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Title
ヨハネの手紙第一講解 (17)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
ヨハⅠ 2:29-3:1
Date
2011-03-20
[本文]
[ヨハネの手紙第一2:29-3:1]
「もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行なう者がみな神から生まれたこともわかるはずです。私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。」
[本論]
愛する聖徒の皆さん、「第一ヨハネ講解」十七回目です。
前回は、聖霊を受けた神の子どもがどんな生き方をしなければならないかについて伝えました。神の子どもという尊い身分になったことを本当に悟るならば、心の底から喜びがわき上がるでしょうし、以前とは人生がすっかり変わらなければならないでしょう。どうすれば神の子どもらしく生きられようか、どうすれば神のみことばどおりに生きられようか、このように神のみこころどおりに生きようと真理に飢え渇く心になります。ですから、聖書も学ぶのだし、祈って努力して変えられるのです。
もし神を信じると言いながらも、みことばの中にとどまっていなければ、将来、主の来臨のとき、信頼が持てません。さばきの日、神の御前に立ったとき、「私がどうしてそんな生き方をしたんだろう」と恥じ入るようになると言いました。
続く[29節]でも、神の子どもなら、必ず真理の中にとどまっているべきことを説明しています。「もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行なう者がみな神から生まれたこともわかるはずです。」とあります。
度々、子どもの顔だけ見ても、その親がわかるほどに互いに似ていることがあります。このように、子どもが親に似ているのはとても自然なことです。私たち神の子どもたちは当然、父なる神に似ていなければならないでしょう。不義が全くない神のように、神の子どもも正しい生き方をしなければなりません。
[マタイ5:48]に「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」とあります。また、[第一ペテロ1:16]には「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」とあります。このように、完全で、聖であって、義を行なう人なら、その人は正しい方である神から生まれたことがわかります。敵である悪魔・サタンも、これを知って退きます。
しかし、不義を行なう人は神から生まれたと認められないでしょう。いくら、自分で「主を信じている」と告白しても、その人は光である神とかかわりない人で、闇に属する人です。神の祝福を受けることもできないし、かえって闇の支配者である敵である悪魔・サタンのえじきになって、試練や患難の中で苦しむようになるのです。
愛する聖徒の皆さん、神は愛する子どもたちが完全で聖なる行ないをするように期待しながら、いつもご覧になっています。そして、真理の中にとどまっている子どもをご覧になれば、非常に喜ばれます。「わたしは何をあげようか」と、その人の心の願いに答えてくださるのです。
もし、私が皆さんをいつも見守っているなら、皆さんは表情もことばも行ないも、どれほど美しくするでしょうか。私は皆さんを一瞬一瞬見ていることができませんが、神はまどろむことも、眠ることもなく、いつも皆さんをご覧になっています。これを覚えている方ならば、どれほどもっと愛らしく行なうでしょうか。日々、神の御目を感じながら、真理の中に、義の中にとどまっていますように。それで、「神から生まれた人」と認められるようにお願いします。
愛する聖徒の皆さん、本文[第一ヨハネ3:1]に「私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。」とあります。
「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう」とあります。皆さんはその愛が感じられるでしょうか? 本当にその愛を知って、心で切々と感じながら生きているでしょうか?
初めに神がひとりでおられた時も、神にはどんな乏しいこともおありになりませんでした。永遠から永遠まで、全宇宙空間が神の栄光で満ちていました。その大いなる神が愛を分かち合うために、その栄光を一緒に味わうために、人を造ろうと定められました。親が将来生まれる子どものために用意するように、期待の心で全宇宙と星とこの地上の山川と草木、そして動物を造られました。いよいよこの上なく心を込めてご自分のかたちにアダムを造られ、万物を治める権力まで下さいました。
このようなアダムが裏切って罪を犯した時は、あまりにも心が痛まれたでしょう。その子孫がサタンのしわざに従って罪と悪に染まって、創造主の神に立ち向かうのをご覧になったとき、人の子らを造ったことを後悔すると言われるほど、悲しまれたこともありました。
しかし、神は耕作をあきらめられませんでした。すべての苦しみの歳月が過ぎると、ついには愛が分かち合えるまことの子どもが得られると信じておられたからです。そう信じて望み、神は最も大きい愛を私たちに示してくださいました。
[第一ヨハネ4:9-10]に、「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」とあります。
この世のどんな人が皆さんのために命を与えることができるでしょうか? むごたらしくむちで打たれて血まみれになり、世の人々の呪いとさげすみの中で十字架につけられて死ぬまで、皆さんを愛してくれた人がどこにいるでしょうか?
創造主の神はそうなさいました。私たちが善良に生きもしないで、神も恐れなかったとき、神に立ち向かう罪人のかしらだったとき、私たちのためにひとり子の命をお渡しくださいました。
これは歴史が証しする実際の出来事です。今日、私たちが使っているカレンダーでは、紀元前と紀元後に分けられていますが、その基準がまさにイエス様のご聖誕です。「今年が2011年」というのは、神がその大きい愛によってひとり子を遣わされてから2011年経ったということを意味するのです。
神が先に施してくださったこの愛には、どんな条件もついていません。イスラエルの民のためだけでもないし、良い人々のためだけでもありません。以前はむさぼりと偽り、不品行とあらゆる罪で汚れた生き方をしていた人でも、神は差別されません。自分が罪人であることを認めて、悔い改めて、イエス・キリストを主として受け入れさえすればよいのです。神が差し伸べてくださったその御手を握りさえすれば、どんな人でもその罪を赦して、救ってくださるために、ひとり子の命を渡してくださったのです。過去のすべての罪を赦されるだけでなく、神の子どもと呼ばれ、輝く天国の栄光も約束されるのです。
今まで数多くの人がこの驚くべき愛を悟ったので、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れました。罪の道から離れて、神のふところに帰ってきたのです。本文に「事実、いま私たちは神の子どもです。」とあるように、このあふれる愛を受けて、尊い神の子どもとされました。
ところが、「世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。」とあるように、世は敵である悪魔・サタンに属していて、この神の愛を受け入れなかったので、神を知りません。神の愛を受けた子どもについても知りません。聖徒の生き方が理解できないのです。
神の子どもは天に望みを置きます。世の人々がたらふく飲んだり食べたりしながら楽しむとき、聖徒は肉に属することを一緒にしません。つかの間のこの地上の益を求めるよりは、神の御前に聖であるほうを願うので、真理に逆らうものや不義と妥協しません。世はこのような神の子どもが理解できないので、時には迫害して憎みます。愚かだとからかったりもします。
しかし、神の子どもはどんな迫害とからかいも気にしません。この地上で富と栄華を味わえなくても、苦しみと訓練の中で生きていても、かえって喜んで感謝します。このように神の子どもが御霊に属するものを望みながら、光を人々の前で輝かせるとき、これを見た世の人々の中でも、心を開く人が出てくるのです。彼らも神という方について知りたくなって、神の愛を知ろうとするのです。
この続きは次の時間に伝えます。
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