちが七年の婚宴を楽しんでいますが、この地上では、主が封印を一つ一つ解かれるたびに、七年患難がだんだん深刻になっていきます。いろいろな紛争と戦争、自然災害、物価の暴騰、病気などで終わりに向かって走って行くのです。 きょうの本文に、第三の封印を解いたとき、黒い馬が出て、黒い馬に乗っている者の手には量りを持っていたとありますが、この間調べたように、黒い馬には二つの意味があります。 第一に、黒は「罪と悪」を意味します。そして、量りとは何かを量るものであるように、この地上に残っている人々の罪と悪が一つ一つ量られて数えられるので、それに従って各人に患難が臨みます。神様の恵みが完全になくなってしまい、災いしか残っていない世ですが、その中でもある人には苦しみが多かったり、ある人には少なかったりします。正確な公義によって各自の罪と悪の苦しみを受けるのです。 第二に、黒い馬には「巨大な暴風と台風が来る」という意味があります。終わりの時が近づくほど、あちこちに飢謹と地震があって、自然災害はさらに深刻になります。そうするうちに七年患難の時になると、このような自然災害による災いが最高潮になり、食糧の収穫にも大いに支障をきたすようになります。経済的にも大きい危機が迫り、深刻なインフレが起きます。これを説明したのが本文[6節]の「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。」というみことばです。 この間、これを計算して、その時の小麦の価格が今と比べたら約170倍も上がると説明しました。小麦だけでなく麦や他の穀物も、価格が急騰するようになります。価格が100倍、あるいは200倍上がると説明しても、今の皆さんには漠然としているかもしれませんので、もう少し実感できるように詳しく説明します。 最近1年間、世界の穀物市場には、気象異変による大きい変動がありました。東ヨーロッパと旧ソ連の猛暑、ヨーロッパの収穫期の豪雨、オーストラリアの日照りなどによって、穀物の収穫量が減少したことが大きい原因です。小麦の価格は1年前より2倍近く上がって、とうもろこし、豆などの穀物も急速に値上がりしました。 このような現象について、最近の新聞に経済状況を心配する記事が載せられています。そのいくつかを紹介します。9月30日のハンギョレ新聞には「国際穀物価格の暴騰」、同日の朝鮮日報には「小麦粉が金粉になるのか? 穀物価格の暴騰」、連合ニュースには「世界の穀物価格、天井知らず、経済打撃の憂慮」などの見出しが出ています。100倍になったのでもなく、10倍になったのでもありません。1年間でやっと2倍近く上がったのに「暴騰、天井知らず」という表現を使って「小麦粉が金粉」という言葉が出て来ます。 また、10月1日の毎日経済新聞には「世界の食卓を脅かす穀物価格の暴騰」、東亜日報には「国際穀物、石油価格、背伸びをしようとしていた韓国経済に冷や水」など、あちこちで危機を憂慮しています。 小麦の価格が上がると、小麦で作るいろいろな食品の価格も一緒に上がります。最近イタリアとメキシコでは、小麦粉ととうもろこしの値上がりのため食品も値上がりして、デモが行われたこともあります。ある人は、小麦がなければほかの穀物を食べればよいと言うかもしれませんが、小麦だけが値上がりするのではなく、とうもろこし、豆なども値上がりするのです。 また、穀物が値上がりすると、家畜の飼料が値上がりして、そうなると当然、畜産物も値上がりするのです。ですから、このような穀物の値上がりを見て、畜産業界でも緊張しています。また、穀類で作る飲み物と各種の食料品も値上がりして、全般的な物価が上がるのです。 このような連鎖的な反応が続くので、穀物の値上がりだけでも経済全般に打撃を受けるのです。やっと二倍ほどの小麦粉の値上がりでこのように危機を心配しなければならないなら、将来、10倍、100倍以上値上がりする時の混乱はどれほど大きいでしょうか? 歴史的にも、このようにひどいインフレが来た時がありました。特に第一次大戦後、大恐慌の時、ドイツでは1日でも数倍ずつ物価が値上がりする事態がありました。たとえば、1個1,000ウォンだったパンが、何日かすると5,000ウォンになり、朝は10,000ウォン、その日の夕方は30,000ウォン、このように値上がりするならどうなるでしょうか? お金があっても食料を得ることは難しくて、石けん、歯磨き粉、各種の生活必需品も一緒に値上がりして、生活があまりにも苦しくなっていきます。 お金の価値が紙の価値より落ちて、靴一足を買おうとすれば、リヤカーに紙幣を入れて行かなければならないほどになって、子どもたちはお金を積んでおもちゃにしたし、結局、お金を焚きつけに使うことまでありました。 それでも過去は物価の値上がりだけでしたが、七年患難が始まる時は、以前と比べられない残酷な台風と自然災害、戦争、病気などがあちこちで一緒に起こります。こういうことを思い出すと、七年患難の時、どれほど人々の暮らしが荒れ果てるのか、少しでも感じられるでしょう。平安な暮らしとはあまりにもかけ離れていて、毎日ざわざわして落ち着かない雰囲気で、危険な日々を送るのです。後でまた説明しますが、このような不安定な状況が、むしろ反キリストの勢力には「安定」という名分を打ち出し、簡単に世界の権力を握るきっかけになります。 ところで、黒い馬の登場で始まるこの災いは、ある限界を越えないと説明したとおり、一定の限界まで進むことが許されます。小麦と麦の収穫を減らした台風は「オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」とあるように、オリーブ油とぶどう酒の収穫の前、すなわち、秋の前に終わります(ヨーロッパのぶどうの収穫は9月から10月、オリーブの収穫は11月中旬から12月末頃です)。 聖徒の皆さん、この時「オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」というみことばにも二つの意味があります。 第一に、オリーブ油とぶどう酒とは「オリーブ油とぶどう酒が生産される所」を意味します。つまり、イスラエルとその周りの中東地域、そしてヨーロッパの一部地域が含まれます。したがって「オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」ということは、大きな暴風雨と台風が世界的に起きても、この地域は守られることを意味しています。 このように守られると、その地域には益となりますが、だからといって彼らが何か大きい富と栄華を受けるのではありません。神様が彼らが守られるようになさったのは、祝福の意味ではなく、時になるまで、すなわち、将来ヨーロッパ連合が政権を握るまで、彼らが勢力を増す一つの流れとして許されただけです。 次に、オリーブ油とぶどう酒には、もう一つ霊的な意味が含まれています。オリーブ油とは「イスラエル民族」であり、ぶどう酒は「以前に『主を信じる』と言ったが、正しい信仰生活ができなかったので、七年患難の時、この地上に落ちた人々」を意味します。 ローマ11章に、神様の選ばれたイスラエルの民を「オリーブ」にたとえている節があります。この「オリーブ」すなわち、イスラエルの民の中でも、後で救われる人々を「オリーブ油」と表現しています。つまり、イエス・キリストを否定しているイスラエルの民の中でも、携挙とその後の状況を見ると、イエス様がまことに自分たちのメシヤだったことを悟って、悔い改める人々がいるということです。 また、[ヨハネ15:5]には「わたし(すなわちイエス様)はぶどうの木で、あなたがたは枝です。」とあり、主を信じて主の中にとどまる人々をぶどうの枝だと説明しています。木によくついている枝は多くの実を結びますが、ここで「ぶどう酒」とは、良い実のことではなく、残されて落ちてしまうぶどうの汁を意味しています。ぶどうの実を取った後、落ちてしまうぶどうの汁のように、地に落ちてしまった人々を示すのです。 [ヤコブ2:26]に「たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。」とあります。教会に通って「主を信じている」と言いながら、みことばに従って生きなかった人々は、その信仰が死んだ信仰で、まことの信仰と認められないので、主が来られる時に上げられないのです。 それで、地に落ちてしまった人々は自分たちが携挙されなかったのを見るとき、どれほど驚くでしょうか。このような人々のうち、以前聞いたみことばどおり、何としてでも殉教をしてでも救われようとする人々がいるのです。 このように「信じる」と言いながらも携挙されなかった人々とイスラエルの民の中にも、落ち穂拾いによって救われる人々がいるので、神様は、第三の封印を解くまで彼らを守られて、将来時になると、殉教によって救われる機会を与えられるのです。 ですから、その時になるまでは、まだオリーブ油とぶどう酒、すなわち、イスラエル民族と「主を信じる」と言いながらこの地上に落ちた人々に害を与えてはいけない、と言われているのです。もちろん、だからといって彼ら全部がひとりももれなく災いから守られて救われる、という意味ではありません。将来、大きい流れの中で深刻な迫害があり、それで本格的な殉教が始まる前までは、ある程度守られるという意味です。 聖徒の皆さん、本文[7-8節]に「小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、『来なさい。』と言うのを聞いた。私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。」とあります。 ここで「青ざめた馬」とは、将来ヨーロッパ連合によってなされることを意味します。この青ざめた馬に乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った、とあるので、これはすなわち、闇の支配者で、反キリストのことを言っています。 以前に「預言」の説教で説明したように、今後世界史の流れは世界の大きい勢力が競い合う、三つ巴の戦いになると言いました。たとえ以前のような力はないとしても、一時最強大国の栄華を誇ったアメリカがその一つであり、中国・ロシアをはじめ旧共産圏国家がもう一つの大きい勢力を成し、そして最後の勢力はヨーロッパ連合だと説明しました。中東地域の国家も、石油資源を武器化して力を行使しようとしますが、どうしても他の三つの勢力に比べてはその力が弱いのです。 今、ヨハネが幻で見ていることは、聖徒たちが携挙された後、この地上の国々で多くの分野が混乱している状態です。周りの数多くの聖徒たちが一時に消えて、たとえ主を信じない人々でも、キリスト教で言う携挙について聞いて知ってはいます。ですから「彼らの話が事実だったんだな。これから私たちは大変だろう」という恐れで民の心が荒れていきます。 同時に、先に説明したとおり、あちこちの戦争と自然災害、病気、深刻なインフレなどで、全世界がはなはだ不安定な状況になります。こういう混乱した状況で、三つの勢力はそれぞれ乱れた雰囲気を鎮圧して、自分の地位を固めるためにさらに努めます。特にヨーロッパ連合はますますその勢力が強くなって、その中でも最も優位に立つようになり、反キリストに操られるようになります。 もちろん、今はヨーロッパ連合がそんなに簡単に一つになるようには見えません。各国の利害関係がからまりながら、進んでいるようでまた停滞することを繰り返し、まだ世界の流れで主導的な力を行使してはいません。 しかし、七年患難が迫ってくるほどヨーロッパ全体が強く結ばれるようになり、第四の封印を解く頃、すなわち、七年患難に入ってからは「彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた」とあるほど大きい権勢を持つのです。混乱した社会を安定させるという名分をもって急速に権力を掌握して、結局、死、すなわち、数多くの人の生死までも支配するようになります。 先に第一次大戦以後の大恐慌について説明しました。この時のドイツの情勢を考えてみれば、ヨーロッパ連合が力を得ていく状況がもう少し理解しやすくなります。ドイツのインフレが深刻な状態になり、失業者があふれて生計が苦しくなったとき、急速に力を得たのがまさに独裁政権であるナチの勢力でした。 ナチ党は正常な状況ならば受け入れにくい非論理的な理念を持っていて、初めは支持する人もほとんどいなかったのです。ところが、ドイツの社会、経済、あらゆる分野が混乱して暗い状況が続くと、疲れ果てた人々の心理は極端な方法でも危機を克服することを願い、結局ナチ勢力が権力をつかんで、第二次世界大戦まで起こしたのです。 また、ほぼ同じ時期のイタリアもそうでした。当時イタリアは経済的な不安定と続くストライキとデモで、人々は無秩序に疲れていました。そのうちムッソリーニが政権をつかんで、イタリアを独裁国家に作り上げていきました。独裁者ムッソリーニの政策が社会的、経済的に安定を与えるかのように見えて、政治的な自由を抑圧したにもかかわらず、彼の支持率は65パーセントにもなりました。 このように混乱した状況では、人々が安定を願い、強力な指導力を望む傾向が現れます。七年患難の混乱の中でも、人々のこのような心理状態によってヨーロッパ連合がもっと簡単に力を得るのです。 もちろん、ヨーロッパのすべての国が一つになり、心を一つにするのではありません。この時のヨーロッパ連合はイギリス、ドイツ、フランスなどいくつかの強い国がリードしますが、ヨーロッパの中でも一つになることを願わない国々があります。いくら同じヨーロッパにあっても、互いに文化的な差もあって、各自の利益に合わない分野があるので、当然葛藤があるはずです。 しかし、この時は、ヨーロッパが一つになってこそ全世界で主導的な役割ができるという大義名分が強く打ち出されるので、どこか一つの国が反対する声を出すのが難しくなります。それで結局、全体がすべて連合するとはいえ、その中でも力がない国々は連合というよりは従属するようになります。このように無理に屈服させたので、後になるとその中でも亀裂が生じるのです。 このようなヨーロッパ連合の亀裂の兆しは七年患難の終わり頃に現れます。ただ初めは体系的なシステムと富を土台に一つになって、ヨーロッパ連合が大きい勢力になっていきます。軍事力も今に比べてますます大きくなっていくのです。また、ヨーロッパの国家だけで結ばれるのではなく、だんだん世界の各地域を自分たちの体制の中に服属させていきます。 彼らが表面的に主張するのは「私たちの体制に従ってくれば、混乱しているすべてが安定して多くの益が得られる」ということですが、そのような甘い言葉におとなしく従わない時は、その国と民族を苦しめて疲弊させていきます。結局、食糧や小さい生活必需品の売買さえも、徹底した監視と統制のもとに置きます。 「彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。」というみことばは、彼らが世界にどれほど大きい影響を及ぼすのかを説明しているのです。 まず「剣」とは、軍事的な力を意味します。ヨーロッパ連合は自分たちの体制を確立するためにますます軍事力に投資し、大きい力を育てていきます。また「ききん」とは、彼らが蓄積した富の力がどれほど大きいかを説明しています。インフレが深刻で苦しいのに、むしろその機会にあっという間に莫大な富を蓄積する人々がいるはずです。 このように、七年患難の時、あちこちのききんによって苦しくなり、インフレが猛威を振るっても、ヨーロッパ連合はむしろ機会に乗じて搾取をして、巨大な富を蓄積します。それで、こういう軍事力と富を土台に世界に大きい支配力を行使します。 たとえば、今でもある強大国が自分より力が弱い国を経済的に封じ込めて圧迫すると、その国は大変苦しむことがわかります。しかし、今は圧迫や封鎖をしても、一つの国のすべての国民が餓死するほどの極限状況まで行くことはありません。ところが、七年患難のインフレと苦しみの中で、莫大な富を蓄積したヨーロッパ連合がある一つの国を集中的に圧迫するなら、その時は、その国の国民のほとんどを餓死させるほど大きい影響力を持ちます。 また「死病と地上の獣によって殺す」とは、彼らの体制の中に服属しない人々に対するいろいろな制裁と、死に至るまで圧力が加えられることを意味します。 「地上の獣」とはコンピュータのことを言っています。ヨーロッパ連合はコンピュータを利用して自分たちの体制を構築していきます。コンピュータにすべての人々の情報を入力して、いちいち監視して統制します。 すべての人をこの統制に入らせるために、右の手や額に獣の刻印、すなわち、バーコードを受けさせますが、初めから強制的にするのではありません。七年患難の中盤まではこの体制を確立していく時期ですから、積極的に勧めるほどで終わります。しかし、すべての体制が安定して、七年患難の中盤を越える時からは、すべての人々に刻印を受けるように強いて、拒むことは認めないのです。刻印を受けない人は反社会的で、彼らが追い求める社会の安定に反対する者として烙印が押されるのです。 したがって、この時になると、刻印を受けない人々の殉教も本格的に始まります。そのような殉教については、第五の封印を通して説明します。
愛する聖徒の皆さん、ヨハネの黙示録に記されたすべてのことは明らかに必ず成就されることです。油の用意をちゃんとした聖徒たちは携挙されて空中の婚宴に入るので、このような地上の事とは関係ありませんが、主を信じない人々と、信仰生活を正しくしなかったので携挙されなかった人々は、一つ一つ体験しなければならないことです。自らはいくら熱心に信仰生活をしていると言っても、結局神様のみことばに従って生きず、不法をなして地に落ちるなら、その時はいくら後悔して、歯ぎしりをして、胸を打って大声で泣いても、何の役にも立ちません。その時は残酷な苦しみを通して殉教する時だけ、かろうじて地獄の刑罰を免れるわずかな可能性が残っているのです。しかし、それは考えるだけでも恐ろしいことです。 皆さんの中にはひとりもこんなところに落ちる人があってはなりません。主が来られる前、まだ機会がある時に、いつも目を覚まして祈り、みことばに従って正しく信仰生活をして、花嫁の備えをされますように。それで、空中に大きいラッパの音とともに、花婿なる主が再び来られるとき、皆が上げられて主のふところにいだかれますよう、主の御名によって祝福して祈ります。 |
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