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主日礼拝
Title
恵み - 初穂の刈り入れ感謝主日大礼拝
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
ヨハⅠ 4:16
Date
2012-07-01
[本文]
[第一ヨハネ4:16]
「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」
[序論]
愛する聖徒の皆さん、きょうは初穂の刈り入れ感謝主日です。
[出エジプト23:16前半節]には「また、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂の刈り入れの祭りを行なわなければならない。」とあります。初穂の刈り入れの祭りはイスラエルの三大例祭の一つです。これは小麦の初穂を刈り取った後、感謝する例祭なのです。韓国や日本では、一般的に麦の収穫期に当たり、年の後半期が始まる7月最初の主日を初穂の刈り入れ感謝主日として守っています。
この例祭は、前半期の間、守って祝福してくださった父なる神様の恵みに感謝する意味が込められています。私たちは例祭を通して、それまで悟れなくて見過ごしてしまったことを捜して感謝することができます。それと同時に、父なる神様の恵みと愛をもっと深く感じて心に刻むことができます。
すべての感謝の条件が神様によることを認めて、心と思いとまことを尽くして感謝してみてください。後半期も、さらに多くの感謝の条件を豊かに注いでくださるでしょう。このように、例祭とは神様とその子どもである私たちが愛を分かち合う幸いな時間です。
この時間は、父なる神様が下さった多くの恵みのうち、三つを考えてみたいと思います。「幸いな日」というマンミン賛美には、このような歌詞があります。「こんな良い日集まって 御国のことば聞いて こんな良い日集まって 父の愛を体験」きょうがまさにこのような日になりますように。それで、「ハレルヤ。ハレルヤ」と賛美が知らず知らず出ますよう、主の御名によって祈ります。
[本論]
愛する聖徒の皆さん、父なる神様が下さった恵み、第一は罪を赦してくださった恵みです。
私たちは毎日十字架を見ながら、主に感謝しています。十字架の尊い血でなかったなら、私たちは自分の罪の代価を支払うために地獄に行かなければなりませんでした。どんなにぞっとすることでしょうか。
ところで、皆さんの中には、この十字架の犠牲がもっと尊く感じられる人がいるでしょう。2010年12月25日を覚えているでしょうか。それ以前だけでも、多くの人が主に顔をそむけて、みことばに背を向けました。情欲に従って、世の誘惑に負けて罪を犯しました。真理を知りながらも救われない罪、死に至る肉の行ないをことさらに犯しました。主をもう一度十字架にかけて、恥辱を与えました。
このことで救いの望みは断たれてしまったし、恐ろしい心でさばきを待つしかありませんでした。何よりもこれ以上天国を、また新しいエルサレムを望むことができないことに惨めさを感じました。
ところが、驚いたことに、主はこのような皆さんに再び血のついた御手を差し伸べてくださいました。多くの人が過去の罪を徹底的に悔い改めて、再び救いの門の中に入れたのです。もちろん、死に至る罪を犯した場合は悔い改めることができません。悔い改めの霊が臨まないからです。そうなのに、どうしてこの不可能なことが可能になったのでしょうか?
それは、御霊がとりなしてくださったからです。[ロ-マ8:26]に「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわらからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」とあります。また、[ヨハネ16:8]で、イエス様は「その方(すなわち、助け主聖霊)が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」と言われました。
この役割に従って、御霊は絶え間ない深いうめきによって、皆さんのためにとりなしてくださいました。もちろん、救われない罪を繰り返して犯したり、死に至る罪を犯して自分から救いの門の外に出て行ったりする場合は、御霊はそれ以上その心に宿られません。[第一テサロニケ5:19]に「御霊を消してはなりません。」とあるように、御霊が消されるからです。しかし、愛の父なる神様は牧者である私の心に絶えず働きかけられました。罪について、それによるさばきについて絶えず叫んで、悔い改めを促すようにされました。
父なる神様、主、聖霊様の心は同じです。ひとりも地獄に行かないように願っておられます。イエス様はイスカリオテ・ユダがすでにサタンに捕らわれたことを知っていながらも、最後まで機会を与えてくださいました。
私はこのような父なる神様と主の愛を信じて、祈りました。また、皆さんに向かって涙で訴えました。皆さんがご覧になったように、気力が抜けてふらふらの体で講壇に立つ日も多かったのです。皆さんが送った悔い改めの手紙を読みながら、悔い改めて立ち返れる恵みを与えてくださいと求めました。
感謝なことに、父なる神様はその祈りに背を向けられませんでした。2010年12月25日、心から悔い改めた人々に罪が赦される恵みを与えてくださいました。それだけでなく、その後も続けて、世を愛する心と肉の行ないを断ち切ることができる力と恵みを下さいました。
一つの例として、今年の送迎礼拝を覚えているでしょうか? 私は祈りの家で祈っている期間でした。礼拝の時、聖徒の皆さんと携帯で話しながら「牧者の城」を一緒に歌いました。この時、多くの人が罪を断ち切れる力と悪を捨てられる恵みをいただいて、強くされたと告白しました。
一つの例として、大学部のある兄弟はゲ-ム依存症から抜け出したと証ししました。また、多くの人が祝福の宴会と特別ダニエル徹夜祈祷会と礼拝を通して、罪と悪を捨てられるよう強くされました。再び救いの門の中に入ってきただけでなく、新しいエルサレムまで望めるようになりました。また、多くの聖徒が罪の隔ての壁を打ち壊すことによって、神の力によっていやされ、物質の祝福も受けています。どんなに感謝なことでしょうか。このような大いなる恵みを下さった父なる神様にすべての感謝と栄光をお帰しします。
もちろん、罪が赦される恵みは前にも何度も下さいました。特別な恵みの日を与えてくださり、自分ではとうてい抜け出ることのできない罪の泥沼から救い出してくださったことが、たった一度で終わったのではありません。
愛する聖徒の皆さん、これからは決して主のふところから離れてはいけません。主を再び十字架にかけることもしてはいけません。これがまことに恵みに報いる行ないなのです。マンミンの聖徒はみんなできます。父なる神様が今も絶えず恵みを与えておられるからです。
[イザヤ44:22]に「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。私に帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」とあります。このようにすばらしい父、主、聖霊様のふところに皆さんすべてが永遠にとどまりますよう、われらの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。
愛する聖徒の皆さん、父なる神様が施してくださった恵み、第二は、信仰を成長させてくださった恵みです。
小麦や大麦が実って、黄金の波になるのはなぜでしょうか? もちろん農夫が畑に種を蒔いて、一生懸命手入れをしたからでもありますが、実際、農夫は作物の背をひと手幅も伸ばすことができません。これは創造主の神だけがおできになることだからです。
「信仰の成長」も同じです。教会に通うからといって、自分の基準で善をたくさん行なって忠実に仕えるからといって、信仰がすくすく成長するのではありません。信仰がそんなに簡単に成長するのであれば、なぜ数十年間信仰生活をしても信仰が足踏みしている人がいるのでしょうか? また、長い歳月、自分なりに熱心に信仰生活をしていた人が突然移り変わって神様を離れることがどうしてあるのでしょうか? それだけ信仰が成長しにくいから、かえって後退が起こるのです。
このように、信仰の成長は父なる神様がさせてくださるものです。もちろん、ここで言う「信仰」とは「霊の信仰」のことです。霊の信仰は神様が上から下さる信仰です。救われて天国に至るようにするまことの信仰、答えを引き下ろす「生きている信仰」なのです。
これと比べられる「肉の信仰」とは何でしょうか? 「主よ。信じます!」とこのように告白はしますが、いざと言うと、みことばのとおりに生きる行ないは伴いませんし、答えを引き下ろすこともできない死んだ信仰です。この肉の信仰は、神様について、真理について、知識としてだけ知っている「知識的な信仰」とも言います。
感謝なことに、聖徒の皆さんはほとんど霊の信仰を持っています。それだけでなく、2010年のクリスマスに罪が赦される恵みを受けた後、この霊の信仰がすくすくと成長しました。特に去年の機関長教育を前後にして、信仰が急速に育ちました。
今年の送迎礼拝には、父なる神様がなさったテストに合格することによって、皆さんの信仰がどれだけ大きく成長したか自分で確認しました。皆さんの信仰が大いに成長したことを見せてくれる、もう一つの証拠があります。それは、私が何週間か教会を離れて祈りの家で祈っていたのに、それぞれの持ち場をよく守ってくれたということです。
信仰とはまさにこのようなものなのです。どんな環境、どんな状況に置かれても、また、牧者が見ていても見ていなくても、神のみことばのとおりに生きることです。
聖徒の皆さん、信仰は1パ-セント成長することも決してやさしいことではありません。ところが、多くの聖徒はわずか数か月、あるいは1、2年間で、数十パ-セントずつ信仰が成長しました。また、肉の信仰から霊の信仰に、さらには全く聖なるものとされる信仰の近くまで、まぶしい成長を遂げた方もたくさんいます。
これは決して人にできることではありません。父なる神様が霊的な水と太陽を絶えず供給してくださった結果なのです。特に去年5月、私の誕生日を起点に下さったオ-ロラの光は信仰の成長を促進させる役割をしました。「数十年間見られなかった自分の姿が今やっと見えます。」「自分の中にこんな悪があったのか、自分がこんなに義と枠の強い人だったのか、今になって悟りました。」多くの人がこのように、オ-ロラの光を通して自分を発見するようになったと告白しています。また、「こんなに楽に捨てられたのに、なぜ今まで捨てられなかったのだろうか」と後悔している人もたくさんいるでしょう。まことに感謝なことは、霊の信仰自体を持てなかった初心の聖徒たちが目を覚まして、教会から長く離れていた聖徒がたくさん戻ってきているのです。
このすべては、すばらしい父なる神様が「急速な霊の流れ」を下さったので可能なことでした。[出エジプト19:4後半節]に「あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。」とあります。これと同じように、皆さんは最近、父なる神様が施された恵みの急流に乗って「耕作」という荒野を楽に、速く通り過ぎています。神のかたちにすみやかに似せられているし、天国の新しいエルサレムを目指して走っています。
ところで、もしかして「私の信仰はあまり成長していないようだ」と感じている人がいるでしょうか? このような人も、今まで霊の流れに乗るために努力してきたのなら、少なくとも乾いた枝に水が吸い上げられて、枝が伸びてゆく気配が見えるでしょう。これからすくすく伸びていけばよいのです。気を落とす必要は少しもありません。
[ルカ18:8後半節]で、イエス様は「人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」と言われました。今がまさにそのような時です。このような世代に、霊の信仰、まことの信仰を下さり、主が来られる日を切に望むようにされた父なる神様にすべての感謝と栄光をお帰しします。
愛する聖徒の皆さん、父なる神様が与えてくださった恵み、第三は、まことの牧者を下さった恵みです。
私が祈りの家にいる間、[詩篇23篇]のメッセ-ジを聞いて、羊にとって羊飼いがどれほど大切な存在なのかを悟った人がたくさんいたようです。[詩篇23:1]「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」この頃、このように告白する聖徒がめっきり増えたのが感じられます。
父なる神様、主、聖霊様は私たちのまことの羊飼いです。私たちの羊飼いである神様が導かれるので、私たちは霊肉ともに糧と水を得ています。何よりもまことの安息の場所、すなわち、天国に向かって安らかに行くことができます。
[ヨハネ10:11-12]で「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。」とイエス様は言われました。
私は主のしもべの道を歩みながら、このみことばを胸に刻みに刻みました。ゆだねてくださった羊の群れを最後まで責任を負おうと祈りながら、努めてきました。この教会に、先に申し上げた二つの恵みを下さったこと、すなわち、罪を赦してくださり、信仰を成長させてくださったことがまさにその答えだと信じます。
父なる神様が私を主のしもべに召された後、私にはいつも多くの魂を救いたいという熱い望みがありました。そのため、私は祈りと断食で神様にすがりました。何としてでもそうできる道を、また、父なる神様のみこころを知りたかったからです。
すると、父なる神様は漠然としていた霊の世界を明らかに見せてくださいました。それだけでなく、この終わりの時のためにこの教会がしなければならないことを示してくださいました。それがまさに民族福音化と世界宣教、そして大聖殿建築です。それとともに、私の望みは次のようにはっきりしました。「聖徒の皆さんとともに、終わりの時、多くの魂を救って、大聖殿を建築した後、やがて新しいエルサレムに入ろう。」
しかし、この望みをかなえるために耐え忍ぶべき苦しみは決して軽いものではありませんでした。特に霊の急速な流れを下さった後は、聖徒の皆さんの過去の罪を一つ一つ知るようになって、「底知れぬ所の苦しみがこんなだろうか」と思ってみるほどの苦しみを感じました。何よりも、私が顔を知っている人たちが引き上げられないで、七年患難に落ちることを思うとき、また、将来、天国ではなく地獄にいる姿が思い描かれる時が一番つらかったです。
そのため、私は父なる神様に絶えずすがりました。また、罪と義とさばきについて絶えず叫びました。聖徒の皆さんすべてが霊の流れに乗るように、霊の知識を教えながら励ましました。父なる神様の霊的なみことばを絶えず教えました。多くの人が変えられることをいつも信仰で望んで、耐え忍びながら待ちました。
このような叫びと忍耐はむなしくありませんでした。多くの人が変えられました。救いに至る聖徒、さらには新しいエルサレムに入る聖徒を父なる神様にささげられるようになりました。これからもその数が日増しに増えるようになるから、どんなに感謝でしょうか。
何よりも今は多くの聖徒が牧者を信じて、何としてでも力になろうとしていますから、もっと励まされます。
今、私は皆さんのそのような心の香によってここに立っていることができます。気力を全部使い果たして、体を支えることができない状態でしたが、父なる神様の力が、皆さんのその愛が、私を支えてくれました。
これからしばらくしてカナン聖殿の建築が始まり、大きな驚くべき神の力で世界宣教を実現していくでしょう。父なる神様がこれからはたしてどんな働きを繰り広げてくださるでしょうか。
この教会をご自分でお立てになり、私と皆さんを牧者と羊として召された父なる神様、大いなるみこころと摂理を成し遂げていかれる父なる神様にすべての感謝と栄光をおささげします。
[結論]
愛する聖徒の皆さん、視聴者の皆さん、きょうは初穂の刈り入れ感謝主日を迎えて、三つの恵み、すなわち、罪を赦してくださった恵みと、信仰を成長させてくださった恵み、そして、まことの牧者を与えてくださった恵みについて考えてみました。
ところで、私たちに下さった最も大きな恵みは、父なる神様がどれほど大いなる愛を与えておられるのかを心から感じて、その愛のうちにいる子どもになったということです。本文[第一ヨハネ4:16]に「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」とあるとおりです。
明日から地域長、組長、区域長の教育があります。今まで下さった恵みに感謝する心と、ただ良いものだけを下さる「愛」に頼る心をもって、臨んでくださいますように。そうすれば、父なる神様は皆さんすべてに必ず驚くべき信仰の成長を下さるでしょう。後半期には皆さんの生活に霊肉ともさらに大きな恵みが望みますよう、恵み豊かな主の御名によって祝福して祈ります。
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