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Title
黙示録講解(40)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
黙 6:3-6
Date
2007-09-28
[黙示録6:3-6]
小羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が、「来なさい。」と言うのを聞いた。すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が、「来なさい。」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」
この間、お話ししたように「白い馬」はイスラエル民族を意味します。また、「白い馬に乗っている者」とは、イスラエル民族の運命を左右して導いていくリーダーたちだと言いました。
イスラエル民族は神様から選ばれた民族として、この世が終わる日まで神様の摂理によって動かされるようになります。神様は聖書のところどころにイスラエル民族に向けられた摂理について記しておかれました。そして、そのとおりにイスラエル民族の歴史は進められています。
約1900年前、この地上でその名さえ残らずに消えてしまったイスラエルという国が、終わりの時になると、その民族が過去の地にまた集まって国を建てるとは、世の誰も想像できなかったでしょう。しかし、聖書にはすでに遠い昔から、このようなイスラエルの歴史について預言しておかれたのです。
[申命記4:30]に「あなたの苦しみのうちにあって、これらすべてのことが後の日に、あなたに臨むなら、あなたは、あなたの神、主に立ち返り、御声に聞き従うのである。」とあります。また、[エゼキエル36:8-10]に「だが、おまえたち、イスラエルの山々よ。おまえたちは枝を出し、わたしの民イスラエルのために実を結ぶ。彼らが帰って来るのが近いからだ。わたしはおまえたちのところに行き、おまえたちのところに向かう。おまえたちは耕され、種が蒔かれる。わたしは、おまえたちの上に人をふやし、イスラエルの全家に人をふやす。町々には人が住みつき、廃墟は建て直される。」とあります。イスラエル民族が荒れ果てる以前のイスラエルの地にまた帰って、住むことを言われたのです。
[エゼキエル36:19-20]にも「わたしは彼らを諸国の民の間に散らし、彼らを国々に追い散らし、彼らの行ないとわざとに応じて彼らをさばいた。彼らは、その行く先の国々に行っても、わたしの聖なる名を汚した。人々は彼らについて、『この人々は主の民であるのに、主の国から出されたのだ。』と言ったのだ。」とあります。イスラエル民族が世界各地に散って生きることを言われたのです。
そして、続く[24節]に「わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。」とあり、[28節]には「あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」とあります。世界各国に散っていたイスラエル民族が、神様が彼らの先祖に与えられた地にまた帰ることを言われています。
この他にも、[エゼキエル36:34-36]に「この荒れ果てた地は、通り過ぎるすべての者に荒地とみなされていたが、耕されるようになる。このとき、人々はこう言おう。『荒れ果てていたこの国は、エデンの園のようになった。廃墟となり、荒れ果て、くつがえされていた町々も城壁が築かれ、人が住むようになった。』と。あなたがたの回りに残された諸国の民も、主であるわたしが、くつがえされた所を建て直し、荒れ果てていた所に木を植えたことを知るようになる。主であるわたしがこれを語り、これを行なう。」とあります。
イスラエル民族が自分たちの先祖の過去の地へ戻ったとき、そこは荒れ果てて乾いた地でした。イスラエル民族が国々に散って生きている間、イスラエルの地は雨がよく降らない上に見捨てられていたので、荒れ地と砂漠になってしまったのです。かろうじて山岳地帯に残っていた木と草なども、長い歳月の間、人々がむやみに刈り出して、また植えなかったために、土は雨と風に洗われて、岩と砂利だけがみすぼらしく残っている地になりました。中部海岸地帯は砂漠地帯になってしまって、南の方もやはりネゲブ砂漠地帯になり、一年に雨がやっと1、2回降るほどで、40度を超える暑さのために人が住めない地になってしまいました。いくら深く地を掘っても水が出て来ない地になったのです。
このような所がイスラエル民族によって、今は青い木と草もあって、各種の実が得られる地に変えられました。ガリラヤ湖からポンプで吸い上げた水を送水管でイスラエルの各地に送って、スプリンクラーで撒くからです。それで、荒れ果てた地がオレンジ畑になって、農作業ができる肥沃な地になったし、美しい木が育つ地になりました。「主であるわたしがこれを語り、これを行なう。」とあるように、神様が言われたみことばはこのように必ず成就されるのです。
ですが、神様が言われたとしても、人のほうでただじっとしていても何が何でもなされるという意味ではありません。続く[エゼキエル36:37]に「神である主はこう仰せられる。わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れて、次のことをしよう。」と言われたことを覚えておかなければなりません。イスラエル民族も約1900年近く、世界各国に散って生きなければなりませんでしたが、彼らはどこにいようが、時になれば必ず自分たちの過去の地に帰ることを信じて祈りによって願い、また力を集めて努力しました。もちろん人が努力するからといって成就されるのではありませんが、彼らがそのように信じて祈って努力したので、時になったら神様が許されて聖書のみことばが成就されたのです。
そして、このように神様の摂理の中にあるイスラエルですから、イスラエルが国を再び建てたとき、周りのアラブ国家からこれを押し倒そうと何回も攻めて来ましたが、そのたびにイスラエルが勝利を得ました。今でもいつも大小の紛争が起きていますが、相変わらずイスラエルが力で優位に立っています。
そして、今後七年患難の時になれば、結局イスラエルとアラブ国家との間で、もう一度世界大戦を触発する戦争が起きます。また、七年患難の時は、イスラエルとアラブ国家との戦争以外にも、ところどころで戦争が起きます。そのすべてが相互に作用しながら、第三次世界大戦が起きるのです。
きょうのみことばを通して、このような状況を調べてみましょう。
[3-4節]に「小羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が、『来なさい。』と言うのを聞いた。すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。」とあります。
主が第二の封印を解くと、今度は赤い馬が出て来ました。「赤」は血を流すことを意味し、「赤い馬が出て来た」ということは、多くの血を流すことを意味しています。「赤い馬に乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。」とあるように、赤い馬とそれに乗っている者によって血を流す戦争が起きることを意味します。
それなら、「赤い馬」とは具体的に誰を示すでしょうか? 「赤い馬」はまさにロシアを意味しています。
1991年、15か国の連合体で構成されていたソビエト連邦、すなわちソ連が崩壊します。けれども、その中でロシアは相変わらず最も大きい力と影響力を発揮しています。ソ連崩壊以後、ロシアは衰退していくようでしたが、私がすでに前から預言していたように、ロシアはまたその力が大きくなっています。それと共に、周りの国々に続いて影響力を行使しようとします。
しかし、共産主義という理念によって維持されてきたソ連が崩壊すると、これまでソ連に属していた国々が、今度は民族と宗教を中心に独立した国の主権を行使しようとします。ロシアからもこれ以上干渉されることを拒みます。
実際、ソビエト連邦の時期からも、ソ連は民族問題によっていつも悩み苦しんでいました。多民族国家だったソ連は、その中で民族の独立と自治を要求する大小の紛争が絶えませんでした。民族間にも多くの紛争がありました。ソ連が崩壊する前の1987年1月から1988年中盤まででも、300余りの民族主義紛争があったと言います。数十万人が集まった大規模集会で多くの死傷者を出す地域間の流血紛争も、あちこちで起きました。多くの方が覚えている1988年のアゼルバイジャンとアルメニア人との民族紛争は、ソ連の正規軍が投入されて鎮圧されました。このように、ソ連は崩壊以前からも、民族問題によってあちこちで紛争が絶えませんでした。ソ連崩壊以後、ロシアがますます力が強くなって、周りの国々に影響力を行使しようとしていると、これもまた紛争の火種になっています。
七年患難の時に、まさにこのような火種が表に出て、結局、民族間の戦争に発展するのです。この過程で互いに殺し殺され、多くの血を流し、平和が壊れてしまいます。さらに「大きな剣が与えられた」とあるように、この戦争は簡単に制圧されたり落ち着いたりするのではなく、大きい戦争へと広がっていきます。
ところで、こういうすべてのことも「許されて」なされるのです。まさに神様から許されなければならないことを言っています。しかし、これを神様が戦争も起こしたり人々が死ぬようにされたりすると誤解してはいけません。神様は世界史のすべてをつかさどられるのですが、結局はすべてが公義によって動きます。悪が満ちて限界線を超えると、それが戦争になってしまい、人々が自分の悪によって互いに殺し殺されて、自ら滅びに向かうのです。神様が公義を無視して好きな所で戦争を起こされたり、人々を滅ぼされたりするのでは決してありません。
エジプトから出て来たイスラエルの民がカナンの地を征服する時を見ても、神様は無条件にカナンの地をイスラエルの民に与えられたのではありません。神様はアブラハムに、将来イスラエル民族がエジプトで奴隷生活をして、ついに約束の地へ戻ることを語られます。
[創世記15:16]に「そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」とあります。これは、言いかえれば、すでにカナンの地を占めていたエモリ人の咎が満ちる時まで待ってこそ、その地をアブラハムの子孫、イスラエルの民に与えることができるという意味です。エモリ人の咎が公義によって定めた限界線を超えてはじめて、公義によってイスラエル民族に、彼らを滅ぼしてカナンの地を征服していくように神様がお許しになれるのです。仮に、エモリ種族の咎が満ちていないのに神様が彼らを追い出して、イスラエルの民にカナンの地を与えられるなら、それは公義の法則を破ることになります。
このように、神様は世界史のすべてをつかさどられますが、必ず公義の法則に従って正確に動かすようになさいます。ですから、七年患難の時に起きるすべての出来事も、神様がつかさどって許されてこそ起きることですが、それは結局、人々の悪が積みに積まれて、公義の線を超えて起きるのです。
蒔けばその刈り取りもするという霊の世界の法則に従って、人々が悪を蒔いたことが七年患難の時になるとあちこちで炸裂し、この地上の自然環境もやはり限界線を超えるので、戦争と自然からの災いなどの、途方もない患難が発生します。
また本文へ戻ると、このようにロシアとその周りの国を通して民族間の戦争が起きて、これとともにロシアがイスラエルと中東との戦争にも介入しながら、第三次世界大戦に発展します。ロシアとイスラエルとの間にも長い間葛藤の歴史があって、結局彼らの間に敵対的な状況が発生します。これについては[エゼキエル38章]の内容をもって、次にまた説明します。
愛する聖徒の皆さん、本文[5-6節]に「小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が、『来なさい。』と言うのを聞いた。私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。『小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。』」とあります。第三の封印を解いたら、今度は黒い馬が出て来て、「これに乗っている者は量りを手に持っていた。」と書かれています。
ここで「黒い馬」には二つの意味があります。
まず「黒」は罪を意味し、「黒い馬」は罪をつかさどるサタンによって起きることを意味しています。そして、この黒い馬に「乗っている者」とは、罪と悪について正確に測る者で、敵である悪魔・サタンとも言えるし、彼らに働きかけられて道具として使われる人とも言えます。
黒い馬に乗っている者が手に量りを持っているとあるように、敵である悪魔・サタンはどんな人にどんな罪と悪があって、その罪と悪がどの線まで至ったのかを測ります。それで、その罪と悪が限界を超えると、それに応じたいろいろな試練や患難と問題をもたらすので、罪と悪に対するさばきがなされるのです。これが時には、敵である悪魔・サタンが働きかける人を通してなされることもあります。
七年患難の時にも、まさにこのような敵である悪魔・サタンによって、この地上に残っている人々の罪と悪が一つ一つ数えられて測られます。それで、その時も、その罪と悪の程度によって各人に臨む患難の程度が違います。ある人は先に殺されたり、ある人は後で殺されたりします。同じ患難の中でも、ある人はさらに多くの苦しみに、ある人は少ない苦しみにあったりします。手に量りを持っている者の測りによって、公義に合わせて罪と悪の代価が与えられるのです。
次に「黒い馬」には、巨大な暴風と台風がやって来るという意味があります。途方もない台風と暴風雨が押し寄せますが、その程度が定められた線以上は超えられないのです。すなわち、量られた基準によって神様が許して決めておかれた限界の中でだけ、台風と暴風雨が起きることを言われるのです。
自然災害はこの後ももっと深刻になるでしょうが、七年患難に入った時は、すでに巨大な台風や暴風による災いなどが起きています。もちろん自然災害は今も時間が経つほど深刻になっていますが、七年患難の時になると、このような自然災害による災いがついに最高潮に達します。また、サタンに働きかけられて、人々はそれぞれ自分の悪によって紛争と戦争を起こします。
このようなすべてのことによって、結局「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。」とあるように、食糧不足による深刻なインフレが起きます。それがどれくらいなのかを知るためには、それぞれの単位を現在の価値に換算しなければなりません。
まず「デナリ」とは、ローマ時代の貨幣単位です。一デナリは労働者の一日の賃金です。したがって、一デナリを現在の貨幣にすると、大まかに8000円から8500円くらいになります。
次に、小麦一枡の価格を調べてみましょう。2007年9月の基準で、国際取引価格は小麦一枡で多めに見て約50円くらいです。(2007年9月現在、シカゴ商品取引所で小麦は1ブッシェル(35.2リットル)で8ドルです。そして、小麦一枡は約1.8リットルですから、小麦一枡の価格は、1ドルを115円で計算すると、約47円になります。)もちろん種類によってははるかに高いものもありますが、一般的に使われる普通の小麦の価格を言うのです。
ところが、本文には、小麦一枡が一デナリとあるので、今と比べると、何と160-170倍の価格です。もちろん、だからといって、その時に必ず小麦の価格が一枡で正確に8500円もすると言っているのではありません。それより高くなることも、安くなることもありえます。また、麦を基準にして今と比べると、ちょっと違うかもしれません。
したがって、本文のみことばの意味は、七年患難の時になれば、このように穀物の価格も天井知らずに上がるという意味です。それほど穀物などの値段が高くなり、多くの人々が飢えるようになって、仮にお金があっても食べ物が求められないという惨めな事態が繰り広げられる、ということです。
次に「オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」とあります。このみことばにも二つの意味があります。
まず「オリーブ油とぶどう酒」とは、オリーブ油とぶどう酒が出る所を意味します。つまり、イスラエルと中東地域、そしてヨーロッパの一部の地域が含まれます。したがって、オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけないということは、大きな暴風雨と台風の中でもこの地方は守られることを意味します。
次に「オリーブ油とぶどう酒」は、それぞれイスラエル民族と、主を信じると言ったが七年患難の時にこの地に落ちた人々を意味します。彼らの中には落ち穂拾いを通して救われる人々もいるので、初めから彼らを殺すことを許されず、将来時になると、殉教によって救われるようにされるためです。それで、その時になるまでは、まだ彼ら、すなわち、イスラエル民族と、主を信じると言ったがこの地上に落ちた人々に害を与えてはいけない、と言われているのです。
もちろん、だからといって、彼らがみな、ひとりももれなく守られるという意味ではなく、大きな流れの中で深刻な迫害があり、それで本格的な殉教の前までは、すべての状況からある程度守られるということです。このオリーブ油とぶどう酒については、次の時間に続いてもっと詳しく説明します。
愛する聖徒の皆さん、今日私たちが生きていくこの世は、神様が守ってくださらなければ、いつどこでどんなことにあうかもしれない、不安な世になりました。ですが、神様のみことばの中に生きる神の子どもたちならば、心配する必要がありません。神様が守ってくださり、仮に早く霊とたましいが離れても、天国に行くのですから、何が恐ろしくて心配でしょうか。
ところが、今後七年患難の時になると、この地上では聖霊が呼び戻されて、主を信じると言ったがこの地上に落ちた人々は一日一日を恐れの中で生きていきます。死に対する恐れだけでなく、永遠の死である地獄に対する恐れのためです。
しかし、これも初めだけそうであり、時間が過ぎれば、彼らの中でも多くの人々がだんだん心が鈍くなり、世の人々と同じように世に染まって生きるようになります。それで、実際に殉教の状況が来たら、信じると言ったがこの地上に落ちた人々の中の、極めて少数だけが落ち穂拾いの救いに至ります。
ですから、何が最善の策でしょうか? はい、主が私たちを連れに空中に降臨されるとき、ともに上げられればよいのです。
今後続く「ヨハネの黙示録講解」を通して、さらに目を覚まして身を慎む信仰生活をして、七年患難とは関係ない皆さんになりますように。そして、皆が空中で主とともに夢のような七年の婚宴にあずかれますように、主の御名によって祝福して祈ります。
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