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主日礼拝
Title
十字架のことば(6) - なぜ、イエスは私たちの救い主となられるのか①
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Ⅰコリ 2:6-9
Date
2005-04-24
<コリント第一2:6-9 >
「しかし 私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
<序論>
愛する聖徒の皆さん
またアメリカ、カナダ、ホンジュラス、ペルー、アルゼンチン、ドイツ、フランス、ロシア、ベルギー、オランダ、そしてケニア、ウガンダ、コンゴをはじめアフリカ諸国と中国、日本、パキスタン、インドネシア、フィリピン、台湾、インド、モンゴル、エジプトなど、全世界と国内の2500余りの支教会の聖徒の皆様、支聖殿の聖徒の皆様、全世界でインターネットを通し、礼拝をささげているすべての聖徒の皆様、<日曜学校の子供の皆さん>、視聴者の皆様。今日は「十字架の道」六番目の時間です。
この間は神様が善悪の知識の木を造られた理由について、説明しました。神様は人に真の幸せをくださるために、善悪の知識の木を造っておかれました。人は不幸を体験してみなければ、幸せも感じられません。悲しみと苦しみをあじわって不幸を体験してみてこそ、真の幸せの価値を心から悟り、自分が幸せであることを心の奥から感謝するようになります。このように、相対性を体験して悟るために、神様は善悪の知識の木を造っておかれましたが、この善悪の知識の木はいのちの木と一緒にありました。神様は互いに相対性を持っている、二種類の木を一緒に置いて、アダムにそれぞれについて説明して下さいました。いのちの木は、永遠の命をあたえる果物ですが、善悪の知識の木は死をあたえる果物であることを知らせてくださいました。
死がどんな事なのか、死の苦しみがどんな事なのかを詳しく
説明して下さって、その苦しみにあわないように、善悪の知識の木を食べてはならない、とおっしゃいました。
しかし、神様の命令に聞き従うことは、アダムの自由意志に任せて、自ら選択できるようにされました。
罪と悪と死を経験してみなかったアダムは、神様が説明して下さった内容を心に留めずに、結局、サタンに惑わされて、善悪の知識の木を取って食べてしまいました。
ところで、ある人はこういう質問をします。
「アダムに罪がなかったなら、どうして罪を犯したのでしょうか?
アダムに悪があったので、善悪の知識の木を取って食べたのではありませんか?」
しかし、アダムに初めから悪があったから、善悪の知識の木の実を取って食べたのではありません。
初めにアダムが善悪の知識の木から取って食べたこと自体は、悪があったからではなく、悪を受け入れる自由意志があったからです。
この自由意志によって、神様に逆らってその実を取って食べるので悪が成り立ち、これによって悪が何かを知るようになりました。すなわち、「善」だけ知っていたアダムが、ついに悪いこと、肉的なことに対しても目が開けるようになったのです。
今日、人々が罪と悪に染まっていくことを見ても、アダムに悪が入ってきた過程が理解できます。
例えばよく人を叩く幼い子供を見ると、初めから人を叩く子供だったのではありません。もちろん原罪を持って生まれたので、罪の性質そのものはありますが、実際に叩くという、悪い習慣がつくまではそれを受け入れる過程が必要です。まず他人が叩くのを見て、自分もまねしてみます。
他の子供を叩くと、叩かれた子供が泣きます。そうすると、面白くなり、一度、二度と繰り返すようになります。
そのうちに、人を叩く行いが完全に身につき、習慣的に人を叩く子供になります。大人が酒やタバコを学ぶ時も同じです。初めての時は、その味がよくわかりませんが、繰り返して飲んだり、吸ったりすると、ますます味をしめていきます。続けて行っていくと、やめられなくなって、中毒になります。
悪口や嘘をよくつく人も同じで、よくかんしゃくを起こしたり憤ったりする人もすべて同じです。罪と悪を続けて自分の中に受け入れるから、自分のこととなり、深く植えられるようになります。
聖徒の皆様、人が蛇に惑わされて、善悪の知識の木を取って食べた結果はどうでしたか。
「必ず死ぬ。」と言われた神様の御ことばのように、死に到るようになりました。すなわち、霊が死んで神様との交わりが途絶えて、敵である悪魔・サタンの奴隷になってしまいました。
<ローマ6:16>に、「 あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。」とあります。この御ことばのように、アダムは罪の奴隷となって闇の支配者、敵である悪魔の奴隷になってしまいました。
この時アダムは、自分が持っていたすべての権勢も、敵である悪魔に譲り渡すようになりました。
<創世記1:28>に、「神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」とおっしゃいました。この御ことばのとおり、初めの人アダムには、万物を支配する権勢がありました。ところが、アダムが敵である悪魔の奴隷になったので、アダムが万物の支配者として持っていた、すべての権勢と栄光も、敵である悪魔に渡されたのです。
<ルカ4:6>でもこういう事実がわかります。 「また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、こう言った。『この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。』」とあります。
国々のいっさいの権力と栄光とは初めから、悪魔が持っていたものでなく、「私に任されているので、」 すなわち、誰かから渡されたと言っています。これは、アダムから渡されたということです。
このように万物を支配する権勢を譲り受けた悪魔は、アダムの犯罪以来、罪の奴隷になった人類を、ますます罪と悪に染まらせるようになります。
時が経つにつれ、人々の心は悪くなり、この世には罪と悪が満ちるようになりました。
このように罪と悪の中で生きていく人々に、敵である悪魔は病と貧困、災い、涙、悲しみなど苦しみをもたらします。そして結局は永遠な死である地獄へ導くのです。
愛する聖徒の皆さん、
それでは、人はどうすれば良いでしょうか。
一生敵である悪魔の奴隷となって、結局地獄に行かなければならないでしょうか?
もし、人類を地獄に行くようにほおっておかれるならば、全てのものをご存知である神様が、あえて人間を造られる必要がなかったはずです。
また、善悪の知識の木をおいて相対性を体験するようになさる理由もありません。
人を造られた神様の御心は、この地で相対性を体験して耕作されてから、永遠な天国に導かれることです。
ところが私たちが相対性を体験したと言っても、罪の奴隷になってしまった状態では、天国に入れません。
神様は最初に人間耕作をご計画される時から、アダムが善悪の知識の木の実を食べることをすでにご存知だったので、罪に陥った人類を救われる道も、初めからすべて備えておかれました。その道がまさに私たちの主イエス・キリストです。
愛する聖徒の皆さんは語られる御ことばを通して、救いの道であるイエス・キリストに対して(ついて)明らかに悟るようにお願いします。それで皆が主を迎えいれて天国に到るように主の御名で祈ります。
<本論>
愛する聖徒の皆さん、視聴者の皆様。
罪を犯して罪人となった人類は、どうすれば救われるのでしょうか。神様は全能な方で、何でもお出来になるから、罪人たちを救われるのも、無条件に私たちを赦してくださり、敵である悪魔を滅ぼされた後に、私たちを救って下されば良いでしょうか。しかし神様は愛の神様でありながら、同時に公義の神様でもあります。全てのことを霊界の法と秩序により、正確に行われる方です。罪人たちを赦されて救われることも、正確な公義の中で行わなければなりません。その公義の中で、人類を救うためには、必ずイエス様が十字架を背負って死ななければなりませんでした。
イエス様を私たちの罪の身代わりとならせたため、私たちが罪の赦しを得て、天国に行けるようにされました。
「罪から来る報酬は死です。」と言われた通り、イエス様が十字架を背負って死の刑罰を受けられたので、罪人たちの代価を払ってくださいました。
私たちがこの事実を信じて、イエス様を救い主として迎えいれれば、その信仰によって義と認められるのです。
尊い血潮のゆえに罪の赦しを得て、死の刑罰をまぬかれ、主を迎えいれて、神様の子供となった人々は、これ以上敵である悪魔がつかさどることができなくなります。
これからは、災いと試み、艱難の中で生きるのでなく、神様の子供として祝福の中で生きていけます。ところがこのような事実を信じない人々は、「なぜイエス・キリストを信じなければ救われないのですか?」と質問します。
世の中には多くの偉人がいて、多くの宗教があるのに、なぜイエス様だけが唯一の救い主であり、なぜキリスト教にだけ救いがあるのか、ということです。
しかし、私たちは明らかに悟らなければなりません。
<使徒の働き4:12>に、「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」とあります。イエス様以外には、だれも救い主になれないし、イエス様を救い主として迎えいれないと、だれも救われないことです。
それなら、なぜイエス様だけが私たちの救い主になられるのでしょうか。それは霊界の法則のためです。
この世にも世の中の法律があるように、霊の世界にも霊の法則があります。人が死の道を歩むのも、罪の赦しを得て救われるのも、皆がこの霊界の法則によるものです。
アダムが罪を犯した後、人類が死の道に行くようになったのも、「罪から来る報酬は死です。」という霊界の法則のためでした。罪を犯したので敵である悪魔・サタンの奴隷になったのも、「あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。」という霊界の法則によるものでした。
同じように、人が死という刑罰をまぬかれて救われるのも、霊界の法則に従わなければなりません。それなら罪人である人類は、どんな霊界の法則により、罪の赦しを得て救われるのでしょうか。私たちは聖書でその答えが得られます。
聖書を見ると、「土地の買い戻しの法則」というものがあります。<レビ25:23 -25>に、「地は買い戻しの権利を放棄して、売ってはならない。地はわたしのものであるから。あなたがたはわたしのもとに居留している異国人である。あなたがたの所有するどの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。 もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」とあります。
これはイスラエルの土地の売買に関する法則ですが、単純に肉的な土地に関する法則ではなく、霊的には、土地のちりで造られた人にも適用される霊界の法則です。神様はイスラエルの民に、それぞれの部族と家族に従ってカナンの地を分割しました。
しかし根本的にすべての土地は、神様のものですから、土地が分割されたからと言って、思いのままに売ることはできません。
もし、貧しくて土地を売るようになったら、その親類が来て、兄弟の代わりにそれを買い戻さなければならない、と言われました。
一般的に世の中では,土地の持ち主が一度売ったら、その後は買った人の心にかかっています。買った人が金を受け取って戻せば幸いですが、お金を払っても、買い戻しが出来ないなら、仕方がありません。
ところがイスラエルの法律では、土地を買った人が買い戻しを願わなくても、売った人の親類がきて、土地の買い戻しを求めると、必ずその土地を返さなければならないのです。
このように、土地を買い戻す法則の中に、罪人となった人類が救われる道が示されています。
神様の所有である土地を売り買いする法則は、土地のちりで造られた人にも、直接かかる法則であるからです。
<創世記3:19>を見ると、「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」とおっしゃった神様の御ことばがあります。
そして<創世記3:23>には、「そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。」とあります。また<マタイ13章>や<ルカ8章>を見ると、イエス様は人の心を畑、すなわち土地に例えて説明しておられます。
このように土地のちりで造られた人が、敵の悪魔の手に渡されて、また、神様に取り戻される法則と、売った土地をまた買い戻す法則とは、直接関連があります。イスラエルのすべての土地が神様の所有であるように、アダムと彼が持っていた権勢も、また神様に属したもので永遠に売ることはできないように、定めておかれたことです。
これは神様に属したアダムが罪を犯して、敵の悪魔に渡される時、神様と敵の悪魔の間に契約された法則です。アダムがたとえ罪を犯して、敵の悪魔の奴隷となり、アダムに対するすべての権勢を譲り渡したとしても、将来土地の買い戻しの法則に相応しい資格をそろえた人が現れれば、敵の悪魔はその権勢をまた戻さなければならない、ということです。
それならここで必要なのは、罪の報いで売れたアダムの命を贖うために、ふさわしい資格をそろえた人です。
その人が、人類の救い主になることです。
真の子供を得るために、人間耕作を計画された神様は、すでにアダムを贖える救い主に対しても、計画をたてておかれました。アダムが善悪の知識の木の実を取ってたべることもご存知であって、救い主としてふさわしい人が必要なこともご存知であったので、その条件に適う人を備えておかれたのです。
その方がまさに救い主のイエス・キリストであります。
イエス様は土地の買い戻しの法則により、人類を救うために相応しい条件をそろえた唯一な方です。
それなら土地の買い戻しの法則による、救い主の資格の条件とは何でしょうか。
ここには四つの条件があります。今からその条件を一つ一つ調べていきましょう
救い主になられる第一の条件は、「人でなければならない。」ということです。先に、土地の買い戻しの法則で、<レビ25:25>に、「もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」とありました。
土地を売った時、取り戻せる人の条件は、「親類」でなければなりません。罪の報いで敵である悪魔・サタンに売れた人を贖う時も、必ずアダムの新類でなければなりません。
アダムの親類ということは、アダムのように、霊とたましいと肉をすべて持っている存在をいいます。
天使や獣が人の罪の報いを贖うことはできません。
天使は霊はあるけれど肉がなく、獣は魂と肉はあるけれど、霊がないので、霊・魂・肉を持っている人の親類になれないのです。
それで<コリント第一15:21- 22>にも、「というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」と言われました。
このように、人の罪の報いを代わりに払うためには、人でなければならないので、救い主であるイエス様も人でなければなりませんでした。ところが、イエス様は神様の御子であり、創造主の神様から分離されて、神としての能力と権勢と栄光を持った方であります。
それなら、こういうイエス様が、どうして人の親類になられるのでしょうか。 <ヨハネ1:14前半>にイエス様に対して、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」とあり、 また、<ヨハネ1:1後半>には、「ことばは神であった」とありました。ことばは人となった、つまり、ことばである神様が肉と骨を持った人のからだをまとって、この地に来られた、という意味です。
イエス様は人の罪を贖うために、人のからだからお生まれになり、人のように成長の過程も経験されました。
人だったのでおやすみになったり、飢えと渇き、喜びと悲しみを感じたりもしました。また、ムチに打たれ十字架にかけられる時は、血も流されて苦しみも感じられました。
歴史的にもイエス様が人となって、この地に来られたという確実な証があります。それは、まさにイエス様の誕生を起点として、世界の歴史が大きく二つに分けられるからです。
今日、世界史の年代は、大きくBCとADで分けられます。「BC」とは、フBefore Christ、イエス様が生まれる前のことをいいます。「AD」とは、(Anno Domini)ですが、これは「主の年代」という意味で、イエス様誕生以後の歴史をいいます。今が西暦2005年というのは、イエス様が人となって、この地にお生まれになってから、2005年になったという意味です。このように歴史的な基準そのものが、イエス様の誕生であることだけ見ても、イエス様は明らかに人として、この地に来られたことがわかります。イエス様は神様の御子であるけれど、人となってこられたので、救い主の第一の条件を充足されるのです。
第二番目で、人類の救い主になられる条件は、「アダムの子孫であってはならない」ということです。アダムの子孫は皆、罪人です。自分も罪人でありながら、他の人の罪を代わりに負ってあげることはできません。たとえば、ある兄弟がありました。弟にたくさんの借金があって、監獄に行くようにありました。その時、兄が代わりに借金を返せば、弟は監獄に行かなくてもよいです。しかし、兄も弟のように、借金だらけで監獄に行きそうな立場ならば、弟の借金を返す能力がありません。
土地の買い戻しの法則によって、土地を売った人の親類が土地を戻そうとしても、親類も貧しくて自分の土地も売った状態ならば、他人の土地を買い戻してあげる立場ではありません。
同じように、人の罪を贖う救い主は、人でなければならないですが、それと同時に、罪人であったらいけません。
ところが、アダムの子孫は皆が原罪を持った罪人であり、自分が罪によって死ぬべきな存在なので、他の人の罪を贖うことはできません。人は誰でもアダムの子孫であり、罪人であります。
世界のどんな国、どんな民族でも、おじいさんのおじいさんのおじいさん、このように先祖をずっとさかのぼって行くと、結局アダムという、ひとりの始祖につながります。
ですから人の中では誰も救い主になる第二番目の条件を充足させることができません。
ところが、世の中でただお一人、人としてこられた神様の一人子イエスキリストだけは、人でありながらも、アダムの子孫ではないので、救い主の条件に相応しいです。
では、なぜアダムの子孫は、皆が罪人だということでしょうか?
また、イエス様はどのようにして、人でありながらもアダムの子孫でないのでしょうか?
これについては、次の時間に続いて語ります。
<結論>
愛する聖徒の皆さん、視聴者の皆様。
<黙示録5:1- 2>を見ると、「また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。」とあります。
ここで「御座にすわっておられる方の右の手に巻き物」とは、土地の買い戻しの法則に基づき、敵である悪魔・サタンと神様の間に結ばれた、契約書のような本です。イスラエルでは土地売買がなされると、契約条件を記録した契約書を作ってから、買う人と売る人が印鑑を押して封印します。
その契約書の中の一枚を、聖殿の倉庫に保管するようになり、親類がきて、土地を買い戻す時には、この契約書を持って行って、封印をとって破ってしまいます。
同じように、罪によって売れた人類を贖って、その契約書の封印をとるためには、アダムの親類として、封印をとるのに相応しい資格を持った人がいるべきです。
ところが続く<3 -4節>には、「しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。」とあります。天には霊で造られた天使だけであり、地には獣と罪人だけであり、地の下には敵である悪魔・サタン、悪い霊どもがあります。
罪人たちを救ってくれる資格を持った人がいないことを見て、ヨハネが激しく泣いていたのです。
この時、天国の長老のひとりがきて、「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」と言いました。「ユダ族から出たしし、ダビデの根」とは、私たちのイエス様を意味します。
イエス様は、土地の買い戻しの法則に基づき、罪人となった人類を贖う資格があるという事実を言っているのです。
愛する聖徒の皆さんと視聴者の皆様は、今日の御ことばとこれからの御ことばを通し、「なぜイエス・キリストだけ私たちの救い主であるのか」を確実に悟られるように願います。
漠然と「主よ。信じます」と告白するのではなく、真にイエス様だけが救い主の資格をそろえられたことを、明らかに悟って信じる時、本当に霊的な信仰が持てます。
主の御名に頼り、力のある信仰生活ができるようになります。このように救い主イエス・キリストに対して悟り、心にはっきり信じるので、皆が救われた神様の子供として、天国に至るように、主の御名で祈ります。
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