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メッセージ
Title
心 - 祈りの供え物献身
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Ⅰサム 26:28
Date
2013-05-26
[本文]
[第一サムエル26:28]
「ハンナは言った。『おお、祭司さま。あなたは生きておられます。祭司さま。私はかつて、ここのあなたのそばに立って、主に祈った女でございます。この子のために、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。』こうして彼らはそこで主を礼拝した。」
[序論]
愛する聖徒の皆さん、全世界と全国の1万余りの支教会の聖徒の皆さん、支聖殿の聖徒の皆さん、全世界でインターネットで礼拝をささげているすべての聖徒の皆さん、GCN放送の視聴者の皆さん、きょうは祈りの供え物の献身礼拝としてささげます。2013年祈りの供え物献身礼拝をささげられるように祝福してくださった父なる神様に、すべての感謝と栄光をお帰しします。神の国のために、教会と牧者と聖徒のために、絶えず祈ってこられた献身者の皆さんにも感謝します。
愛する献身者の皆さん、同じように朝を迎えるふたりがいます。ひとりは重い体を起こしながら「ああ、きょうも同じ日常の繰り返しだな」と思って、つらそうに一日を始めます。ところが、もうひとりは寝床から身を起こしてすぐ、新しい日が始まったことに感謝します。「父なる神様、きょうも私の一日をお父様にゆだねます」と告白して朝を迎えるのです。
このように誰にでも来る朝ですが、生き方の中心をどこに置いているかによって、各人に与えられた一日は違ってきます。一日が終わる瞬間まで、人生の中心が父なる神様に向かっているなら、同じ環境であっても、毎日意味ある生き方をするのが見られます。
献身者の皆さんも、祈りの供え物として、毎日、同じ時間、同じ場所で主を呼んで祈っています。それなら、皆さんそれぞれの心をどれほど父なる神様の御前にささげているでしょうか? 祈りの供え物の務めを受けた者として、毎日、心からの祈りをささげているでしょうか? この時間、父なる神様が皆さんに望んでおられる心はどんなものなのか、三つお話しいたします。きょうのメッセージを聞いて、父なる神様が皆さんの祈りを喜んでかがれる心に変えられますよう、主の御名によって祈ります。
[本論]
愛する献身者の皆さん、父なる神様がまことに望んでおられる心は、第一に、移り変わらない心です。
この頃、多くの聖徒が信仰の岩の上に立つために、移り変わらない心、この一つだけのためにも激しく霊的な戦いをしているのが見られます。慎んで口を守り、軽々しく話をしないとか、自分が決定したことを勝手に変えないために気をつけて、また、心に留めています。
まして父なる神様にささげられている祈りの供え物なら、どうでしょうか? さらにきよくきれいに、傷のない供え物として父なる神様が「まことの供え物だ」と認めてくださるべきではないでしょうか? 初め祈りの供え物の使命をいただいて、ひざまずいて祈った時の皆さんの心を思い出してみてください。「父なる神様の国のための使命、栄えある幸いで崇高な使命、完全に果たします」と涙で告白して、心を尽くして主を呼んでいた皆さんの祈りを考えてみてください。
今も変わらずにひざまずいて、その時のような心からの祈りをささげているでしょうか? また、祈りの供え物として、満たすべき祈りの時間をたがえず守り行っているでしょうか?
ところで、この時間でさえ簡単にたがえて、そのままにしてしまう場合があるので、父なる神様は何度もこのことを指摘してくださいました。以前の姿と違って、緩んだ心で祈りの時間に遅れるとか、私的なことで欠席を一、二回します。時には申し訳なく思って、満たせなかった祈りの時間を満たして帰る時もありますが、後には申し訳ない心も、恥ずかしい心も、すぐなくなってしまいます。また、個人的に答えられようと定めた祈りの時間はまことを尽くしてささげますが、神の国と神の働きのために定めた時間は軽く思います。これは父なる神様の御前にどんなに恥ずかしいことでしょうか。
愛する献身者の皆さん、祈りの供え物は神様の御前に自分を完全にささげた供え物です。祈りの時間も、傷なく父なる神様との約束を守らなければなりません。もちろん「私は持ち場を変わらず守りました」「私は父なる神様と約束した祈りの量を満たしました」と堂々と告白できる人もいるでしょう。それなら、10年、20年、数多くの歳月の間、父なる神様に積んできた祈りをどれだけ自分に適用して、行っているでしょうか?
たとえば「悪い感情を捨てます」「主人に愛をもって仕えます」「善なる口になります」「こういうふうに変えられます」という祈りを数えきれないほどしました。しかし、口先では神様の御前に多くのことを約束しましたが、いざというとその約束を守る人は多くないのが見られます。しかも自分が祈りでどのような約束をしたのか覚えていないなら、これは神様を侮ることなのです。
皆さんが心を尽くして祈ったなら、変わらずその祈りの内容を守ろうと努力したでしょう。今頃は変化の実も急速に結んでいるでしょう。しかし、変えられる気配は少しも見えず、相変わらず同じ祈祷課題だけを繰り返しているなら、父なる神様が皆さんの祈りにどうして答えてくださることができるでしょうか。
本文にある「ハンナ」を通して、移り変わらない心とはまことにどんなものなのか悟ってみますように。父なる神様はハンナの切なる祈りを聞かれて、息子をみごもるようにしてくださいました。その息子がまさに預言者サムエルです。あれほど願っていた子どもを胸に抱いたとき、ハンナの心はどうだったでしょうか? あまりにもかわいくて、その喜びを抑えがたかったでしょう。
それなら、サムエルをささげるとき、彼女の心は揺れ動いたでしょうか?「父なる神様、まだこの母の手が必要な時です。もうちょっとだけ時間を置いてから、後で子どもをささげます」と言ったでしょうか? でなければ「あの時は私の信仰が足りなかったようです。ですから祈りは聞かなかったことにしてください」と祈ったでしょうか?
本文[第一サムエル1:28前半節]に「それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」とあり、少しもためらうことなく神様の御前に誓願を守りました。かえって自分の祈りに答えてくださった神様をほめたたえて拝んだのが見られます。このように移り変わらずに誓願を守ったので、父なる神様はハンナに三人の息子とふたりの娘を産む祝福を下さいました。
皆さんも、このようなハンナのように移り変わらない心からの祈りをささげるなら、神の国と教会と牧者にとってさらに大きな力と能力になれます。初め使命を受けた時に持っていた心の覚悟と決心を変えないで、主が来られる日までさらに昇華させていきますように。そのように移り変わらない心をもって祈る皆さんになりますように。
愛する献身者の皆さん、父なる神様がまことに望んでおられる心は、第二に、妥協しない心です。
妥協という言葉を聞いたら、初心の者が弱い信仰のゆえ世と妥協することがまず先に思い浮かびます。しかし、信仰が成長していく過程においても、それぞれの人が経験してきた環境と信仰生活の過程によって、いろいろな分野で妥協する姿が現われます。
この時間、献身者の皆さんにお話ししする妥協の分野は、真理のみことばを「自分自身」に合わせて、すべての状況を見る姿です。もっと具体的に言いますと、「父なる神様の国のためだ」と言って、自分の好きなように妥協点を探すことです。祈りの供え物はもっぱら祈りの奉仕に励まなければならない使命を持っています。ところで、この使命をもって、自分の利益に従って利用する場合が見られます。
例を挙げてみます。それぞれ家庭でも、自分に任された責任と義務があります。時には全家を通じて忠実であることが手に負えない時もあります。そうなると、もっと気を配れなかったため、夫や子どもからあれこれと不平の混じった声を聞く時がたまにあるかもしれません。ところが、そのたびに「私は祈りの供え物だから、誰よりも祈りをたくさん積まなければならないから、余裕がなかった」と言い訳をします。かといって、祈りを火のように聖霊に満たされてささげたのでもありませんでした。かえって祈りの時間を満たしていないのに、自分の欠けているところを祈りの供え物という使命で装っておおってしまいます。
もう一つの例を挙げてみましょう。祈りの供え物は父なる神様が特別に他の機関と分離させて、別に置くようにされました。そのため、教会内で独立した機関として活動しています。しかし、時々、自分が属した教区や宣教会も顧みなければならないことが起こります。それなのに「父なる神様の国のために祈る使命が優先だ」「私は祈りだけ主力として、心を傾けなければならない」と言って、周りのことを疎かにして、自分では当たり前と思います。
たとえ定めの祈りのためそこに一緒にいられないとしても、代わりにその集まりのために祈ればよいのです。しかし、残念に思う心も、済まない心もないまま、使命を先立たせて、自分の選択を正当化するなら、どうして全世界を心にいだいて祈る祈りの供え物だと言えるでしょうか。
父なる神様が皆さんに、もっぱら祈りの奉仕に励みなさいと言われたからといって、訪問、伝道、奉仕のような神の働きを絶対してはいけないと禁じられたのではありません。能力を積んで、祈りの使命を十分果たしても、多くの働きができるなら、もっと大きな報いを積むことができるでしょう。
愛する献身者の皆さん、[箴言16:2]に「人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。」とあるように、 皆さんの行いがことごとくふさわしいと思うかもしれません。しかし、まずは私たちのすべての心をご覧になる父なる神様の御前にふさわしいかを調べてみなければなりません。すべてにおいて父なる神様のみこころを優先し、「はたしてどちらが善なのか。真理なのか」と探り窮めながら祈っていかなければなりません。
そうするとき、自分の立場と自分の意思を介入させる祈りは出てこないでしょう。その上、妥協しようとする心がないので、言い訳や弁明がそれ以上出てこないのです。そうなると自分の過ちを認めるようになるし、以前には見えなかった自分の欠けているところを発見するようになります。隅々まで現われる自分の肉の姿を見つけるようになるので、「御霊の歩み」に入ることにおいても、速いスピードで入れるようになります。
この時間、メッセージを聞いて妥協しない心を持つ皆さんになり、父なる神様のみこころを立派に実現する祈りの供え物になりますように。
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