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Title
勉強がよくできる秘訣 (4)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
ヤコ 3:17-18, 箴9:10
Date
2011-02-27
[本文]
[ヤコブ3:17-18]
「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」
[箴言9:10]
「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」
[序論]
愛する聖徒の皆さん、「勉強がよくできる秘訣」四回目です。前回、勉強がよくできるには第一、適切に良いIOと、第二、良い環境が必要だと言いました。
ところが、神様を信じる皆さんにとって、この条件は絶対的なものではありません。勉強ができるため必要な条件の一部にすぎないのです。この説教をする理由は、肉的な条件は少し欠けていても、信仰によって勉強ができる秘訣を伝えるためです。
私は信仰をもって祈りました。「父なる神様、子どもたちの勉強ができる方法があるはずです。秘訣を教えてください。」このように祈って答えられた内容が、まさに「勉強がよくできる秘訣」です。神様はこの秘訣を教えて、とても詳しいところまで説明してくださったのです。世の中で皆さんを一番よく知っている方は誰でしょうか? その方は皆さんを造られた神様です。
このメッセージは人間、すなわち、皆さんひとりひとりを誰よりもよく知っておられる神様が下さった処方です。これに込められている効能を信じて一生懸命に行えば、自分の力ではできないこともできるようになります。
きょうは、神様によって強くされて環境を支配した人々を紹介した後、勉強がよくできるための第三の条件を伝えます。
[本論]
マンミンの子どもと聖徒の皆さん、前回、勉強がよくできるための条件の第二、良い環境について語りました。環境が良ければ勉強ができるのに役立ちますが、環境が少し悪くても、それを支配してしまえばよいのです。
皆さんが勉強できないように妨げるのは、環境ではありません。肉の心、すなわち、肉の環境に従わせて、恨んだりつぶやいたりして、信仰のないことを言わせる肉の心が、皆さんの足を引っ張るのです。信仰によって神様に頼れば、「劣悪な環境」という険しい波も、いくらでも乗り越えられます。または、皆さんがその波を利用して、もっと遠く、もっと高く飛び上がれます。
現在、国連事務総長のパン・ギムンさんも「難しい環境」という波を逆に利用して、高く飛び上がった方です。彼は朝鮮戦争のすぐ後、小学校に入りました。壊された学校の代わりに張ったテントで、ろくな机や椅子もなく勉強しました。その当時の彼は、戦争が荒していった本当に貧しい国の少年にすぎませんでした。冷戦体制で駐屯していたアメリカ軍につきまとって、チョコレートをもらって食べる子どもでした。
彼はこのような暗い環境で育ちましたが、貧しい韓国を助けに来た外国人を見ながら、もっと大きい世界への好奇心を持ちました。英語の勉強がしたいという熱い望みをいだいたのです。しかし、当時はテキストもほとんどありませんでした。このような劣悪な環境が自分で勉強する方法を探るようにさせて、そのおかげで彼は英語を早く身につけることができました。
その結果、田舎の高校生としては難しい、アメリカ研修の機会を得たこともありました。アメリカに行った彼はケネディ大統領にまで会いました。「あなたの夢は何ですか」と聞くケネディに、彼は「外交官です」と答えました。この短い出会いは彼の夢をかなえる推進力になりました。
また、彼はどこの家も暮らしに困っていたその当時、長男として生まれ、兄弟が一緒にいる部屋で勉強しなければなりませんでした。親が忙しい時は薪を割ったり、豚を飼ったりするなど家事を手伝って、弟と妹の世話もしながら勉強しなければなりませんでした。しかし、彼はこんな状況で少しも不平を言わないで、苦労している親のことを思って、耐え忍んだのです。
劣悪な環境をものともしないで一生懸命に勉強した結果、彼はソウル大学の外交学科に堂々と入学しました。初めは、田舎出身ということから、都会の豊かで洗練された学生の前では気後れしたりもしました。しかし、彼はこのようなことを乗り越えて、人よりもっと勉強して、努力する人として認められました。このように困難な時の経験は、かえってその状況を乗り越える知恵と強いリーダーシップを育てるよい滋養分になりました。劣悪な環境で夢を育ててきた彼の履歴は、謙遜と努力という資質を備える元になりました。
外交官として働きながら出会った多くの人は、いつもへりくだって熱心に働く彼に、喜んで助け手になってくれました。結局、彼は国連事務総長の選挙で、たった一票の反対もなく、当選しました。国連から援助されていた貧しい国の少年が、世界の平和に寄与して、困っている子どもたちを助ける人になったのです。
皆さんもこのようにできます。ひょっとして困難な環境で勉強しているなら、「これは私をもっと深く大きい器にする良い環境だ」と告白してみてください。そして、最善を尽くせば、神がその告白どおりにしてくださるでしょう。神様は公義に従って人間の生死禍福をつかさどられる方です。公義にふさわしく一生懸命に努力した人には、必ずその実を下さいます。神様を信じない人にもこうされるのに、まして、神様を認める皆さんには、どれほど大きい実を下さるでしょうか。
聖徒の皆さん、子どもの皆さん、聖書を読めば、このように正しい神様を証しする多くの証人に会えます。昔の信仰の人々のうち、良い環境にだけいた人はいないと言ってもよいでしょう。神様は人としては勝ちにくい悩みの炉の中から、神の人を選ばれました。そして、ただ神の力によってできることを、彼らの人生の中で現されました。
ヨセフは代表的な例です。彼は子どもの時にお母さんと死に別れ、17歳でお父さんとも生き別れました。異母兄弟によって殺されそうになったり、異国に売られたりするなど、ひどい目にもあいました。その後には奴隷として、囚人として、どん底の生活を転々としました。
しかし、後で見たら、彼の険しい人生は失敗ではなく、短い期間にその国の統治者になる教育を受ける過程でした。神様が下さった幼いときの夢、すなわち、太陽と月と十一の星が自分を伏し拝んでいる夢が現実になる過程だったのです。
ヨセフが普通の人だったら、すでに気を落としてあきらめたはずのこんな険しい時期をよく勝ち抜いて、国の統治者になれた理由は何でしょうか? 彼は胸に神様が下さった夢をいだいて、そばにおられる神様を認めたからです。つまり、ヨセフはどんな環境におかれても、神様がともにおられることを信じました。自分の夢をかなえてくださることも信じたのです。
皆さんもヨセフのように、毎日の生活の中で「神様、私とともにいてください。私を強くして、導いてください」といつも祈りますように。時には困難な状況に置かれても、「私のそばには父なる神様がおられる」と元気を出しますように。
信仰の目で見ると、劣悪で欠けたところの多い環境は、神の栄光を現す人に鍛える祝福の訓練であるだけです。[ヘブル11:33-34]に、これを体験した多くの証人について、次のようにあります。「彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。」このように信仰の力を体験した証人を紹介した後、[38節]に「この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。」と結論を下します。
聖徒の皆さんも、この世、すなわち、どんな環境も、皆さんにどうすることもできない、信仰の人になりますように。神の力ではできないことはないと証しして、大いに栄光を現しますよう、主の御名によって祈ります。
愛するマンミンの子どもの皆さん、これからはどんな環境でも乗り越えようという覚悟で勉強に臨むと信じます。ところが、いざ机の前に座って本を開くとなると、勉強に集中できたでしょうか? うまずたゆまず勉強してきた人なら集中できるでしょうが、これからやろうという人には、思ったようにいかないこともあります。座って10分も経たなかったのに、お尻がむずむずします。やたらに机の上にあるものをいじったりします。コンピュータに手が伸びて、結局、しようとしていた勉強は後にして、ゲームに没頭します。もちろん、皆さんはほとんど、今はそうしないでしょう。
または、勉強しているふりはしていても、頭の中は全く他の思いで一杯です。「明日、友だちと遊びに行くことにしたけど、何を着ていこうか? どこで会おうか?」という思いが次々と浮かびます。なぜでしょうか? 集中力が足りないからです。
勉強がよくできるための条件、第三は、雑念なく勉強に集中する力です。
いくら机の前に長く座っていても、集中しなければ勉強の成果は出ません。雑念にふけりながらする勉強は、まるで矢はたくさん射ているが、的にぜんぜん当たっていないように、むなしいだけです。ですから、これからは一生懸命にしようと決心したら、雑念なく集中して勉強する訓練を積まなければなりません。
これは子どもだけでなく、おとなにとっても必要です。特に、祈って礼拝するとき、雑念なく集中することがとても大切です。雑念にふけりながら同じことを繰り返して祈ったり、居眠りしてしまうなら、いくら毎日聖殿に来て祈るとしても、信仰の成長も、答えも遅くなります。神のみことばを聞くべき時間に、雑念にふけっていれば、神がその礼拝をお受けになれません。そうすると、毎日、または毎週投資するその多くの時間がどれほど無駄でしょうか。また、みことばの武装であれ、会社の仕事であれ、一日で終えることも、雑念にとらわれていれば、二日か三日もかかりきりでいなければなりません。どれほど効率が悪いでしょうか。ですから、まずこの雑念から捨てなければなりません。
しかし、経験した人はわかるでしょうが、雑念を払おうとすれば、もっと湧いてきます。それでは、目に見えないこの雑念をどう払いのけることができるでしょうか? 結論から言うと、雑念の元が何か把握して、取り除かなければなりません。
まず、雑念がなぜ湧くのか調べてみましょう。「雑念」とは、簡単に言うと、いろいろなつまらない思いです。皆さんが勉強するとき、いろいろと考えるでしょう? この中で勉強にまったく役に立たない、かえって妨げになるつまらない思いが、まさに雑念です。
勉強する皆さんを苦しめる雑念には何があるでしょうか? おもに楽しいゲームやかっこいい芸能人、異性の友だちなど、世のものが雑念として湧いて悩むでしょう。ところが、皆さんのほとんどは、世を愛さないことが神のみこころだと学んでよく知っています。
[第一ヨハネ2:15-16]に「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」とあります。それで、世のものを思わないように努力するでしょう。
ところが、なぜしきりに湧くのでしょうか? 見て聞いた世のものが、感じとともに既に記憶装置に入力されてしまったからです。理解を助けるために、少し「思い」について説明いたします。
人の脳には記憶装置があります。生まれて育ちながら見て聞いたものが、感じとともにこの記憶装置に知識として入力されます。この知識が再生されるものが「思い」です。つまり、記憶装置に知識がある限り、その知識とかかわる何かに接すれば、それが思いとして再生されます。
コンピュータにたとえてみましょう。皆さんがインターネットのサイトで「りんご」という単語を検索すれば、りんごにかかわるあらゆる知識が出てきます。私たちの脳の記憶装置も、これと似ています。皆さんが偶然にりんごを見たとき、急にりんごとかかわる記憶が浮かんだことがあるでしょう。
ところが、記憶装置にあるものが入力されるとき、実は何を見て聞いたかよりは、それに接したとき、どんな感じで受け入れたかが大きい影響を与えます。
この続きは次回伝えます。
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