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Title
   肉の欠如 (5)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   ピリ 4:8-9
Date
   2011-11-13


[本文]

[ピリピ4:8-9]
「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」


[序論]

愛する聖徒の皆さん、「肉の欠如」五回目です。
御霊の歩みに入って、全く聖なるものとされたい聖徒の皆さんが完全になるために満たすべき、欠けている分野が発見できるように、数回にかけて肉の欠如についてメッセージを伝えています。
人が見て聞いて学んだ知識や感じ、経験、実際にやってみる体験などが欠けているとき、肉の欠場が生じることもあると言いました。日常的な教養の分野をはじめ、他人の心と感情についての共感能力、善と悪の分別力、真理を行える意志力と自制力、行動力などが欠けているのです
それで、前回は日常生活の中で簡単に見られる欠如した姿を例に挙げて説明しました。情緒と思考の欠如、話し方の欠如、態度と行動方式の欠如など、いろいろな分野から欠如が発見できます。
前回に続いてきょうも、肉の欠如について具体的な例を挙げてみましょう。座る姿、歩き振りなどがきちんとしないで乱れていること、どんどん音を立てて歩いたり、ずるずるひきずるように歩くこと、ドアや引き出しを閉めるとき大きい音を立てたり、足でけって閉めることも主の花嫁として完全な姿ではありません。
物を大切に使わなくて、乱暴に使ってすぐ壊してしまうこと、落ち着いて行動しないですぐぶつかったり転ぶこと、ドアをあけて閉めるとき、やかましい音を立てて人をびっくりさせたり、開けっ放しにしておくこと、貧乏ゆすりをしたり、爪をかむこと、こういう習慣も直すほうがもっと恵み深いでしょう。
時と場所にふさわしい身支度も備えなければなりません。[第一テモテ2:9-10]に「同じように 女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。」とあります。
これは、必ずしも女性だけでなく、すべての聖徒に当たるみことばです。高い服、新しい服を着なさいという意味ではありません。神の子どもらしく、つつましい身なりで、慎み深く身を飾りなさいという意味です。お風呂に入らなくてにおいがしたり、汚いことも、当然恥ずかしいことですが、香水や化粧品のにおいがあまりにもきついのも、他の人に失礼なことです。
人が食事をする場所からも、いろいろな肉の欠如が発見できます。小さい時から食事のマナーをきちんと学べば、おとなになっても苦労しないのに、習慣になっていなかったら、おとなになって直そうとしてもやさしくありません。
食べ物が口の周りについていること、テーブルや服にこぼすこと、自分のお皿であっても、あまりにも汚く食べて、ほかの人が見て恥ずかしいくらいなら、これも完全な姿とは言えないでしょう。
食べ物をほおばって話したり笑ったりして、口の中のものが外に飛ぶこと、何人かと一緒に食事をするとき、相手の食べる速さに合わせないで、ひとりであまりにも早く食べたり遅かったりすること、一緒に食べるように出されたおかずを自分の食べた物がついているスプーンですくったり、口に合うおかずがあるからとそれだけを食べること、
きちんとした服装で行くべきレストランで、靴を脱いではだしのままで食事すること、目上の人と食事をしていて、急用があるからと言って、了解も求めないで先に席をはずすこと、こういうことも全部欠如です。
目上の人とのマナーについて話が出たので、父なる神との関係についても皆さんがもう一度顧みますように。礼拝は、使徒信条から始まって祝祷や主の祈りまで、全体を大いなる神にささげることです。数多くの人の中に座っているので、礼拝のとき、各自の行動や心があまり目立たないように感じるかもしれません。
ところが、神は炎のような御目で、いくらたくさんの人がいても、ひとりひとりをご覧になり、人それぞれの心の香をお受けになります。神が皆さんを見守っておられるのに、皆さんが礼拝に遅刻したり、主の祈りが終わる前に出て行ったりすることができるでしょうか?
早く食堂に行って並ばなければ、長く待たされるので、または、もっと混む前に出て行って、帰りの教会バスの席を取らなければならないので、「神様、申し訳ありません」と言って出て行けるでしょうか?
それよりは、神を恐れる心のほうが大切ではありませんか? たぶん堂会長が見ているとしても、申し訳なくてそうはできないでしょう。礼拝時間に居眠りしたり雑念にふけること、隣の人と雑談したり何かを食べることも、同じように神の御前に申し訳ないことです。どんな尊い人との面会よりもさらに神を恐れて、礼拝を尊く思うようにお願いします。

 
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